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そして本格的なアルコール依存症に……(その3)

 断酒20年のヨウスケです。

 アメリカへの出国まであと2週間。
旅費にまで手をつけてしまっている現実に改めて向き合わなくてはならなくなりました。

 とはいえ両親や兄に泣きつくわけにもいかず。残った手段は塾の方に出資金という名目で出していた30万円を返してもらうしかありません。

 塾の方がある程度軌道に乗ったら返してもらうという約束でしたが、この際そんなことを言ってる場合ではありません。

 ただ、これをしてしまうと塾の方に帰っても、私の席はもう無いような気は薄々としていました。

 理事長に話を通し(パチンコと酒で旅費まで使い込んだとはさすがに言えませんが…)、塾の方も経営が厳しいのは分かってましたが、出資金の30万円を返してもらいました。

 その足で旅行代理店にチケットを受け取りに行き、一番の心配事はとりあえず解決です。

 後は8月1日の出国まで心置き無く飲める…。

 出国前の一週間はあまり覚えてませんが、友達と壮行会という名目の飲み会の毎日であったと思います。

 前夜は朝の3時(出国当日)まで飲みっぱなしで、文字通りのフラフラな状態で新幹線に乗り、伊丹空港に向かいます。

 なんせまともに食事もせず飲みっぱなしであったので、何も食べ物を受け付けない。こんな状態で海外旅行はおろか、飛行機に乗るのも初めての経験。

本当に無事にアメリカにたどり着けるのか?


 機内は飲めないことはなかったかと思いますが、勝手もわからないし、飲むとトイレが近いし、緊張もあり飲まないで済みました。

 アルコールの離脱症状で全く眠れず片道13時間程のフライト。さらにフラフラの状態でサンフランシスコに到着。

 そこからローカル線で北の方に向かうコースなのですが、肝心の飛行機がいつまで経っても出発の気配がない。

 仕方ないので出発ロビーで待つしかありません。

 『delayed(遅延)』の表示に見飽きた2時間後、やっとこさプロペラ機というよりセスナが現れて、どうやらこいつに乗って行くらしい。

 硬いシートに狭い機内、ものすごいエンジン音に壊れるかと思うほどのガタガタの揺れ。その辺のジェットコースターよりずっと恐ろしい。眼下には日本みたいに木々が生い茂った山ではなく、岩むき出しの山々が見える。落ちたら痛いだろうなぁとボーッとした頭で考えながら約1時間。

 何とか無事にカリフォルニアの北の田舎の空港に到着しました。

 空港には親戚のおばさんとその友人の日本人の女性が待っていてくれました。

 おばさんには中学生と20歳の時に日本で会っているのでお互い顔はすぐに分かりました。

夢にまで見たアメリカ。

こんな失意のアルコールまみれの状態で来ることになるとは思いもしませんでした。

 さて、アメリカの地でもアルコールで失態をさらす展開を予想する方が大半でしょうが…。

 残念ながらアメリカでの一ヶ月飲んだのは2日ほど、ビール2、3杯ずつだけでした。

 2、3日はアルコールが抜けるまで食欲も回復せずあまり眠ることもできませんでしたが、3日目くらいから回復してきました。

 食事が合っていたのか食欲も出てきて健康的になってきました。

 海外で日本とは事情が違うということもあり不思議なことに飲酒欲求は出てきませんてしたが、困ったのが煙草でした。

 当時1994年アメリカ、特にカリフォルニア州ではすでに禁煙化の流れが進んでいました。私が煙草を吸うことにもおばさんはかなりうるさく注意をしてきました。

 結局毎日近くの海に夕日を見に行ってくると1人出かけて、浜辺でたそがれながら煙草を吸っていました。

 いろいろな問題を中途半端に置き去りにして、逃げるような気持ちでやってきたアメリカ。

この海の先にはその日本があるんだなと思うと、何とも不思議な気持ちになりました。

                                続く

                                 

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