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真理はどこにあるのか?―空海【百人百問#001】

言わずも知れた弘法大師・空海。
有名であるにも関わらず、彼が何をしたかと言われると困ってしまう。「弘法も筆の誤り」の弘法だけあって、字はうまかったらしいし、日本中の史跡や海山川には空海の跡がある。険しい山を登った先に「空海の云々」に出会う経験をした人も多いだろう。

では、彼は何を求めた人物だったのだろうか?
一言でいうと「真理」だったように思える。

マンガ『阿・吽』では空海と最澄を主人公に日本仏教史のエポックとなる密教の伝来が描かれている。当時、唐で最先端の宗教だった密教を遣唐使として派遣された空海と最澄が輸入してくる様子が、おかざき真里による荘厳で華麗な筆致で描写されている。目に見えない「宗教」や「思想」や「祈り」や「怨霊」がありありとモノクロの紙面から溢れ出してくる。

『阿・吽』で描かれるのは、「もっと知りたい」という欲求に飢えながら探究する空海の姿だった。少年の佐伯真魚の時代から、仏典を読み漁り、千日回峰行よろしく来る日も滝に打たれ、経典を唱え、「何か」を追い求める姿。それは狂気にも思えるほどの執念だった。

本書の中で空海が繰り返すのは「我を満たせ」という言葉だった。空海はずっと当時の日本にある知識(仏経典)では満たされず、常に新しい知識や真理を追い求めたのだ。

空海は15歳くらいで大学に入り、さらなる知を求めたものの、授業をなんなくこなし、論語・孝経・礼記・春秋左氏伝そのほか9科目をマスターする。そこで「がっかり」してしまう。現在の日本の最先端の知でも満たされなかったからだ。

そこで取り組むのが「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」だった。山中や洞窟など静かな場所で、ひたすら短い言葉を繰り返す修行法。繰り返すのは100万回とも言われ、毎日続けて行い、食事も睡眠もギリギリまで耐える。拠り所となるのはたったひとつの「真言」のみ。単純ゆえに精神を蝕み、常人では耐えられないという。単純なことの繰り返しほど、人を狂わせるからだ。

常軌を逸した求聞持法の描写が『阿・吽』初期の盛り上がりになる。壮絶な描写が続き、真理を追い続ける。そして、100万回唱えた果てに、空海は「我を見た」とつぶやく。

そののち空海は処女作である『三教指帰(さんごうしいき)』を著すことになる。これはレーゼドマラ(思想劇)とも呼ばれ、演劇のような形式を取っている。「三教」とは、儒教・道教・仏教のことであり、それぞれを代表するキャラクターが登場し、それぞれの教えを問いていく。

設定がとてもユーモアに富んでおり、最初に舞台があくと中央に館がセットされている。そこでは博打や女遊びが大好きな放蕩息子「蛭牙公子(しつがこうし)」の暴れっぷりが嘆かれる。そこにやってくるのが、儒教・道教・仏教の三賢者。まずは堅苦しそうな儒教の先生、続いて仙人のような道教の先生、そして最後にツルツル頭の仏教の先生がやってきて、仏教の尊さ・偉大さを語り、話は終わる。この構成になっているのは、儒教より道教、道教より仏教の方が優れているということを伝えるためである。

ここから空海の探究が始まる。当時日本で手に入る限りの経典を読み漁り、いろいろ学んだ上で仏教を最高位に位置づけつつも、それだけでは物足りない。まだ先があるはずだとさらなる真理を目指す。そこにチャンスが到来したのが遣唐使だったのだ。

『阿・吽』3巻でついに「海を渡る」と宣言し、「この国は、我が学ぶものはもうない!」「さらに究極の心の在りかが、そこにある!」と語る。「”追うべきもの”が、この世に存在しているのだ」と意気込み、いよいよ唐を目指す。

正式な僧ではない空海は公式に唐に渡る手段が無いため、いろんなすったもんだがあり、なんやかんやで遣唐使の船に乗ることになる。詳しくはマンガを読んでほしい。6巻から唐を舞台としての話が始まり、空海がいよいよ密教に出会うことになる。

長安の門をくぐった先には、絢爛豪華な町並み、巨大な建造物、異国情緒あふれる衣装、空海にとってそこは「フロンティア」だった。そこで得たものは密教だけではなく、ゾロアスター教や契丹の文化など、広大なユーラシアの風を感じていた。

青龍寺を訪れた空海は、恵果和尚に出会い、修行を受ける。その描写もまた壮絶なもので、まるでバトルマンガのように二人は異形の世界で対峙する。恵果和尚はラスボス、空海は若き勇者の出で立ちで、拳ではなく、言葉を交わし合う。圧倒的な強さを誇る恵果和尚の前に空海は敗れたかに思えたが、空海の知りたいという欲求は底知れず、恵果和尚が攻めても攻めても立ち上がる。自我を解体し、意識を解体し、無に帰するかに思えたが、そこには「空(くう)」があり、真理に近づいていく。

「言葉」の限界!「意識」の限界!
そこから更に刻んでゆく。解体する。
「意識」を剥がし!「無意識」を剥がし!
むき出しの「阿頼耶識」を解体する。解体する。
「一」(在る)から、「零」(無)の間に、「無限」は存在する。
「一」を永遠に解体し続けても、「無」にはならぬ。
永遠に繰り返す解体によって、
「空(くう)」に近づくことによって、
「無限」は生まれゆくのだ。

                 ―おかざき真里『阿・吽』第7巻より

そして、恵果和尚は空海を認め、「さあ空海、世界の真理へとダイブしよう。一緒に。」と告げる。ここで、空海はついに「真理」に到達したのだった。

真理はどこにあるのか?
これが空海の問いだったように思う。もちろんそれだけではないものの、『阿・吽』で描かれている空海を見ていくと、そうとしか考えられないほどの「真理への執着」が伺い知れる。
その答えは、単純に言えば「密教の中にあり、我の中にあった」ということかもしれないが、それがそもそも”答え”なのかは、分からない。

答えではなく、やはり「問い」の方が圧倒的に重く、価値がある。
空海は「真理」を求めるために、死をも恐れず、権威や限界や常識にとらわれず、探究の心のままに唐まで訪れ、尋常ならざる努力に勤しんだ。その姿は、「弘法大師」という響きよりも、もっと貪欲でもっと野性的でもっと荒々しいものだった。お行儀よく書物を読むのではなく、必死に知を探究する姿が空海の本来なのかもしれない。

そう思うと、空海が『秘蔵宝鑰』で綴った

生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで、死の終わりに冥(くら)し

という言葉の重さが突き刺さる。

空海の問い「真理はどこにあるのか?」。
この問いは生涯ずっと胸に忍ばせておきたい。

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