午前中で終わる学校7
~型破りを型破る~
世界中の皆さんへ
僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。
2の章(あきら)「教科再編」② ~世の中につながる学校~
子どもたちも大人たちも世の中と繋がりながら、「自分」として変化成長し、幸せに向かっていける学びの場を創出するために・・・そしてそんな「自分」の集まりとして、世界が幸せに向かっていけるように・・・
こんな教科たちを提案します。法律を変えなくてもできるかもしれません。表向きは「国語」や「算数」等で計上、運用するということです。あゆみ(成績表)学校独自なので大丈夫。
学びのベースとしては・・・
★学年ごと、クラスごとである必要はなく、むしろ異年齢で学びのチームを組むのはおもしろい。「世の中」教科も「追究」教科も異年齢学び合い~コーチングはきっとおもしろい。(後日別途提案あり)
★1年生はこれを学ぶ、6年生はこれを学ぶ、そんな縛りをなくしてもいい。カリキュラムは毎年同じでなくてもいい。その時代、その時の子どもメンバー、保護者メンバー、教職員メンバーの想いにフィットする内容でカリキュラムを考えればいい。
※カリキュラム~学校の教育目標を達成するために、児童・生徒の発達段階や学習能力に応じて、順序だてて編成した教育内容の計画。教育課程ともいいます。
★能力別(混ぜないという意味)学習は行わない。
★すべてに渡ってICTの活用をする。が、「生身を使う、生身を見る」をベースにする。
★すべてに渡って図書館活用学習をする。
★すべてに渡って情報発信学習をする。発信対象は、地域、世界、関係機関、保護者、学校、他校、学年、教室内、グループ内、他グループ・・・)
★すべてに渡って外部ゲストティーチャーを活用する。(後日別途提案あり)
「世の中」教科
●環境(地域の自然、国の自然、世界の自然、生産とごみ、資源、エネルギー、食、農業、工業、水産業、公害、森林、温暖化、宇宙、掃除、技術員さんの仕事・・・)
●命(生と死、動物、植物、健康、安全~災害対応・防犯含む~、性、恋愛、誕生、体育~現行の体育の多くは廃止と委託・・・)
●政治(税金、選挙、国民主権、行政、政党、陳情、デモ、学校や教室の自治や生活改善・・・)
●法律(裁判、憲法、立法、学校や教室のルール決めと改善・・・)
●福祉(介護、医療、教育、障がい、ボランティア・・・)
●平和(世界の国々の地理・文化・システム、戦争・紛争、国際連携機関、学校や教室内トラブル解決、多様性、差別、SDGs・・・)
●経済(起業、経営、労働、仕事、資本主義、貿易、金融、株式、為替、保険、資産、地域や学校、教室内通貨システム、学校や学級等での祭りや店展開・・・)
●心(読書、キャリア、人の生き方、メディアリテラシー、相互依存、マナー、昼寝、遊び、散歩、瞑想、マインドフルネス・・・)
※メディアリテラシー(インターネットやテレビ、新聞などのメディアを使いこなしメディアの伝える情報を理解する能力。また、メディアからの情報を見極める能力のこと。
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC
※マインドフルネス
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9
「追究」教科
●歴史(日本史、世界史、比較史、各国の歴史学習・・・)
●科学(理科、物理、化学、地学、生物・・・)
●数学
●言語(日本語、英語、漢字成り立ち学習・・・)
●文化(音楽・美術・舞台・ダンス・・・)
●生活(料理、裁縫・・・)
※教科書内容は今のままで、貸与(レンタルシステム)とデジタルで対応する。
※世界と繋がらない「学校ごっこ」にならないように、午後の時間を丁寧に使って、授業の準備や評価をする。
0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑥~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~
DoとBe
Be(存在)に愛を!
Do(行動)に称賛を!
先週、NHK朝ドラ「エール」の中で、こんなセリフがありました。
『行動を起こしても、周囲は何も変わらないかもしれない。だけど、あなた自身が変わる!』
ウェルビーイング~https://jinjibu.jp/keyword/detl/885/
どうしても、自分のことが好きになれない、自分のことが許せない、認められないって人もいるでしょう。自分は「いい人」の部類ではないと思っている人もいるだろうし、あの人は「いい人」ではない、という見方もあるでしょう。自分や相手の「存在」を守るということは簡単ではなく、「あなたはどんな存在?」って突き詰められると苦しくなってしまう人がいると思うのです。
僕にとってはBeよりもDoの方が変化させやすい。
BeはそのままにDoを支えにすること。
相手のBeを否定的にとらえるとき、相手のDoまで否定することがある。
それでも、僕は自分自身を変えるために、Doを積み重ねていきたい。
誰も排除したくない、誰も置き去りにしたくない。
僕が僕を排除しないという困難なことに、今しばらく、楽しんで挑みます。
そこで、世の中でよく言われている「何をするかではなく、誰とするか、が大事」について、
僕は?と思うんです。「誰と」というのは自分にとって合う人のこと?合わない人のこと?分けないで混ぜるということ?プライベートでのこと?ソーシャルでのこと?すべてのこと?
・・つづく。
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