Miyao Yu

社会教育主事。 ストレイシープ。迷い続けている、もうすぐおじいさん。ぬるま湯に浸かり続…

Miyao Yu

社会教育主事。 ストレイシープ。迷い続けている、もうすぐおじいさん。ぬるま湯に浸かり続けてます。 Note初心者。さしより始めました。 悪口ばっかりいいたくなります。 社会教育の未来を憂いています。 だから動かなきゃ。

最近の記事

人と会う。

人と直に会って話すことはいい。 電話やメールでやり取りするのは便利なのだが、ずっとそればかりだとうまく繋がれない気がする。 直接会って話すことが面白いのは場の雰囲気を五感を使って味わうことが出来るからなのだろうか。 なかなかデスクワークから離れられずにいたが、今日は思い切って外に出てみた。 今まで直接会っていなかった人と面と向かって話すことで、親しみを感じることができた。今後、さらに意思疎通が上手くいくだろうと思う。 色々なコミュニケーションツールがあるのだから、それらを駆使

    • プレイヤーの意味

      矢部に赴く。よそ者感を味わいながら、街を散歩する。この文化には自分は属していない。住んでないから当たり前。 でも、自分が住んでいる街に居ても疎外感があるのは地域の人と話すことがないから。地域に対して何の出力もしていないから。 私みたいな人はいっぱいいるだろう。町は私にとってどんな意味があるのか?私の住む町は、私にとってただの寝床でいいのか?稼いでくるお金は他所で働きかけてもらってくるもので、自分の足元では消費しかしていない。 あれ?これでいいわけがないよな。 社会教育士に

      • 社会教育はまちづくり?

        まちづくりは人づくり。まちを盛り上げてみんなが生きがいを見つけて、楽しく毎日過ごせてます!みたいな。たくさんの実践例とかまちづくりノウハウとかイベントとか。いろいろ歩く、見る、聞く。学ばせてもらっている。自分でもやっている。だけど、なんかしっくり来ない。 やっぱり気になって仕方がないのは隙間にハマって存在が透明な人たちなのだ。 救えなかった命とか隙間にハマって誰とも関わらない暮らしを送る人とか真っ暗闇を覗く気分で、怖くもある。 その深淵を思うと、わーい!まちづくり!とか、

        • 「能力」の生きづらさをほぐす〜最近読んだ本

          能力の向上、夢を持つこと、就職すること! よく尋ねたりする。 将来、何になりたい?とか、夢は?とか聞いたり、言ったりすることも少なからずあるのではないか? そこにある正しさ。誰かが決めたルールに寄り添っている答えを言ったりしていないだろうか?自分の本当にやりたいことというわけではない社会に求められる答えを言ったりしている。理由はわからないけど、みんなそうしているし、考えるのは大変だから。なーんて具合に。自分はそうだった。それが悪いわけではない。暮らしていけるから。 社会教育

        人と会う。

          学んだつもり

          将来の夢とかつながりとか生きがいとか、調べたり考えたりすればするほど、本当に必要なのか疑わしいと思うようになった。社会教育の「社会」もなんだかなー。それが理想的な社会ならなー。違うことが言いづらい世の中だし。結局は与えられた枠の中で期待に沿った選択肢から無理矢理選んだりしてそうな子供とか大人ばっかりに見えるのは自分がそうだからか。 本当の社会教育とは何ぞ? わかったつもりになって、そこで終わってないか?それっぽい感想を言って学んだ気になってたんじゃないのか?いろんな社会教育の

          学んだつもり

          コミュニティデザイン関係のZoomに参加しての感想

          不登校。学校に来れないことは一つのサインであり、問題ないわけではなかろう。不登校がいけないこととは思わないが、明らかに周りとの意思疎通がうまくいってないことの兆候だろう。 社会制度と個人といった縦の関係ばかりが太い。ご近所さんとか友達とかの横の関係が希薄。お互い様という概念が無さげ。 資本主義で発展した今、お金が大事な社会と自分をつなぐ因子となっていないか? 現代では、お金が周りとのつながりが大きいか、小さいかの指標になってないか? お金がなくても社会の中で上手いこと生きてい

          コミュニティデザイン関係のZoomに参加しての感想

          えらい人の年度初めのお話

          「若い来館者を増やせ」、「ずっと変わらない講座体系のままでいいのか?このまま無くなってしまっていいのか?公民館は。」とえらい人が言う。 一昔前にいろいろ本に書いてあったことをさも新しい考えのように熱弁を振るう姿に呆れて失笑。今はそんなの違うのに。 こんな薄っぺらいトップしかいない町で何をどうできるのか? 先ず「若い」の定義は? 年齢で言うならゼット世代以下とかすごーく少ないし、これから人口もガンガン減るのに。 こんなに資本主義の圧力が強い中で変わらず続く昔ヤングの活動は

          えらい人の年度初めのお話

          さあて今年はどうしようか。

          人間中心の社会は来るのか? ゆっくり時間をかけると、結構いろんなものが自分で作れる。 でも、多くの人は買う。で、お金で過程をすっ飛ばしても、余った時間をどう使っているかというと大したことしてないのではないか? また人との関わり方はどうなってるだろうか?対話できているか?話を聞けているか? みんなが安心して居ることのできる場所はあるのか? 安全が確保され、話す言葉を受け止めてもらえる場所があれば! 公民館がそういう場所だったはず。というか、そういう場所になるように努めなければ

          さあて今年はどうしようか。

          PFA

          PFA(サイコロジカルファーストエイド)の一連の流れ 1,安心、安全 2,落ち着き 3,つながり 4,自己、地域効力感 5,希望 1から5の間それぞれに支援の手立てが考えられる。PFAは災害時の対応だけど、何にでも適用できる支援の定石ではなかろうか。 社会教育士は何ができるのか。当たり前なんだが、地域の人と対話によって課題を一緒に考えていくといいのではと思っている。 何をするにしても先ずは安心できる環境がないと。足場を固めるというか。そのための手立てが最初に大事だと思う。

          公民館はそんなに面白くない。

          公民館に集う人が面白いのである。 公民館が面白くない理由は行政職員がそんなに面白くないから。その理由は悪口になっちゃうから言わない。 それ自体は全然面白くない公民館だけど、公民館にやってくる人の中には面白いことをやってる人がいる。その面白いことをやってる人の支援をしているから、公民館が面白いように見えるんじゃないかなと思う。 災害とか疫病を乗り越えて、公民館は今、新しい役割を持ち始めているような気がする。私は一億総お客様の時代からプレイヤーを生み出すのが公民館の新しい役

          公民館はそんなに面白くない。