見出し画像

~自己紹介③~

こんにちは。宮原将希です。

今回で自己紹介を終える予定ですので、もうしばしおつきあいください。

■大学

大学合格し、僕は福岡市内の
緑が印象的な私立大学英文学科に入学しました。

当時は、
英文学科ってかっこいい!
頭がいい気分!!

って感じで大学ライフを楽しんでいました。

大学といえばサークル!!!
もちろん野球のサークルに入りました笑笑
数ありすぎてどこに入ったらよいかわからない、、
その時に中学のクラブチームを一緒にやめた友人からの紹介があったので、
入ることができました。

英語の勉強をしながらバイトをし、友達とカフェに行く。
1年目は何気ない大学生活を送りました。

2年目、大学生活に色が付き始めました。

今では僕の大親友Rから
「フィリピンにいかないか?」
とお誘いを受けました。

フィリピン!?となりましたが、彼は1年目の夏にワークキャンプでフィリピンに行ったのがとてもいい経験になったと話していました。

英語勉強しているから海外は行きたいが、特に行きたいところもない、
バイトしていてお金はある、
よし行ってみようということで、2年生の夏休みに2週間フィリピンに行きました。

初海外が東南アジア。今となっては濃いものだったなと。
フィリピンのボホール島にてワークキャンプを行いました。

現地での印象は
・日本と違いすぎる!!!
・これ生活できる???
・人が温かい

この3つです。

ガス・電気が通っていない現地では、生活が日本とはかなり違い、
感銘を受けました。
水道はもちろんなく、汲んできた水が生活用水になったり、
雨をためてつかったり、ウォーターサーバーの水を買ったりと、
最初の僕にとっては過酷な生活でした。

ただ、現地の人が温かかった。
日本人以上に一生懸命生きていて、なにより表情豊か。
活発的で意欲的。

この違和感は何だろうと思いました。
この経験はまた後日記事にさせていただければと思いますが、
この経験が転機となり、社会人になったらやりたいことに繋がりました。

それから毎回大学の長期休みになると、
東南アジアに足を運ぶようになり、
これまでフィリピン、タイ、カンボジア、ベトナム、韓国に行きました。

どこも素敵な国でまた行きたいなと思います。

4年生になり、就職活動が始まります。

■就職

僕が志望していたのは、インフラ部門(水・電気・ガス)のみでした。
すべては途上国に住む子供たちの支援のため。
いつの間にか自分の夢がありました。

ただ、福岡で就職をしたい、東京は考えられないなと思ったので、福岡で就職活動を行いました。

内定いただいたのは、井戸を取り扱う会社さん。
自分でもそんな会社に入るとは思いもしませんでした笑笑

ただ、当時思っていたのは
「この会社で海外事業を立てれば、途上国で仕事ができる」
ということです。

これもまた人生の分岐点になるところなので、後ほど書きますが、
水の仕事にこだわりがありました。

なぜかというと、
当たり前ですが、水は生活に欠かすことのできない大事なものだからです。
フィリピンの水で生活をして、どれだけ日本の水がきれいかが分かった、
現地の子供たちの生活を変える必要があると思ったから。

現地の子供たちは目に患いを持つ子が多くいました。
それは親の遺伝ではなく、ごく一部の子供だけではない、学校の3分の1がそのような病気を持っていました。

ですが、何の病気かわからない、いつ発症したのかもわからない。

僕は水が原因で発症していると現地で確信し、将来個々の水をきれいにする仕事をする。
決心できたのが、途上国での大きな経験です。

そうして、就職活動は無事に井戸水を取り扱う会社にい就職することができました。

■上京

ワクワクと不安を持ちながら会社に行ったのは今でも覚えています。
100人規模の会社だったので、大きな研修もなく早速現場同行。
多くの井戸水を使用する病院、工場のメンテナンスに入りました。

そんな時、上司から言われた衝撃の一言。

「なんでこんな会社に入ったの?」

僕:???????????????????????????

ここで、社会人ってこんなにだるそうに仕事しているんや、、
と感じる日々が続きました。
段々とこれが社会人と固定概念が根付くようになりました。

そんな中、社長から
「東京支店いってくれん???」
とのこと。

当時付き合っていたきれいな彼女がいたのですが、
別れてすぐの出来事だったのと、東京だとより大きな仕事ができそう!
という軽い気持ちで上京を決意。

上京してからは1人で仕事する責任感を学びまくりました。

その会社で2年、業務にも慣れてきたころに
そういえばいつ海外事業できるんやろ???と思い、
社長に相談してみました。

僕「いつ海外事業ってできるんですかね?」
社長「あと10年くらいだよ」

当時、残業120時間/月、月収18万の自分には耐えられないと同時に、
自分の人生どう思っとるんやと、会社に対して不信感を持つようになりました。

そんな中、人生の転機のきっかけをくださった1人の経営者に出会います。人生どうしたいか、どうなったら最高かを考えさせてくださった方です。

その方のおかげで、転職をし、今ではフリーランスとして不動産賃貸の仲介事業と転職支援事業を通じて、面白くご縁を大事にしながら仕事をさせていただいてます。

そんなこんなで、長くなりましたが
こんな僕をこれからもよろしくお願いします♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?