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マフラーを巻いたうさぎ。(5)

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翌週の金曜日の夜。

(やった、とうとう出来た)

ようやく初めてのマフラーが完成した。巻き心地をたしかめるべく自分の首に巻いて鏡の前に立ってみる。いいぞ、なかなかいい。極太の毛糸で編んだマフラーは弾力があって、肌にあたってもチクチクしない。中学生の女の子たちは、もっとたっぷりした幅のある長めのマフラーを巻いているけれど、うさぎが身につけているマフラーを考えると、このくらいの大きさが使い勝手がいいだろう。

完成したマフラーをお母さんに見せると手放しにほめてくれた。こんなにほめられたことは、中学生になってから初めてかもしれない。

「自分にできないって勝手に思い込まないで、やってみたら、こうしてちゃんと結果が出るじゃない?」

ほんとうにお母さんの言う通りだった。やってみたら意外と出来ることって増えるのかも。次はお父さんにも編んであげよう。時計の修理を手伝ってもらった恩返しもしなくちゃいけないし。お父さんのは、紺色の落ち着いた色のマフラーがいいかな。大人の男性用だから、毛糸玉も6つか7つくらいは買っておいたほうがいいかもしれない。

一つの作品ともいえるマフラーを自分ひとりの力で作り上げた自信が、まい子の気持ちを明るくしている。うさぎさん、喜んでくれるかな、使ってくれるかな。クリスマスには少し早いけれど、まい子は赤と緑のギンガムチェックの紙ぶくろに、くるくると丸めたマフラーを入れた。これでよし。その夜、興奮しすぎていたのか、まい子はなかなか寝付けなかった。

土曜日がきた。その日は風がずいぶん強くて、まい子はコートのすそをひらめかせながら図書館への道を歩いた。今年の冬はどのくらい寒くなるのだろう。雪は降るだろうか。でも大丈夫、マフラーがあればあったかいもの。図書館が近づいてくると、窓ぎわの席に座っている小さな背中が見えた。

「こんにちは」
「お、こんにちは」
まい子が声をかけると、いつもと同じ笑顔がかえってきた。うさぎは今日も新しい本を開いていた。
「これをちょっと見ておくれ」
まい子も本のページに顔を近づけた。宇宙の本だった。人類は着々と新しいものを開発していて、今は宇宙旅行を実現している状況だということが書かれていた。
「宇宙までいけるようになったということはじゃな、死んだ人たちがいる場所までいける可能性もみえてきたということかもしれんぞ」
「それはちょっと、どうかな」
まい子は返事をはぐらかせた。

うさぎは相変わらず一生懸命、エリーの行き先を調べている。でも、調べていけばいくほど、まい子にはこんな方法でエリーの行方がわかるとは思えなくなってきていた。わたしが小学生だったら、なにも疑わないでいっしょに探してあげられたかもしれない。でもわたし、もう中学生だもの。出来そうなこととそうではないことの区別はついてしまう。無理だと思うって、はっきり伝えてあげたほうがよいのか、黙ってうさぎのやりたいことを見守ってあげた方がよいのか。目の前で熱心に話しつづけるうさぎの話を、うんうんと一応はうなづきながら聞いているまい子は、自分が困った顔つきになっていないか、それが気になって仕方なかった。

ふたりが出会ってからもう一ヶ月ほど経っている。まい子は初めてうさぎに会った時の戸惑いも、もう覚えていない。周りの机を見渡すと、相変わらず数人のおじいさんたちが、それぞれにくつろいで時間を過ごしている。いつもの常連さんもいる。誰一人、まい子たちの方を見る人はいない。
(やっぱり周りの人には、うさぎさんの姿が見えていないんだ)

ひととおり長い話をし終えたうさぎは、フッと軽いため息をもらした。疲れた様子だった。目の赤みは前よりも強くなっている。
「あのね、今日はいいものを持って来たよ」
まい子はカバンを開けて、紙ぶくろを取り出した。
「はい、これ。クリスマスプレゼントにはちょっと早いけど、もしよかったら使ってください」
「ほう、贈り物をもらうのは、久しぶりじゃ」

うさぎは、袋からえんじ色のマフラーを取り出すと、目を大きく見開いた。
「これは、これは。あんたが編んでくれたのかい?」
「そう。わたしが、生まれて初めて編んだマフラーです」
恥ずかしくて、まい子はつい敬語になってしまう。
「うれしいのお。こんなものをもらえるなんて、ありがたいのお」
うさぎは、自分の首に巻いてある古いマフラーを片手でにぎった。
「これはずっと昔に、エリーがわしのために編んでくれたものなんじゃ」
「そうだったの」

中学生だったエリーが、うさぎのためにお小遣いをためて毛糸を買い、夜おそくまで編んでくれたものだそうだ。
「懐かしいのお。エリーの贈り物をもらった時と同じような気分じゃ」
「もしよかったら、つけてみる?それともまだ、古いマフラーのほうがいい?」
「いやいや、せっかくあんたが夜通し編んでくれたんじゃ。こんなステキなマフラーを首に巻いたら、わしはまた若返ってしまうかもしれんぞ」

冗談をいいながら、うさぎは古いマフラーを首から外した。まい子は立ち上がると、新しいマフラーをうさぎの細い首に二回まわしてあげた。
「よく似合ってる」
「そうかい、ほんとにあったかいのお」
うさぎは欠けた前歯をむき出して笑った。

ところが、ニッコリ笑っていた顔が急に元気を失ったみたいに、うさぎの目尻が下がっていった。
「すまんのお。すまんことよのお」
そう言い始めたうさぎの反応に、今度はまい子が驚いた。
「どうしたの?」
「わしは、いつももらう役ばっかりじゃ。エリーにもあんたにも、贈り物をしてやることすらできないのかと思うと申し訳なくてのお」
うさぎは、首に巻いた新しいマフラーを、手でそっと触りながら、ポツポツと話をつづけた。

「わしは自分がうさぎであることを、いつでも誇りに思ってきたし、うさぎとして生きたことになんの悔いも感じたことはない。それでも、こうして贈り物をもらう時だけは、うれしい、ありがたいという気持ちと同時に、それに対してお返しできない自分を情けないと感じてしまうんじゃ」
「…」
まい子には、その気持ちを受け止める言葉が見つけられない。

「わしが人間をうらやましいと感じるのは、こういう時なんじゃ。自分の大切な人に心を込めた贈り物をしてやれる。人間にはそれができる。わしにはそれができん」
うさぎの目にはあふれんばかりに涙がたまっている。
「わしらうさぎは、誰かのために、何かをこしらえたり、特別な贈り物を用意したりすることができん。ただ食って飲んで、動いて、眠る。そんなことしかできんのじゃ」
「そんなこと言わないで」
うさぎの話を聞いていると、まい子まで泣きそうな気持ちになってきた。

「うさぎさんに喜んでほしくて、わたし、生まれて初めて編み物に挑戦したのよ。最初はすごく下手っぴで、もう諦めようかと思ったくらい。でも、どうしても諦めきれなくて。お母さんにおしえてもらって、何度も、何度も、練習して。自分でちゃんとマフラーを作れたのだって、うさぎさんがいたからよ。うさぎさんの首に巻いてほしいって思ったから、わたし、最後までやり通すことが出来たのよ。それなのに、うさぎさんがマフラーを巻いて悲しい気持ちになってしまうんだったら、わたし、何のために頑張ったのか分からないじゃない。うさぎさんが、うさぎさんが、そんな気持ちになっちゃうんだったら…」

話しているうちに気持ちがあふれてきて、まい子の目にも涙がじわじわと溜まり始めた。
「おお、すまん、すまん。あんたを泣かしてしまうとは。わしはとんだ出来そこないの、うさぎのじじいじゃわい」

泣き出しそうになったまい子を見たうさぎは、すっかり慌てて、まい子をなぐさめようと必死になっている。
「泣かなくていいさ、もう泣くんじゃない。わしも泣かんぞ」
うさぎがあまりに言うものだから、まい子もおかしくなってきて、二人は声を出して笑いあった。贈り物は、贈るひとと贈られるひととがいるから意味があるんだ。それは物をあげたり、もらったりするというだけじゃなくて、気持ちの交流なのだとまい子は思った。

ひとしきり笑うと、張り詰めていた糸がプチンと切れたような、ホッとした気持ちになった。うさぎも同じ気分みたいだ。
「こんなに心地よいと、眠たくなってくるわい」
「いつも寝不足なんだもんね」
「ちょっとここで、居眠りさせてもらおうかの」
「いいよ。わたしが傍でみててあげる」
うさぎは大きなあくびをした。それから両手を前に出し、顔をうつぶせた。頭の毛の所々がパサパサと束になってかたまっている。年をとっていることが一目でわかる。まい子は、その背中をゆっくりとさすってやった。うさぎはスー、スーと静かに呼吸をつづけている。気持ち良さそうだ。

その時、テーブルの上に置かれた懐中時計が、カチカチ、カチカチと音を鳴らし始めた。
「あれ、時計が動きはじめた」
壁の時計を見ると、ちょうど三時になったところだった。懐中時計が、まわりと同じ時間を刻み始めたらしい。その時、図書館の入り口が開いて何人かの子どもたちが入ってきた。さいごに入って来た女の子が、その場にじっと立ったまま、こちらをみている。背格好はちょうどまい子と同じくらいだ。入り口付近は日が射していて、まぶしくて、女の子の顔までははっきりみえない。

女の子が、小さな声で呼んだ。
「ピッピ、迎えに来たよ。ピッピ」

まるで小鳥のさえずりのような、高くて細い、やさしい声だった。まい子の目の前で眠っていたうさぎが、鼻をピクつかせ、ひげを動かした。
(なんなの、どういうこと?)
まい子には、目の前で何が起きているのかよく分からなかった。とっさにさすっていた手をうさぎから離した。うさぎの身体は、シュルシュルシュルと音もなく縮まっていき、ふつうの大きさのうさぎになった。うさぎが小さくなるのと同時に、首に巻いていたマフラーも縮まっていった。それからうさぎは、パチンと目を開いた。赤い目が何度かまばたきをくり返した。うさぎは長い耳をピンとたてにのばし、図書館の入り口に立ったままの、女の子の姿を確かめていたかと思うと、次の瞬間にはぴょんと宙をとんだ。

「あ」
まい子は思わず、声をもらしたが、うさぎは地面には着地せず、空中をピョンピョンと飛びはねて、うれしそうに女の子の元にかけよった。
「ピッピ、お待たせ」
女の子はそう言うと、図書館の入り口を出ていった。うさぎもいっしょにはねていった。呆気にとられたまい子は、ただじっとテーブルの椅子に座ったまま、一部始終をみていた。女の子とうさぎが行ってしまうと、辺りはほんの少し明るさが減ったような気がした。

(うさぎさん、いっちゃった)

あんなに会いたかったエリーが、子どもの姿で迎えにきたんだ。まい子と同じくらいの年の女の子にもどって。うさぎは、まい子が渡したマフラーをしたままどこかへ行ってしまった。まいこはその後、うさぎが長いことつけていた古いマフラーを何度も探してみたけれど、どこにも落ちていなかった。消えてしまったようだった。テーブルの上には、時を刻みつづける懐中時計だけが残されていた。

(うさぎさん、ピッピっていう名前だったのね)

まい子は、懐中時計を自分のポケットの中にしまった。うさぎさんの忘れ物、いつか取りにくることあるのかな。それまでは預かっておこう。まい子のポケットの中で、時計はカチカチカチと規則正しく時を刻んでいた。

(完)




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