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#88宮本松、再始動。

記事を読んでくれている皆さま、いつもありがとうございます。表紙のイラストがこれまでと変わっていることに「あれ?」と思われた方もおられるかもしれません。そうなのです。今回からエッセイについてはnoteの画像を利用させていただくことにしたのです。

これまでは娘ミドリーにイラストを描いてもらっていました。宮本松というのは二人のユニット名で、わたし(真希おかげ)が文章を、娘ミドリーがイラストを担当し、半年前にnoteをスタートしました。

ミドリーが勧めてくれなかったら、きっとわたしはnoteを始めてはいなかったでしょう。「こんな今どきのもの、自分が楽しむものではない」という思い込みがとても強かったですから。わたしがパソコンで一人コツコツとお話を書いては、上手く書けないと落ち込んでいるのを見て、
「母ちゃん、こんなのあるから、やってみたら?」
とミドリーが後押ししてくれたのです。

この半年。長かったような短かったような、とても充実した日々でした。「いいね」がなかなかもらえなくて、しょんぼりと落ち込んでいたことも、自分以外のnoterさんの記事に初めてコメントする時にはドキドキして、「この文面でおかしくない?大丈夫かな?」とミドリーにチェックしてもらったことも、懐かしい思い出です。だれかに頼まれたからではなく、自分がやりたいから、やってみたいからチャレンジするという経験は、子どもの頃の体験と重なるような気がしました(なわとびで二重跳びに挑戦したり、鉄棒でグルグル前回りをする回数を更新したり、運動場の大きなタイヤをまたいで跳べるようになったりしていた頃の…)。

「もうそろそろ、母ちゃんも一人でやれるんじゃない?」
ミドリーも自分のやるべきこと・やりたいことにエネルギーを注いでいくことになりました。そんなわけで、いよいよわたしも自分一人でnoteを続けていく決心をしたのです。

以下は、これまでミドリーに言われた言葉のいくつかです。
「わたしはただ、表紙のイラスト描いてるだけだし」
「母ちゃんは、ちょっとした抽象画みたいにサラッと描けばいいなんていうけど、絵のイメージは何もないところから湧いてはこないんだよ」
「こんなの簡単に描けると思うかもしれないけど、ほんとは大変なんだよ」

毎週、母親であるわたしが、気ままに書き綴ったエッセイに合わせて、小さな画面にイラストを仕上げるということがどんなに大変なことか、絵を描けないわたしには想像しきれない部分もあると思います。でも、ミドリーはいつでも一生懸命に取り組んでくれました。ずいぶんエネルギーを消耗させてしまったなあと思っています。noteに投稿する下準備が整わないことで、母娘でケンカになったことも数えきれないくらいありました。その全てがよい思い出として残りました。

だれかと一緒に何かをやるって、こんなに大変なこと。こんなに楽しいこと。こんなにあったかいこと。わたしのエッセイも、もしミドリーやドラちゃん、テル坊など家族が登場しなかったら、中身はスカスカになってしまったことでしょう。日常なんて、自分ひとりでは到底回っていきやしないのです。

ミドリーがイラスト担当をやめることが決まってから、わたしはドラちゃんにも連絡を入れました。

「今まで宮本松の記事に毎回ひとつ「いいね」を押してくれてありがとう。もう読まなくて大丈夫だからね」

この半年、はなれて暮らすドラちゃんにも、宮本松を読んでもらっていたのです(ここでほんのちょっと言い訳をすれば、ドラちゃん自身も大学院の卒業や就職など多くの試練の重なる時期でもあったので、母親であるわたしが新しいことにチャレンジしていることも、ある意味励ましになると思っていたのです)。

ああ、そんなわけで、いよいよひとりぼっちの宮本松、再始動です。とはいえ「ひとりぼっち」って、意外と悪くないのかもしれません。響きも可愛いし。「ひとりぼっち」を伸び伸び楽しめるようになれば、わたしは将来、鼻歌をうたって元気に暮らせるおばあさんにだってなれそうです。ぼちぼちと進めていきます。




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