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#71つくしとコインランドリー。

実家の周りは一面に田んぼが広がっていて、天気がよい日にはお日様が昇るのも、沈んでいく姿もくっきりと見ることができます。今はまだ春の田植えが始まっておらず、田んぼのあぜ道に生えている雑草たちの緑色が、目に鮮やかにせまってきます。

朝ご飯を食べ終えて、ビニール袋を手にしたわたしは、童心にかえった気持ちでつくし採りに出発します。つくしとはスギナの胞子茎を指す言葉で、植物の名前ではないのだそうです。シダ植物のトクサ科トクサ属に分類され、漢字では「土筆」と書きます。土に刺さった筆のように見えることから付けられた名前だそうです。

実家にいた頃、つくしを採るのはわたしの仕事で、はかまをとるのが父、最後に卵とじに料理して食卓に並べるのが母の仕事でした。なるべく長くて立派なつくしをたくさん採って持ち帰り、お腹いっぱいつくしを食べたい。つくしを見つけやすい場所もわたしの頭の中にはちゃんと入っています。今年はどうかな、ちゃんと見つかるかな。

と、ここまで想像しながら帰省したわたしですが、今年はつくしを見つけられませんでした。昔は三月中に採っていたのか、或いは気象の変化でつくしが見つかる時期が変わってしまったのか、はっきりした理由は分からずじまい。残念です。

代わりに毎日のようにやっていたことと言えば、コインランドリー通いです。朝ご飯の片付けが終わると、母を連れて車で出かけます。洗濯すべきものが山のようにあるので、計画を立てて洗っていかなくてはなりません。実家でわたしが家事をこなしていると、母が近寄ってきて邪魔になる場面も多いのですが、コインランドリーに座っている間は、「ここでは座って待っているしかない」という状況のせいか、母も穏やかに座って待つことができます。

(母娘で出かける先が、コインランドリーとスーパーの往復って悲しいことなのかな?)
と、心の中に疑問符が浮かぶこともありますが、母が自分も「働いている」という意識を持って暮らせている今を大事にすればいいじゃないの、と思うようにしています。

今回はそれに加えて、介護サービスの話し合いや排水管掃除、庭の雑草抜きなど、さまざまな用事がありました。あれほど決意をもって臨んだ父の車の運転を止めさせることは今回の帰省では実現できませんでしたが、遠出してはいけないことはしっかり伝えられたし、夕食の宅配弁当も開始することになり、来月からは母のデイサービスを週二回に増やせることになったりと両親の生活に変更を加えられたことを、まずは良しとします。

「いっしょに散歩に行こう」
朝と夕方の散歩を日課にしている母が、とぼとぼと田んぼのあぜ道を歩いていきます。その横をぶらりぶらりとわたしが歩きます。遠くに見える山を指差しながら「元気な頃にはあの山にも登ったよ」とか、レンゲ草を見て「昔(子どもの頃)、家で馬を飼ってた時に、レンゲを食べさせると喜んでたよ」とか、「散歩の途中で友だちに会うことが多くて、よく挨拶するのよ」とか、同じ話を何度もリピートしながら話し続ける母が、一生懸命に歩こう、生きようとしている姿を見ながら、時間がすぎていく早さを痛感する毎日でした。

頭を洗うのを億劫がる母をお風呂に入れて、洗髪の介助をして、以前なら「(母が)こんな風になってしまった」ことを嘆いていたわたしが、「今はまだ自宅でお風呂に入れている」ことを有り難いと思うようになっている。それは母の老いも認知症の症状も確実に進んできている証拠なのでしょう。受け入れがたいものを受け入れていく、その連続が現実を生きるということだと、最近になってようやく心の底から思えるようになってきたわたしです。とは言うものの、実家から離れて過ごしている時にはどんなに頭の中で考えても、覚悟は決まらないように思います。目の前で両親の生活を見て、話をして、二人の変わらない部分と変わっていく部分とを見定めながら、自然と覚悟が決まっていく。そう考えると、数ヶ月ごとの帰省の度に、わたし自身の気持ちの整理も少しずつは進んでいるのかしれません。

両親につくしを食べさせてあげることは出来なかったけれど、いっしょにコインランドリーに行ったよねと、誰かに話すわけでもないのでnoteに記して、いつかまた自分で読み返そうと思ったのでした。




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