見出し画像

月のおまじない。(1)

< 1 > 20〇〇年、5月23日
「のぞ。見てごらん、外」
夜。のぞみが子ども部屋で宿題をしていると、母親の貴理子がやってきた。窓辺に立って、こっちこっちと手まねきする。めずらしいな、わざわざ二階まで上がってくるなんて。そう思いながら、のぞみは「よっこらしょ」と立ち上がると、貴理子のとなりに立った。今のふたりは、もうほとんど同じくらいの背丈だ。きっと中学生になる前に、のぞみは貴理子を追いぬくだろう。

「ほら、満月」
「うわあ。大きいね」
「まんまる。きれいだねえ」
窓から見える満月は、山吹色の光を放ち、ふたりのすぐ頭上に浮いているように感じられた。こんなに近くに見えるのに、ほんとうはすごく遠くにある月。そんなに遠くにあるのに、地球のまわりをぐるぐると回りつづけている月。この世界ってとても不思議だ。何がなんだかわからない。でもすごく綺麗だってことだけは、わたしにも分かる。

のぞみがぼんやりと、とりとめのないことを考えていると、貴理子がぼそっと話しはじめた。
「のぞの名前の話、したことあったっけ?」
「わたしの名前?」
「のぞみの『望』っていう字。あれは、満月の夜に生まれたからつけたの」
「知らなかった。きぼうっていう意味の『望』だと思ってた」

おどろいたのぞみの様子をみて、貴理子はニヤリとわらった。
「のぞは、なかなか生まれてこなくてね。母さん、ほんとに待ち長かったわあ。出産予定日を一週間すぎてから、やっと出てきたの。その日は、お昼前にお腹がいたくなって、病院に運ばれたのに、のぞが出てきたのは夜中の二時すぎだったのよ」
「ふふふ。お腹から出たくなかったのか、わたし」

「母さん、体力使いはたしてて、もうクタクタでヘロヘロだったんだけど、産んだ後、わたしたち二人を見にきた父さんが、『今夜はすごくきれいな満月だぞ』って。わらっちゃうよね。ビデオカメラ持ちこんで、出産のようすを撮影するって、はりきってたのに、とちゅうで母さんが、あまりの痛みに『今そんなので撮られてる場合じゃない!』って叫んだらしくて。自分がそんなこと言ったなんて、母さんまったく記憶にないんだけどね。父さん、そばに近寄れなかったものだから、出産の代わりに月を撮ってたなんてさ」
「わたしが生まれた時、父さんもいたの?」
「そうよ」
(父さん、わたしが生まれた時、その場にいたのか)
「それから数日間は、名前どうしようかって、ふたりであれこれ考えたんだけど。結局、その晩の満月にちなんで、『望』にしたの」

自分の名前がそんな由来をもっていたことを、のぞみはこれまで知らなかった。へええ、ふううん。貴理子がなつかしそうに話をする様子を、となりでながめながら、わたしもちゃんと父さんと母さんに見守られて、この世に生まれてきたのかと思うと、のぞみは心がふわっと温かくなるのを感じた。

「あれからもう十年以上もたったなんてね」
貴理子が、のぞみの頭をやさしくポンポンと叩いて、それからまた月を見上げた。のぞみも目の前の空に浮かぶ大きな満月を、食い入るように見つめた。わたしと満月。つながってたんだ。
「月ってね、不思議な力があるらしいよ」
貴理子が、話を続けた。
「海の波の満ちひきにも影響してるらしいし、農作物の育ちとか、人の体の水分の状態にも影響してるって、本でよんだことがある」
「わあ」
「ふふふ。もしかすると、のぞにも不思議な魔力があったりして」
貴理子がふざけて笑った。ああ、本当にそんな力があったらいいな。

「そう言えば…」
何かを思い出した様子で、貴理子がパタパタと部屋を出て行った。何だろう。少したってから、四角い箱らしきものを抱えて戻ってきた。
「これ」
貴理子が差し出したものは、黒い正方形の箱だった。
「何これ。どうしたの?」
「あけてごらん」
箱を受け取ってみると、ずっしりと重みがあった。そっとふたを開けると、中には黒光りしている石が入っていた。
「月の隕石」
貴理子が、すごいでしょう?と言いたげな顔で、のぞみを見ている。
「月の?隕石?」
「そうらしいよ。のぞの七歳の誕生日にね、突然送られてきたの。のぞの父さんから」
「父さんから」
「そう。ごめんね、ずっと渡せなかった。父さんのことは、生活の外に置いていたから。のぞの気持ちが混乱したり、ザワザワしたりするかもって考えると、母さん、それを受け止める自信がなかったの」

のぞみは箱の中から、隕石を取りだした。
「これって、本物かなあ」
「さあ、それは分からないけど」
父さんは、これをどうやって手に入れたのだろう。どうして急にわたしにこれを送ろうと思ったのだろう。本人に聞いてみたいところだけど、父さんが今どこで、何をしながら生きているのかも知らないわけだから、聞く方法だって分かるわけがない。

「あと三ヶ月で、十一歳の誕生日だね」
戸惑っているのぞみの様子をチラリと見て、貴理子が話を変えた。
「よくぞ、ここまで大きくなってくれた。ヨシヨシ」
「わたし、優秀な子どもだもん」
「わかってる、わかってる」
貴理子がまたわらった。母さんのわらい方、だんだんばあちゃんに似てきたな。おやすみの挨拶をしてから、貴理子は部屋を出て行った。

今夜は不思議な夜だ。満月が出てて、自分の名前の由来を知って、それから父さんの話を聞かせてもらった。心が一杯で、何も考えられないや。嘘みたい、夢みたい。でも、ここにちゃんと証拠がある。父さんがわたしのことを忘れていないっていう証拠が。

隕石は形がいびつで、ゴツゴツしていた。触ると冷たい。ぎゅうっと握っていると、手のひらの熱が移るのか、じんわりと温かみを帯びていった。石もにぎられてると、気持ちいいのかな。のぞみは、幼い頃、石ころが大好きだった。よく海辺に行くと、丸くてツルツルしたさわり心地のよい石を持ちかえって、一緒にお風呂に入れたりしていた。小さなお守りみたいだった。

「今日から、月の隕石がわたしのお守りだ」
のぞみはワクワクした。自分にも久しぶりに、新しいお守りができた。
「せっかくのお守りなんだから、願い事でもしようかな」
昔、遊びでおまじないの言葉もよく考えてたな。さとこと一緒に魔女ごっこもやってたっけ。馬鹿なことを大真面目にやっていた小さな自分たちの、なつかしい記憶がよみがえってきて、くっくっくとのぞみは肩をふるわせた。今さらやるのか、わたし?五年生にもなって?いいじゃないの。のぞみは語呂の良い言葉を、発音しながら確かめた。いざ、やってみよう。

アブラカタブラ オッタマゲ ナンミョー ホケキョー コッペパン

へんてこな効き目あるかも。満足したのぞみは、スルスルと布団にすべり込んだ。その夜、のぞみは夢の中で、むこうの世界に出かけていった。

(つづく)




この記事が参加している募集

私の作品紹介

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。サポートしていただけるなら、執筆費用に充てさせていただきます。皆さまの応援が励みになります。宜しくお願いいたします。