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023.おいしい人生へようこそ

「おいしい人生」から浮かぶものってなんですか?

「うまくいっちゃってる」「良きせぬ成功」「棚からぼた餅」的なものが浮かんでくる?
それとも「美味しい食卓を囲む日々」的な食の話かしら?

どっちもありです。
初見でどっちに感じるかは、個々の物語。

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ポテトサラダにはリンゴを入れる派か否かみたいな。

料理が好き。というよりも食べることが好き。
料理はそれこそ空気を吸うのを考えないように、育ってきた家庭の味が色濃くでてくる。
わたしんちは、ポテトサラダにリンゴが入っていたの。
結婚して夫の実家のポテトサラダを食べた時に、リンゴなし、隠し味にバターが入っていて「あー、彼がポテトサラダで浮かんでくるのはこの味なんだな」って実感した。
そっか。それじゃリンゴ入ったポテサラにはびっくりしただろうな。
それでも美味しいと言って食べてくれた事にありがとうって感じる。

そんな夫は豚汁にさつま芋を入れて、(私はじゃが芋でしか作った事がなかった)それも最初はびっくりしたけど、今ではさつま芋ありきの豚汁となってる。

そんなふうに料理は変化していく。
それでも食べた記憶はしっかり身体のどこかに残っている。
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隣の芝生の青さより、目の前の空の青さよ

自転車に乗り、進もうとすると目に飛び込んできた空の色。
薄い青に雲がふわりふわりと。
なんという空。今日も世界は美しい。
落ち込んだりもしたけども、私は元気です。そう呟きたくなる。
いま広がる世界の美しさよ。
そもそも比べる意味なんてないのだ。
***
自分を出したら嫌われるのではないかという恐れ

いつかのモーニングページの1ページに殴り書きの字でそう記されていた。
めんどくさいという言葉を口にする際には、みたくないという心の部分が深層心理化にあるという。
ナルトのシカマル・ボルトのシカダイ(親子)の口癖ばりに「めんどくせー」と言うたび、思うたびに、なかったこととして処理されていく物事たちがあるということになる。

「めんどくさい」で捨てられていったおもいは、今どんな姿で私をみつめているのか?そもそもそれはどんな姿となって目の前にせまってくるのか?
気づかないふりは続かない。
そのためにも、自分が欲しいものを明確にしておく必要があるのだ。

おいしい人生へようこそ。
自分を愛せないなんて、おいしくもなんともないから。

今日のひとさじ
愛しのS&Bカレー粉をまぶした鶏肉炒め。キャベツの蒸し煮。カブのお味噌汁。
ブツ切り胡瓜は味噌マヨでいただきます。
イバラキングメロンはお尻に弾力が出てきたら食べ頃なのが待ち遠しい。

夫はzoom飲み会へと仕事部屋に行ってしまったので、コロナビールとラッキーマヨネーズおかきを差し入れる。
今日もありがとう。明日もよろしく。そんなふうに日々は続いていく。

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