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054.今日は好きなだけ本を買う日

給料日だ。この日は好きなだけ本を買う日と決めている。
そうは言っても本は出会いだから、いつでも買っちゃうけどこの日は特別。好きな本屋で本を買う日と決めているのだ。

馴染みの本屋は自分の本棚のような感覚だ。棚から棚へ。最初は新刊本。
それから文庫、雑誌をみて短歌スペースを周るのがいつものコース。

***

そんなある日のこと。
人生で一度だけ、ナンパをした。
その人が持つ本の表紙に大きく「う」の字が見える。

たまらず「その本のタイトルを教えていただけませんか?」と声をかけてしまったのだ。驚いた表情の彼女は、「これです」とタイトルが見えるように本を見せてくれた。
その本の名は「大江戸美味草子」杉浦日向子さんの本だった。

突然声をかけた事を詫び、同じ本を購入。
江戸の記憶を持ったままこの時代に生きているかのような杉浦さんの語り口。
初鰹を食するために奔放する旦那の話。江戸の食文化が粋に描かれて夢中で読んだのだった。

そこに描かれている江戸の文化。

蕎麦の話、天ぷらや鮨の立ち食い屋台なんて今でいう俺の〇〇と呼ばれる店のようだ。
そんなふうに今と昔を感じて読みふける。
なんてことだ、食べるってことは脈々とつながる生きる喜びだってことに気づいて驚く。

ひとりでも生きられる。
仕事に費やす時間は1日の中の多くをしめるけど、それでもこうやって好きな本を買って自宅で読むことは、至福な時間だ。
100%自分の好きに使えるこの時間こそが、僕が僕らしく過ごせる時間でもある。
それでもふと胸にわく思い。
この本の感想を伝えられる人が居たらどんな気持ちなんだろうかと。

自分の好きなものを伝えることには、こうムズムズする思いが湧いてくるのだ。
大切にしているものを気に入ってもらえなかったら、それは自分の否定ではないと分かっていても笑顔のまま、パタンと扉を閉めてしまいたくなるのだ。

この一文にどれだけ勇気づけられただろう。そう思える本たち。
そんな思いまで「わかる」なんてあっさい言葉で上塗りされたくないのだ。

それって自分の感覚に絶対の自信を持っているってことなのか?と自問してみる。
だっせー、思わず声に出してハイボールを飲み干す。

自分の思いを大切にするのと同じくらい、相手の思いに耳を傾けてみたい。
そうだ、それが本音だ。
そこに自分と違う視点があったとしても、それこそが面白味ってものだろうとさえ思うのだ。

***

彼女にまた会えるかなと、それからもたびたび同じ本屋を訪ねるけども会うことはない。
それでも僕は、本を読み続けている。
次に会った時には、この本のどこが好きだったかを聞きたいから。
そして僕がずっと大事にしている本について、君に伝えてみたいから。

給料日は本屋で好きなだけ本を買う日と決めている。
今日もまた新刊本からぐるりと周る。


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