相撲と野球のがっぷり四つ:赤瀬川隼『さすらいのビヤ樽球団』
「ビヤ樽体型」の選手たち
フィリップ・ロスは『素晴らしいアメリカ野球』で、国技である野球の、架空のリーグの歴史を語ることで、アメリカという国が持つ精神性を小説に描いた。
日本でも高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』や小林信彦『素晴らしい日本野球』、赤瀬川隼『球は転々宇宙間』などのフォロワー作品が生まれ、国技ではないものの、国技のように日本国民に愛されるスポーツ、野球を通じて、日本の精神性を表現する名作が出現した。
今回の『さすらいのビヤ樽球団』も、こうした作品と同質の小説であるが、唯一無二の点がある。本当に日本の国技たる、相撲を野球小説のなかに取り入れてしまったのだ。
この小説の主人公ともいうべき、セ・リーグ第7の球団となった、東京ヒポポタマスの顔ぶれはこうだ。
数字は右から、身長、体重、「比体重」という、(体重÷身長×100)で算出した独自の数値だ。カバの名前を冠した球団名に恥じないジャンボサイズの選手たちが、既存の球団、さらにはMLBから2名、角界から高見山大五郎まで連れてきてしまったのだ。
ヒポポタマス球団のオーナー、土肥原作造は子供のころから体躯が肥えており、常にからかわれてきた。戦後、ビール会社で財をなすと(ビール会社というのは、高橋ユニオンズを思わせる設定だ)、やせ形の体型ばかりがもてはやされる、昨今の日本の美的感覚をあらためるべく、「ビヤ樽(ビール樽)体型」の選手ばかり集めた球団を作ってしまったのである。
荒唐無稽な設定のように見えるが、確かに野球は他の球技では類を見ないほど、「ビヤ樽体型」の選手が多い。そうした選手が多いのも、野球の魅力のひとつだ。特に元肥満児かつ、西武ファンの私は、ドミンゴ・マルティネスから中村剛也、山川穂高らの活躍を目の当たりしてきた。現に山川はホームラン後に「どすこーい」というパフォーマンスを行っている。
アメリカにはボー・ジャクソンなど、MLBにはNFLやNBAを両方プレーした、選手が存在するが、それを考えれば、力士と野球選手を兼ねる選手が一人ぐらいいてもいいかもしれない。
Jリーグは(朝青龍明徳を除いて……?)難しいかもしれないが、ジャンボサイズの選手の迫力を最大限生かそうとする、赤瀬川の豪快な文体を読み込んでいくと、「野球なら」とすこし思ってしまうような、そんな説得力がある。
マンガ的な小説のなかにある野球観
この作品に、リアリティがないという批評は的外れだろう。マンガ的、マンガのなかでも、それこそ『がんばれ!タブチくん』のような、ギャグマンガ的な要素が強い小説になっている。
実在の選手の容姿をネタにしたり、メキシコの大投手、フェルナンド・バレンズエラがヘンテコな日本語をしゃべったりする描写は、少々好みが分かれる部分だとは思うが、一方でキューバ代表チームとの国際戦や、今年はじめの、エスコンフィールドの一件を思い起こす、日本のスタジアムと野球規則を論じる土肥原の姿など、「先見の明」が際立つ場面もしばしば存在する。
また、著者の野球観を大いに反映されている。
『獅子たちの曳光―西鉄ライオンズ銘々伝』というノンフィクション作品もある赤瀬川の、中西・稲尾両コーチへのかつての西鉄球団への愛情がにじみ出ている描写や、なによりも作品全体のテーマである、たくましい豪傑たちが小さくまとまることなく力強くプレーする、「野球ならではの美学」を追い求めるのは、野球小説家の第一人者である赤瀬川の、野球への熱すぎる情熱が、厚い脂肪とともに伝わってくる。
野球の中の相撲を見に行く
後半にはヒポポタマス球団の選手たちが、その巨体をいかして、試合後に相撲をとり始める場面もある。確かに相撲の「間合い」は、野球にも似たものを感じる。『仙人の桜、俗人の桜 : にっぽん解剖紀行』という紀行エッセイ本のなかで、『野球の中の相撲を見に行く』と書いたのは、赤瀬川の弟の赤瀬川原平(尾辻克彦)であった。
この小説を10年ぶりに再読して思い出したのは、2018年、NPBにリクエストが導入された際のことだ。導入前には「ビデオ判定をいちいちしていたら、流れが途切れてしまい、興をそぐのではないか」と考えていたが、意外と慣れてしまった。
そのリクエストの現場を初めて見た際、相撲の「物言い」を思い出したのだ。確かにプレーは途切れるが、ビジョンの流れる検証VTRを見ながら客席は「行事軍配通り」か「差し違え」かソワソワする空気が新たに生まれる。リクエスト制度になれたのもまた、野球が相撲が似た「間合い」だからこそかもしれない。
野球小説は数多くあれど、「『相撲小説』でもある」小説に、気づかされることも多かった。
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