記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「小津の東京」から、いびつに遠く離れて:『トウキョウソナタ』/映画の中の東京④

(文章の性質上、複数作品のネタバレを含みます。未見の方は注意してください)


 終戦の8年後の1953年に小津安二郎がメガホンを取った『東京物語』では、戦争未亡人となった原節子を通じて、旧来の家制度的家族の崩壊を描いた。ローアングルショットという”記号”を通して、ヨーロッパを中心に多くのフォロワーを生んだ作品であることは広く知られている。

 『東京物語』からさらに55年後の2008年に黒沢清が監督した『トウキョウソナタ』は、「小津の東京」から徹底的に離れようとしているかにも見える。私鉄沿線に住む核家族を描いたこの映画は、突き放した印象のロングショットや窓ガラスなどの物を隔てての「越し」のショットが多用され、小津的ローアングルとは対照的である。
 ストーリーの上でも原節子が戦争で夫を亡くしたのに対して、『トウキョウソナタ』では長男の貴(小柳友)が外国人兵として米国軍に入隊しようと試みる。「赤紙」から幾星霜を経て、この映画には自ら戦地に赴こうとする若者が登場するのだ。

 

 東京を含めた現代の日本の都市は、近未来的な人工美と色彩豊かな自然美のある風景を矛盾なく共存させている一方で、そこに生活する人間は吐き出す先の無い閉塞感を抱えている。そうしたいびつな姿を黒沢は『大いなる幻影』(1999)や『アカルイミライ』(2003)でも表現していたが、この作品も美しい風景の中に生活する人間の息苦しさが「充満」している映画である。

 健康器具メーカーをリストラされた4人家族の父・佐々木竜介(香川照之)は炊き出しの会場で、高校時代の友人の黒須(津田寛治)と再会する。
 竜介の少し前にリストラの憂き目にあった黒須は、携帯電話をランダムに鳴らす機能を利用して忙しいふりをしたり、退職金が見つからないよう銀行口座を新しく作るなど、あらゆる手を使って家族にリストラを隠蔽する。そうした術を竜介にアドバイスする黒須の姿はとても凛々しくきびきびとしており、「失業」というものから連想する暗澹たるイメージとは正反対のバイタリティを持っている。
 「失業を隠すプロフェッショナル」ともいうべき大きな矛盾をはらんだ彼の姿に、観客は作中の竜介同様戸惑うことだろう。

 そして家族のために「優しい嘘」をつき続ける人間にも、失業さえも正直に言うことのできない人間にも映る黒須は、目つきの鋭い娘だけ遺して、妻との無理心中という形でそのいびつさを自ら崩壊させる(この黒須の娘は子役時代の土屋太鳳である)。
 竜介は同じ境遇の友人として、どうすれば黒須の物事を好転させることが出来たのは最後までわからないまま、彼との交流は永久に途切れる。「答えがないことこそ答え」という残酷なまでにリアリティのある命題を、香川の憂いと緊張を含んだ表情で観客に突き付けてくる。


 黒沢はかつて「あらゆる映画はホラー映画である」と発言していたというが、この作品も例外なく『ホラー映画』だ。
 黒須の家の崩壊をまざまざと見せつけたあと、竜介の一家も不協和音を奏で始める。次男の健二(井之原海)と口論になった竜介は、ついに我が子に手を上げる。それも加害者のみ画面に映したりするような、映画的な「振るったことにする」画面構成ではなく、香川が井之原を直接勢いよく叩き付ける姿が映し出される。  

 この痛々しい親子喧嘩シーンは、最終的に健二が階段から落ちて病院に運ばれる事態にまで発展する。黒須の家の崩壊以上に、残酷で悲しみに満ちた顛末が彼ら家族に待ち構えているのではないかと、観客への恐怖をあおるのだ。現代の社会生活に於いてはどんなお化けやグロテスクな怪物より、家族の崩壊は身近に存在し得る「ホラー」である。

 だがこのいびつな映画は、膨らみ切った恐怖を「あえて爆発させない」といういびつさでエンディングに向かい、やはりラストでも「小津の東京」から離れるようとする。55年前に小津が描いた旧来の家制度的家族が儚く崩壊した様を、黒沢は美しいピアノの旋律で否定する。「家族の崩壊」の「否定」ということは、つまり「家族の再生」である。『トウキョウソナタ』はあたたかな家族の再生を暗示させるラストだ。

 「ソナタ」という音楽形式は、A→B→Aというような、最初の形に戻る曲の形式を指している。進化しすぎた都市生活において、時として閉塞感を感じる場面が生じることもあるだろう。しかし時間の流れの中で失ったものをふと取り戻す瞬間だって、喪失の可能性と同等にあるはずなのだ。
 「家族の再生」と文字に書くと説教くさい教訓じみた響きであるが、この映画は最後まで黒沢の幻想的な映画芸術を失わないまま、彼ら家族のその後を希望を示している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?