「部活」の効能。
こんにちは。久しぶりにnoteを書きます。
最近は公私ともに忙しく、なかなかnoteと向き合う時間を取れずにいました。
さて、「部活」の効能です。
最近仕事をしている時、この感覚は何かに似ている…と思うことがありました。
朝起きて、同じ時間に活動を始める。上意下達の意思疎通。チームの仲間への思いやり。てきぱきと集中して作業を行うこと。
何となくですが、あぁこれは「部活」だな、と思いました。
私は学生時代、いわゆる「部活動」を避けてきた側の人間です。
個人プレーの勉強や漫画ならまだしも、他人と一緒に何かをしてペースを乱されるのが好きではなかったし、そもそも運動が嫌いでした。
楽器を演奏するのは好きでしたが、吹奏楽部に入ることは辞めました。体験入部してみて、人間関係や朝練の煩わしさ、好きな楽器を選べないことなどがストレスだったのです。
また、私は怒られることが嫌いだったので(誰でもそうだと思いますが…)、部活動には「コーチにやたら怒られる」というイメージがあり、なんだかイヤだなぁと思ってきました。
でも最近になって、部活に入っておくと有利なのは確かにあるな、と感じます。
よく言われますが、部活は社会経験です。
それは文字通り、社会を経験することだと思います。
先ほど挙げた、部活の好きじゃない要素は、きっと私だけじゃなく誰しも大なり小なり「好きではない」ことだと思います。
みんな自分の好きなことをしたいし、好きな人とだけつるんでいたいし、自分の好きなように時間を使っていたいし、褒められたいのです。
でも、実際の社会では、常にそうは言っていられない。
好きな仕事を選べないのは当たり前、チームの人とそりが合わないことも、上手く結果が出せずに叱られることもままあります。
だからこそ、それが「多少なりとも苦ではない」という人間はどこでも有り難がられます。
子どもの頃は個性や希望が尊重されますが、みんながみんな好き勝手に生きていたら、社会は回らなくなってしまう。
成長過程でその建前と実際の違いを身をもって経験しておくことは、大きなアドバンテージになると感じました。
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私は最近、「この人はとても仕事ができるな」と思った時、さりげなく学生時代のことを聞くようにしています。大抵が、厳しさや自主性を求められることで有名な部活動に属しています。
「この人のこの長所は、この活動で磨かれたのだな」と、そういう時は思います。
決して自分を卑下するわけでもなく、部活に入らないとダメという意味でもなく、単純に、その人の背景に部活という経験が見えて、納得するのです。
私は、社会に出てから周りを見ていて、自分を子どもっぽいと感じることが多く、焦りがちでした。
でも、部活という経験に気づいて「なるほど、この人はこういう訓練を積んでいるのだな」と思うことで、客観的に受け止められるようになりました。
もちろん、部活動がいつも素晴らしいわけではありません。
前述した「好きじゃない要素」は、状況や人によっては深刻なダメージを受けます。
チームメンバーも顧問の先生もガチャです。バスケがしたいと思っても、複数のバスケ部から選ぶことは出来ません。
更に、上記の理由で深刻なストレス下におかれても、その状況に自ら気づいて距離を置くことは難しいでしょう。
初めての社会経験のうえ、学校という閉鎖空間で行われているものだからです。
このような理由から、私は私自身の人間性を鑑みて、部活には入らなくて正解だったと思います。
けれど、時には他の人が訓練していることは、私にとって相対的に「訓練していない」ことになることがあります。
そういう時、ただ「今」という点を比べて落ち込むのではなく、その人の背後にある経験を思うことで、自分を前向きに捉えられます。
「あぁ、私は部活で鍛えられるような、理不尽や好きじゃないことをすることや、叱られた時の切り替えや、チームの人に気を配ることが得意ではないんだな。だからこれから少しずつ訓練しよう」となります。
今日はそんな「部活の効能」があることを知って、また少し解像度が上がった日でした。
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心の中を整理できないとログが溜まってくるようで、こうして定期的に吐き出さないと自分はダメになるっぽいです。
では、今日はこんなところで。
時人
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