応用は出来るのに基本問題でミスをする人のための話。

昔から、応用問題で点が取れて、基本問題でミスをする子どもだった。

塾の先生に「なんで~?」と言われるたびに、ちょっと嬉しくなったことを覚えている。
「なんで能力があるのにこんな勿体ないミスをするの?」と言われている気がして、普通に誉められるよりも嬉しかったのだ。

「優秀なのにケアレスミスをしてしまう自分」というキャラ付けを気に入っていたのだと思う。


社会人になっても、私の傾向は変わらない。

簡単なほうれん草でミスをするのに、難しい資料は頑張っていいカンジにまとめる。普段の業務報告ではカチコチに緊張するのに、準備して臨んだプレゼンでは堂々と言うべきことを話せる。

そんな自分をどこか誇らしく思うところがあった。

やるときはやるヤツです、なんてイメージに酔っていたのだ。

しかし、先日上司と話をして、どうやら自分は同期の中でちょっと評価が低いみたいだぞ、ということが分かった。
(はっきり言われたわけではないけれど…)

話を聞いた直後は、理由が分からなかったけれど、落ち着いて考えるとよく納得できた。

そこで思い出したのは、同期で一番優秀だと言われた人のことだった。

彼は、私よりもずっと小さくて地味な仕事の担当だった。
私は比較的派手な業務を任されていて、その内容の多様さや自分のアイデアを盛り込んで提案できる部分が性に合っていた。
一方、彼の仕事は創造性を働かせる余地はあまりなく、既に決まっている範囲を漏れなく確実に進める必要があった。私は、一定の内容をきちんと確実に進めることは苦手なので、彼のことはとても尊敬していた。しかしその一方で、内心では、私の方が難しい業務を任されているという慢心がないわけではなかった。

しかし、私の内心をよそに、同時期に入社した彼は、その仕事をしっかりと着実に、ミスなくこなし続けていた。
そのうえ、担当している範囲を把握すると、今度はその周囲にまで理解を進め、相手が1について尋ねた時にはそのニーズを予測して、2も3も先回りして伝えるようになっていたのだ。

私が幅広い業務への対応に追われ、たまに難しい仕事を頑張ってみたり、単純ミスをしたり、しなかったりやっているうちに、彼はいつの間にかその業務の「第一人者」と呼ばれる人間になっていた。

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「昼行燈」が許されるのは、二次元の世界だけ

いつもは危なっかしいけれど、ここぞという時はやってくれる。

フィクションの中にはそういうキャラクターが時々登場する。大抵は実力者で、そのうえ茶目っ気もあるので、人気が高い。

私は、心のどこかで自分のミスを、そんな人気キャラクターの「個性」のように思っていたと思う。

学生のうちはそれでもよかった。
テスト前に勉強してないと謙遜をする人と同じように、「そういうキャラ」には処世術として一定の効果があった。

けれど、当たり前だが仕事は勉強ではない。そこには他人に対する責任が伴う。

だから、「打率低いけどたまにホームランします」では、困るのだ。

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私はこれを理解しないまま、頭のどこかで「難しい仕事でこれだけできていれば、普段少しくらいミスがあっても優秀だと思ってもらえるに違いない」と思い込んでいた。
勘違いも甚だしい。これを書いている今、すでにかなり恥ずかしくなっている。

仕事は良くも悪くも、歯車としてほかの人たちと絡み合いながら物事を進めていくことが求められる。
そのとき、歯車はしっかり回って、次の人に確実に成果を手渡していかなければいけない。回ったり回らなかったりする歯車は、不良品になる。

予測不可能は、その人を使う側から見ればリスクでしかないのだ。

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仕事では、まず小さなミスを減らしていくことこそが大事だ。

テストのように、応用問題が解ければ良いということはない。

「ものすごく出来のいいプレゼン」だの「画期的な企画書」だのを作って華々しく活躍することを夢見ているなら、今すぐそんな幻想は捨てるべきだ。

求められているのは、まず、当たり前のことを当たり前にこなせるという、ごく普通の能力なのだから。


そんな当たり前のことに今ながら気づいて、深く反省した最近でした。

時人

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