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春がおそろしくてバイトを休んだ


今日は朝から調子がよくなかった。アルバイト先に遅刻の連絡をして、心を立て直すために公園でミルクティーを飲んでいた。

ふと、花壇のパンジーとスイセンに目が留まる。そのとき、今日は快晴でぽかぽかしていて、まるで春のような日だ、と気づいた。

クラクラした。

もう春がここまで来てしまった。

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春は苦手だ。
なにもかもが浮かれていて、鬱である自分が置いていかれる気がする。

春夏秋冬のうち、夏は暑いから滅入っていてかまわない。秋はしんみりした季節である。冬は日も短いし、鬱になるにはいちばん向いている。

でも春は希望にあふれていて、明るくて、まぶしくて、鬱とは真逆の季節なのだ。

ということを毎年思っているのだけれど、今年は特に滅入る。躁の影響が入っているからだ。
躁の症状のひとつに、感受性がとても強くなることが挙げられる。ちょっとした街角の広告で泣いてしまう。たとえば受験生を応援する広告を見たときはひどかった。

その影響で、今年は春のおそろしさをいつもより強く感じる。道端の花を見るだけで涙が出てくる。

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ところで、「春へのおそれ」というときは「恐れ」ではなく「畏れ」のような気がする。

③かしこまること。敬意。
広辞苑 第六版

広辞苑には、「畏れ」という表記をする場合の意味がこのように書かれている。

人間の力は到底及ばない、自然という力に対する恐怖心。それはある種の敬意を内包していると思う。

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結局アルバイトには行けなかった。

春というどうしようもない怪物がやってくる。私は部屋で丸まって、夏になるのを待つばかりである。


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