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新型コロナ対策に関する政府と都道府県の対応

 2020年1月29日、武漢市から第一便のチャーター機が戻ってきた時、2012年に成立した新型インフルエンザ等対策特別措置法を適用すべきだった。

 その特措法の改正が成立したのは3月13日。さらにこの法律に基づいた具体的な対策が決まったのは、習近平の来日が延期になり、東京五輪も延期が決まった後の四月になってから。

 政府が打った手のうち、最初に全国に大きな影響を与えたのは、安倍首相が全国の学校に対して行った「一斉休校の要請」だった。

 この「要請」には法的根拠がなく、そもそも総理大臣には休校を要請する権限はない。報道で見る限り、首相の「要請」について公の場で法的根拠を問いただした人はいなかったのではないか。

 この安倍首相の行動に影響を与えたと思われる動きがあった。春節に中国からの来訪者が多かった北海道では、感染拡大がいち早く進み、教員まで罹患する事態となった。危機感を抱いた鈴木知事は道教育委員会に一週間の一斉休校の検討を要請した、同教育委員会は、臨時休校措置を決定し、道内の市町村教育委員会にも臨時休校の要請をした。この対応は非常に評判が良かったという。安倍首相はそれにならったのかもしれない。

 この安倍首相の「要請」を受けて、ほとんどの知事が休校を決定した。しかし2000年に地方分権改革一括法が施行され、国と地方の関係は対等となっている。総理大臣といえども、地方自治体を従わせるには法的根拠が必要だった。

 しかし、実は、知事にも休校を決める権限はない。都道府県立学校は都道府県の教育委員会が、市区町村立学校は市区町村の教育委員会にある。しかも教育長が教育委員会議を開きもしないで、教育長の専決処分にしたところもあった。これは会議を開く暇ないなど、例外的に教育長が単独で決められる仕組みだ。この時、時間はあったのではないか。さらに、休校にするというなら、教育委員会自身が公表しなければならないのに、知事や市長が発表していた。

 要するに、「一斉休校」に関していえば、何の権限もない首相が要請し、何の権限もない知事や市長が事実上の決定をするという、完全な無法地帯になっていたのではないか。

 文科行政ではよくあることだが、文科省は自治体の教育委員会に直接ものを言ってくる。そうしたときに防波堤になるのは、本来は知事や市区町村長のはずだ。ところが今回は、知事が率先して総理大臣や文科省に同調してしまった。そうした中でも、島根県は唯一県立学校を休校にしなかった。当時の感染者はゼロで、丸山知事が当面大丈夫だという趣旨の発表をしていた。他にもごく少数の市町村が休校にしなかったが、ほとんどの自治体が何も考えないで首相の要請に従っていた。

 その一つの原因は知事が法的な問題を論理的に考えなかったから。もう一つは、休校せずに学校を開き続けた場合、もしクラスターが発生したら、「それ見たことか」と住民に言われかねない。無難にいうことを聞いておこうという保身の心理が働いたからだろう。

 首相が「一斉休校」の要請を行った翌日の2月28日、鈴木知事が独自の「緊急事態宣言」を出した。しかし、この「宣言」にも法的根拠はなかった。本来特措法では、緊急事態宣言を出すのは国の役目だ。しかし、法改正をしなければ適用できないというスタンスをとっていた。四月の習近平来日、東京五輪の開催延期がまだ決まっていない時期だった。

 ところが北海道の感染状況は明らかに緊急事態宣言を発出する要件を満たしていた。そこで鈴木知事はやむをえず、法的根拠のない「緊急事態宣言」を出すという選択に至ったのではないか。しかも、道庁内や市町村長らと事前に調整した形跡のないものだった。

 しかし、この鈴木知事の独断は「英断」と称えられた。安倍首相もその人気にあやかろうとしたのではないか。

 この法的根拠のない「英断」は危ない橋と隣り合わせだ。企業や店が倒産して、北海道が訴えられた場合、道庁は負ける恐れがある。そうなったら、住民監査請求や住民訴訟で「知事が弁償しろ」と追及される可能性がある。

 新型コロナの感染症対策は、特措法で、まず、国が基本的な対処方針を定め、事態の推移によっては緊急事態宣言を出す。その宣言のもとで、都道府県知事が一定期間、一定の区域で、私権の制限に及ぶ権限を行使したり、その他の権限を行使できるという仕組みになっている。しかしあくまでも都道府県が中心になるのであり、政令指定都市でも県の下請けの役割しかない。

 この特措法に基づく緊急事態宣言は、対象エリアを市町村単位、あるいはそれよりさらに狭い区域にして出すことができるようになっている。例えば、東京都の奥多摩の山間部の町村や、島嶼部を外して宣言を出してもよかった。しかし、知事がやるとどうしても都道府県一律になってしまいがちだ。

 そもそも現在の都道府県の区域は、感染症対策の観点から区分されているわけではない。便宜的に県境が引かれている区域もあるので、人の動きや流れとは必ずしも一致しない。さすがに感染症対策を都道府県単位で行う科学的根拠は乏しい。しかしこのことは国にも都道府県にもよく理解されていない。

 ともあれ、感染症の流行地域と都道府県の区域には合理的な関係がなく、しかも特措法でもわざわざ市町村単位で緊急事態宣言が出せるようにしてあるのに、市町村単位で宣言を出した方がよいという発想はどこにもなかったようだ。

 ただ、保健所制度はいま過渡期にある。全国を一定の基準で区分けして配置するという形にはなっていない。都道府県が原則だが、政令指定都市や中核市、さらに東京都特別区ではこれらの自治体が設置することになっている。

 現状では、保健所単位で感染症対策を行うのは狭すぎるのではないか。保健所が受け持つ仕事のうち、身近な生活習慣病対策や健康づくり、子育て、高齢者の介護予防などは、市のエリアで行った方がむしろ望ましい。しかし、感染症対策は複雑で広域に渡るので、その時々の実態に合わせてエリアを判断するしかないのだろう。

 政府が最初に七都道府県に緊急事態宣言を出したとき、愛知県は対象にされなかった。政権担当者は、愛知県の大村知事が政府へ陳情に来るとでも考えたのだろう。しかし大村知事は自分たちで独自の宣言を出すと決めた。これに合わせて隣の岐阜県も独自の緊急事態宣言を出すことを決めた。これには政府は慌てたのではないか。政府にとって都道府県が「勝手にやります」と言われるのが一番困る。政府は地方自治体に頼ってほしいのだ。

 こうした騒動を見ていて、政府で新型コロナ対策で対応にあたっている関係者には対応不足があった。一方、現場で責任を持っている知事は、現場を踏まえた対策ややるべきことをやらなければならなかった。

 特措法では感染症の流行前から国や都道府県が「行動計画」を作っておくように定められていた。しかし一般にこの種の計画はだいたい国から雛形が流れてくるのが通常で、それをなぞって無難な形に仕上げ、国に提出し、その後は改定しないのが通例というようなことが横行してきた。庁内のほか、監査委員や議会もチェックをやったらいいのだが、それも機能しているとはいえない。

 もし特措法で定められた計画づくりの段階で、大学、行政の外郭団体、NPO法人など地元の専門家らと具体的な想定をしながら検討し、計画作成にあたっていたら、マスクの備蓄や、PCR検査などの準備で、また違った対応になったのではないか。

 ただし疫病対策を含む保健行政、厚生行政は多くの知事にとって不案内な分野で、保健所や衛生研究所といった組織にはなかなか光が当たらない。大規模な土木系公共事業に比べて、地味で目立たない保険衛生行政に関心は一般に薄い。こうした分野で知事が国の指示待ちになりがちなのは、そんな情けない背景もあるのかもしれない。

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