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黄鴬睍睆




どこか遠くで鳴き声がする。




瞼に感じる柔らかな日差し。
少しの埃臭さと、頬に当たる畳のややひんやりした感触。
両手足を投げ出して、やけに響くその音に耳を傾ける。


「またこんな所で寝て…」

「寝てないよー…」


少し大きめのため息と共に、周りの空気がふわりと動く。
ゆっくりと瞼を開けると、私の傍らに山積みにされていた洗濯物を母が一つ手に取ったところだった。
仕方なく起き上がり、その山の中からタオルをひっぱり出して手に取る。


「ねぇ、お母さん。」

「なぁに?」

「あれ、なんて鳥だっけ?」

「え?」


てきぱきと手際よく動いていた手を止めた母と2人耳を澄ます。

しばらくして先程より大きくなったチーチーチーチッ、という鳴き声。


「あぁ、メジロね。」

「メジロ…」

「ほら、あそこ。」 


母の指先に導かれるように外に目を向けると、庭先の木の枝に緑色の鳥が一羽とまっていた。


「あれウグイスじゃないんだ…」

「そうね。似てるけど、目の周りが白いのはメジロ。ウグイスはめったに人前に姿を見せないから。」

「お母さん詳しいね。」

「昔おじいちゃんが教えてくれたのよ。」


 
ふふん、と得意気に笑った母は再び手を動かしだす。
私が物心つく前に病気で亡くなった母方の祖父。
写真でしか見たことのない祖父はどこか険しい顔をしていて、厳しそうな人、という印象だった。


「おじいちゃんは鳥が好きだったの?」

「そうね。中でもウグイスが好きだったかな。」

「どうして?」

「ウグイスは春を告げる鳥だからよ。おじいちゃん、寒いの大嫌いだったから。」


寒いのが嫌い。
これまた厳格そうな祖父の意外な事実。

私と祖父が一緒に写っている写真はほんの数枚で、映像は残っていない。

今も元気で生きていたなら、私にもメジロとウグイスの違いを教えてくれただろうか?


「好きなのにめったに姿見れないなんて、なんかちょっとかわいそう…」

「そうね…でも、うちにはウグイスいたから。」

「え?そうなの?」


絡まっていたトレーナーの袖をほぐし終わった母が顔を上げ、こちらを見て微笑む。


「初音。」

「なに?」

「初音って名前はね、おじいちゃんがつけたの。」

「おじいちゃんが?」

「そう。ウグイスがその年の春に初めて鳴く声を初音っていうの。」





春を告げる鳥の、最初の鳴き声。





「おじいちゃん、初音が産まれるのをすごく楽しみにしてたのよ。」




あんな目が垂れ下がったおじいちゃん、見たことなかったなぁ、という母の笑い声を背に振り向く。

遺影の隣に飾られた、ほんの気持ち程度眉間の皺が少なめな祖父に抱かれているしわくちゃで小さな私。


その腕の温もりも優しさも、何一つ覚えてはいないけれど…

この大切な想い出は一生忘れない。






立春

黄鴬睍睆(うぐいすなく)

山里などで鴬がその美しいさえずりで春の到来を告げる頃。

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