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霜止出苗


カチャリー…


静寂を壊さないよう、そっと鍵を回す。
確認のために一度だけドアノブをゆっくりと引き、施錠を確認してからその場をあとにする。


寝静まったままの町はとても静かで、軽く地面を蹴る音と浅い呼吸音だけが空気を震わす。

昨日降った雨が作る水溜りを交わしながら歩く道は私達以外誰もいない。


舗装された道路を抜け、しばらく進むと開けた場所へ出る。


濡れたアスファルトの匂いが湿った土の匂いへ変わった。
朝晩の冷え込みもなくなり、足を傷つける霜も見当たらない。

道を挟んで左右に広がる田んぼには青々とした苗が几帳面に並んでいる。
それまでリズミカルに進んでいた相棒は時折足を止め、草むらに顔を突っ込んだりしきりに地面を嗅ぎまわったりしている。


「なんの匂いがするのかなぁ…」


傍らにしゃがみ込み、目線を近づけてみる。
何がそんなに彼を夢中にさせるのかは分からなかったが、こちらを一瞥した後そのまま地面を嗅ぎ続ける相棒の首元を撫で、顔を寄せると何やら香ばしい香り。

昨日庭で思う存分日向ぼっこをした名残だろうか、お日様の匂いと乾いた土の匂いがした。

満足げに大の字になっていた寝姿を思い出し1人笑っていると、きょとん、とした顔でこちらを見つめる黒い瞳。


鼻の頭近くの毛が少し白くなってきた。
急にリードをひっぱることもないし、ドックフードの種類も変わった。

まだまだこうして一緒に歩いていたいなぁ。

そう願いを込めながら撫でてみても、当の本人は気の抜けた顔でこちらを見ている。 


「う〜〜〜〜!こいつ〜〜〜〜〜!」


わしゃわしゃと撫でると、なんだ!?なんだ!?とテンションが上がったのか凄い勢いで尻尾を振っている。
無邪気なところは相変わらずだなぁと、些細なことに安堵し、帰ろうかと最後に頭をポンポンと撫でて立ち上がったその時。






「うわぁ…」






遥か彼方が赤く燃えている。


夜と朝の狭間。


辺りはしん、と静まり返っていてまるで時が止まっているかのように感じるのに、グラデーションに染まる空がゆっくり確実に朝を連れてきているのを感じる。


「春は曙…。」


視線を落とすと、同じように空を見つめている相棒。
じーっと見つめるその姿が堪らなく愛しい。

「まだまだ色んな景色見に行こうね。」

カリカリ、と鼻の頭をかくと気持ちよさそうに目を細める。

次第に明るくなる空に照らされキラキラと輝く青苗のように、この小さい相棒の成長も楽しんでいこう。





穀雨

霜止出苗(しもやみてなえいずる)
作物の大敵である霜が降りなくなり、稲の苗など植物が生長する頃。

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