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国語の女王と呼ばれた子供の、そのあと

国語が得意だった。得意だから好きになった。たぶんそういう順番だったと思う。小学校のころ、国語の女王というあだ名を担任の先生からもらった。理由は覚えてないけど、おそらく、テストが毎回ほぼ満点だったからだと思う。順位が出るようになってからは、国語現代文古文(漢文含む)は常に学年5位以内だった。頑張らなくても高得点が取れたので、テストは気楽だった。センター試験では、過去問でも本番でも185点以下を取ったことはなかった。だから、得意と呼んで差し支えないと思う。

古文漢文は知識ゲーの要素があったから少し緊張したけど、現文は、漢字以外は感覚で解けた。だからか、解き方を誰かに教えるということができなかった。大人になったいまでも、解き方を言語化するのはむずかしいなと思う。国語の先生は凄い。解けるのと教えられるのとは全然別の能力だ。無意識にそうやって敬意を持っていたせいか、国語の先生たちのことは、名前は忘れても顔はちゃんと覚えている。

大学に入るときも、好きを優先した。同じ大学の文学部と法学部に受かっていて、最初は法学部に行こうと思っていたのだけど、いよいよどちらかを選択する期限の前日、ふだん子供の選択を受け入れてくれる母親が、せっかく4年間勉強するなら好きなものを勉強したほうがいいんじゃないかと助言してくれた。それを受けて、自分でもあっさり、それもそうか、と思って文学部に変えた。そして、この世で一番好きな小説を研究して卒論を書いて卒業した。就活のことなどを考えれば、実用性が高かったのはたぶん法学部のほうだったと思う。文学部は就活市場でそう価値が高くない。特にわたしみたいに文学の研究をしてましたなんていうのは、企業からするとぜんぜんなんのポイントにもならんだろう。でもわたしはこの選択を、新卒の就活に苦しんでいたときも転職時も再就職のいまも、後悔したことはない。子供のときからの好きを貫いたことは、結果として自分のなかに誇りを生んだ。本が好きで、文章を書くのが好きで、国語が大好きだった。最終的にその思いに救われた。

考えてみればわたしは国語に、いい思いしかさせてもらっていないのだった。授業で作文を書けばほめられ、音読が上手だとほめられ、テストの点がいいとほめられ、見栄っ張りできにしいなだけの性格まで感受性が豊かだとほめられ、ほめられっぱなしだった。ほめられるのが好きなわたしは、優越感と誇らしさでいっぱいになった。その記憶を、28歳になったいまもわたしは、ずっとだいじなものとして持ち続けている。

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