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自分の好きな顔、好きな恰好で、生きていく

MAD TRIGGER CREWの「シノギ」の左馬刻パートの歌い出しが、『顔で食ってる商売なんだよこちとらヤ○ザ者』なんだけど、この「顔」、メンツって意味だろうなってわかってるのに、左馬刻の顔面が美しすぎるせいで、聴くたびに、「ああ……たしかに素晴らしい御面相でいらっしゃいますもんね……そら顔でメシ食えますよね……」と毎回頭の隅でうっすら考えてしまう。サマトキサマは自分のツラがいいことなんか当然わかりきってるだろうし、そんな(彼にとっては)瑣末なことをわざわざリリックにはせんだろうけども。

22〜26歳のなかばくらいまで、外見のことに物凄く悩んだ時期がある。美人じゃない自分が耐えられんというか、自分の外見のよろしくないところばかりが見えて、自分の顔も体も全然好きじゃなくて鏡見るたびにダメ出しばっかりしていた。原因はいろいろあったけど、いま思えば、ジャニーズにめっちゃどっぷりハマってたことが関係していると思う。ジャニーズは、アイドルなんで当然ながらだいたい美男である。ふたりいる担当にガチ恋だったので、あんなきれいな人たちに選ばれるには、外見がきれいなことが最低条件だよなあと思って、ものすごくせつなくなったのだった。それにジャニオタって可愛い子めっちゃ多くて、現場行くとすくなからず引け目を感じた。可愛い子にしかファンサしないアイドル(※わたしの担当じゃないがまじでいる)の話とか聞くと、やっぱり顔かよ〜〜とやるせない気持ちになったのを覚えている。顔の良さがそのまま人間の価値に直結するという、いわゆるルッキズムに神経が侵されていた。

その強迫的なこだわりがなくなったきっかけは、皮肉にもコロナが蔓延したためだった。コロナが広がったことで、コンサートも舞台も中止もしくは延期になり、すべての現場が潰れた。最初はかなしかったが、しばらくして、わたしは自分の外見にマルをつけられるようになっていることに気がついた。時代の流れとして、「他人の外見についてあれこれ言うのは失礼(褒めていようが貶していようが)」という風潮がすこしずつ浸透してきたのも大きかった。現在騒動となっている渡辺直美さんの例を出すまでもなく、海外では他人の外見についてあれこれ口にすることは下品かつマナー違反である。どんな顔、どんな体型であろうと、言及されるべきではないのだ。

そしていま、脚が太いことも、下腹が出ていることも、鼻が大きいことも、頬の肉が落ちないこともほとんど気にならなくなってきた。化粧にもふたたび力が入り、「自分の好きな顔」を作ってはひとりではしゃいでいる。服にも熱が戻った。誰がなんと言おうと、わたしは自分が好きな顔で、自分が好きな恰好で生きていくのだ。

(今日のBGM)
MAD TRIGGER CREW「シノギ(Dead Pools)」

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