豆まきの思い出

節分だ。春だ。うれしい。
こういう季節行事があるとがぜん張り切るたちなので、同居の家族に「今年は恵方巻は食べなくていいか」と言われてちょっとおちこんでしまったのだった。

「豆まきもしないの?」わたしがまさか、というような口調で訊くと、「いいんじゃない?」とのんびりした返事。「駄目!」そうこたえてから続けて、仕事帰りに自分で買ってくると宣言した声は、自分でもおどろくくらいきっぱりしていた。

宣言どおりに仕事終わりにスーパーへ駆けつけてみると、豆たちはそろって半額になっていた。今日が終わるとお役御免になるからか。なんだかむやみに気の毒な気がしたが、とりあえずいちばん小さいのを買って帰る。ついでにさつまいもとおからパウダーとビフィックスの脂肪ゼロも。わたしはすべてのヨーグルトのなかで、いちばんビフィックスが好きだ。むかし給食で食べたコアコアみたいな味がする。

子どものころから、家族のなかで豆まきはわたしがいちばん熱心にした。江國さん(作家の江國香織さん)のように、豆まきのときに「鬼は外」の掛け声に合わせてタイミング良く窓を開閉してくれる妹(あるいは夫)を持たないわたしは、庭に出て小さな声で鬼は外、と言いながらまいた。姉も子どもだったときはいっしょにやっていたが、大人になってからはついぞやらなくなった。みんないつやめるのだろう、と思う。やりたいのにやらないのか、そもそもやりたいと思わなくなるのか。

やめたいと思わないわたしは、すっかり大人になってしまったいまも、毎年豆をまいている。子どものときはいっしょに庭に出てくれた姉も母も祖母も、もう出てきてはくれない。さびしさとすがすがしさをいっぺんに味わいながら、ひとりで豆をまく。コンクリートにあたる豆の音と、自分の低い声がいう小さな「鬼は外」をきく。鬼を払うために巻かれた豆たちは、翌日には鳥の餌になっている。

家のなかにもまく。部屋にまくとあとがたいへんなので、廊下に。「福は内」少し声を張る。そして廊下にしゃがんで、豆を拾う。ひと粒ずつ。そうしているとまた思う。みんないつやめるのだろう。どうしてどうでもよくなってしまうんだろう。いつからそうなるんだろう。責めるような、どうでもいいような、そんな気持ちで豆を拾う。ことしもきっとそう。すべておえて、そしてわたしはひとりで、家を守った気になって、誇らしくなる。そんな子供じみた達成感が、きっと、わすれられないのだ。

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