仕事の未来がどうなるのか考えてみた

ミヤケです!
介護の未来を変え、もっと幸せを感じられる社会の実現を目指しています。

さて、都内は雨模様の土曜日です。
こんな日は、息子の寝顔でも眺めながらボーッとしたいですが、昨日もらった刺激を絶やさないためにも書き残しておこうと思います。

昨日、久しぶりにある若者と会いました。
緊急事態宣言の最中なので、ほんの1,2時間程度でしたが、濃密な時間を過ごせました。
その中で一番盛り上がったのは、
「介護の仕事がどんな未来になるのか」
でした。
人手不足やテック導入などの動きはありますが、
もう少し広い概念で、「そもそも”仕事”の未来がどうなるのか」を介護に囚われず、話をしてみました。

・自分の仕事はどうなるんだろう?
・今目指している仕事、職業はどうなるんだろう?

こんな漠然とした不安や疑問に、少しでも光になれるような内容であれば嬉しいです。

「売上をどう上げるか」という泥沼と手近な解決策

”仕事”という話題といつも関連づけて上がるキーワードは「お金」「給与」です。

以前給与に関してこんなnoteを書きました。

この中で「給与の原資」について書きました。
給与を上げるためには、原資となる「売上」そして「利益」が必要です。

仕事が今後どう変化していくのかを考える時、「給与はどうなるの?」の問いは避けて通れないものです。

今回その若者を話している時
「介護保険収入以外の売上をどう上げるのかって話になりませんか?」
という疑問をもらいました。

至極真っ当な質問だと思います。
売上のMAX・アッパーが決まっている介護保険事業に関して言えば、「金銭的未来」を描けない状況であることは誰の目にも明らかです。

そういった疑問を、全国の経営者が解決するため様々な施策を講じています。
例えば、
・加算を取ることで介護保険収入を上げる
・物販、サービスなどの保険外収入で細かく積み上げていく
など。

そして、売上の数字を上げることに焦点が行き、中にはそれに囚われ過ぎて「長時間労働」「サービス残業」を悪意なく常態化させるなどが起こります。

利益構造のジレンマ

給与ともっとも直結するのが、「利益」です。
利益が出るから賞与がアップさせられる、昇給できる、といったモデルも大きなジレンマをはらんでいます。

もちろん介護事業においても利益が伸びれば給与を上げることは可能です。
しかし、固定費に占める人件費の割合が多い介護事業において、「利益が出る=労働時間が短い・時短」であることがキーファクターになってきます。

そうなってくれば、残業が減ったり、夜勤の時間が減ったり・手当が下がったりしかねません。

要するに、

・人件費の変動には「利益の変動」が不可欠
・利益が変動するには「労働時間が変動」する必要がある
・労働時間が変動すれば、「実所得や手当が変動する」

となります。

ここでもやはり、介護事業の性質上昇給をさせることが難しくなってきます。
もちろん、少額であれば可能ですが、一年で月¥10,000円上昇とかはほぼほぼ無理ゲーです。

仕事に求めることは何か?

ここまで考えると、「介護はお金が儲からない仕事である」と言えるかなと思います。
これに対しての僕の考えは、「概ねイエス」です。
財政状況や社会保障のシステムを考えても、介護職サラリーマンがノンタイトルで「月給50万円」とかは未来永劫なさそうに思えてきます。(未来はわかりませんが)

ここで、昇格ではなく、もう少し抽象化させて「仕事とは何か?」を考えてみたいと思います。

皆さんにとっての「仕事」って何ですか?

・お金を稼ぐため
・みんなが普通にすること
・義務

そんな答えの方が多そうです。
OECDの中でも日本は「仕事の満足感」がダントツの最下位なので、「仕事=苦痛」「仕事=楽しくない」と考えている人の方が多いし、当然です。

しかし、本質的には違うはずです。

やりたいこと・・・までいかなくても、やってて辛くない、やってて面白いと思える時が多い、

つまり、自分らしく居られることが、本来求めている仕事なはずです。

僕のチームでの立場上、「仕事はお金じゃない!」とは言えませんが、でも、お金じゃない・・というか、

お金も含んだ、自分らしく居られること

だと思います。
今の給与の10倍もらえるけど、一番やりたくないことができるかと言われれば、実は多くの人はできないと思います。

自分らしく居られる

それを僕のチームでは、
・幸せに働ける
・楽しく働ける
・仲間と仲良く働ける

を理念に掲げ、メンバーと一緒に作り上げています。

子どもが熱を出せば、みんなで代わって上げるし、
休みの日にお菓子を持って立ち寄り、世間話をして、お茶して、帰ります。カフェかよ。

賞与の検討をしてみようかと提案すれば、
「皆んなで鍋しませんか?」と提案される始末。

もちろん僕がそれらを強要するわけもなく、
何なら僕の方から「賞与ほしくね?」と提案したりします。
でも、僕もまた、子どもと妻を連れて、職場に遊びに行くわけです。

「仕事とは、自分らしく居られること」

貧乏人の生存戦略とかではなく、シンプルにそうなんじゃ無いかと思っています。

仕事は「戦後の配給」に近づいて上昇する

業務に対して、「金銭報酬」で報いる世界は変化してくるんじゃ無いかと思うんです。

変な宗教的発想とかではなく、結構マジで思ってます。

例えば、

給与は変わらず支払われる。
昇給ではなく、「米」「野菜」「果物」が支給される。
ボーナスではなく、チームメンバーと家族で田植えにいく。そしてそのお米を少しだけ分けてもらう。

こんなことだって、メンバーが求めれば実現するわけです。

何が言いたいかというと、
もちろん一定水準以上の給与を支払う上で、
「ここにいれば、生活はしていける」
「ここにいれば、子どもたちにいろんな体験をさせられる」
そんな報酬があってもいいんじゃ無いかと思います。

配給、じゃ無いですが、生活インフラの一部になり、
最低限の生活は確実に見えている状態であれば、
給与は嗜好品や自己投資に使えるわけです。

数字(金銭報酬)を上げていけば、キリがありません。
20の次は、30。
50の次は、60。
と、数字は増えていく方がいいに決まっています。

でも、人間はそんな単純な生き物ではないと思います。

自分の楽しいこと、やりたいこと、それが実現できる。

「自分らしく居られる」職場作りがこれから求められていくと思います。

忘れたくない矜持

最後に。

僕は、事業・メンバーを預かっている立場として、これだけは忘れたくありません。

「給与は上げる」
「賞与はできるだけ沢山出したい」
「金銭の一定の満足感を満たすまでは、追い求める」

チームを率いている者の矜持として、
絶対に忘れたくはありません。

明るい未来のために。


<終わり>


シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。