知らんオヤジのめんどくさい話
「これはな・・教えてやろう!」
くどくどくどくど・・・・・
街で「知らんオヤジ」に話しかけられることって減ってきましたよね。
田舎育ちで、今も都内とはいえ下町に住んでいる僕の周りにはまだ僅かですがあります。でも少ないです。
「ヒラメとカレイの違いを教えてやろう!」
「戦国時代、ここら辺を治めていた殿様を教えてやろう!」
こんなことを言われた時、なぜ現代の我々は「めんどくさい」気持ちになってくるんでしょう・・
*
昔はなぜ機能していたのか
そんな"めんどくさく"思われているオヤジの小話ですが、昔は機能していたのかもしれません。
ヒラメの話とか戦国時代の話とかは、そのオヤジからしか聞くことはできませんでした。
それ以外は図書館で本を借りるか、、そのくらいしかありませんでした。
つまり、オヤジの小話は『メディア』として機能していました。
今は手の中にある
オヤジの小話がメディアとして機能してきた時代から、今は大きく変わりました。
それがまさに僕たちが今まさに手に持っている『スマホ』です。
オヤジの小話のほとんど全ては僕たちの手の中にあり、さらに"より正確な情報"で整理されています。
オヤジの小話が必要なくなったのは、単に「めんどくさい」「老害!」といった理由では必ずしもなく、
多くの人が使う「メディア」が”オヤジ”から”テクノロジーサイド”へと移行したに過ぎないのです。
機能じゃなく「をかし」
となれば、「”オヤジ”メディア」はもう必要ないのでしょうか。
確かに、「正確な情報を抜け漏れなく素早く受け取る」ことに関しては、テクノロジーに軍配が上がるかもしれません。
しかし、オヤジメディアには、「メディア」としての役割以外にも多くの効果があったように思います。
オヤジはめんどくさいです。
だから避けます。
そして、違うコミュニティ・社会へと移動します。
でも、この地球上、どこに行っても”めんどくさいオヤジ”はいるものです。
いなくなることなんて、おそらくないでしょう。
もしかすると、未来の自分の姿なのかもしれません。
未来の誰かの姿なのかもしれません。
嬉しそうに話すオヤジの姿、どこか生々しく、暖かく、風情があり、そしてめんどくさい。
いなくなった後の社会は、なんだか趣はなく、無味無臭で、ちっとも魅力的に映りません。
めんどくさくあって欲しい。
*
<終わり>
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