見出し画像

「不眠症の男の夜」#眠れない夜に

午前3時。真っ暗な室内に男の小さなため息がこだました。

かれこれ1年半以上不眠症のような状態が続いている。不眠症にも色々あるが、男の場合は中途覚醒というもので、大体毎日2〜3時間で目が覚めてしまうというものだ。周囲にはなかなかその辛さを理解されなかった。なにせ寝つきは良いのだから。

これまで色んな方法で改善を計ったが、どれも兆しは見せるものの長続きはしなかった。アロマリラックス法、眠くなるまでベッドに行かない、ネトフリの睡眠エクササイズ、昼夜ヘトヘトになるまで運動する、心療内科で処方された漢方などなど。
そして最新のお気に入り睡眠療法はビジネス系YouTuberの配信をipodsで聞くというもの。これはオススメでちょっと小難しい話をしていたりすると、途端に戦線離脱して軽やかに睡眠へと誘われる。

しかしこれも入眠に最適な療法であって、やはり今日も目覚めたのは午前3時であった。

「ダメだったか」
男は落胆した心の重さと、まだ疲れの取れていない身体の重さを感じながらむくりと起き上がり、リビングのソファにぐったりと腰をかけ、水を飲む。

窓辺のカーテンの隙間から新聞配達のバイクの光が差し込み、頭から胸元を通過していく。それがキッカケとなりさっきまで見ていた夢がフラッシュバックした。

「そういえば変な夢を見たな・・」

男は部屋に祀った神棚をボケーっと見ながら、まだ鮮明な映像として残っている夢を思い出していた。

「じゃあ、本殿のところで集合ね」

マラソンランナーが振り向き様、男にそう言った。
どうやらマラソンサークルの一員らしく、メンバーらが男を追い越して行く。
頑張って走っているのにとても遅い、という夢あるある。やはりこの感覚は何度味わっても歯痒い。

1人取り残された男は辺りが薄暗いことに気付く。大通り沿いには車通りも人気もなく、数メートル置きに照らされている街灯が暗部の不気味さを強調している。恐らくこれはミッドナイトランニングなのだろう(ミッドナイトランニングって何?)

ところで一体、本殿とはどこの事なのだろうか?

ふと疑問に思ったその瞬間、
男の足元はアスファルトの道から砂利道に変わり、目の前は全く知らない細い獣道へと変わっていた。振り返ればさっきまでの道路があり、今まさに時空の狭間に立っているというような状態だった。獣道には街灯などもちろんない。しかしここもまた夢あるあるで、道は車のベッドライトのような何かで照らされていて数メートル先までは視界良好である。

こんな獣道を1人で。。全身に警戒アラートが発令されている。しかし皆んなに追い付かなくてはという思いから速度が緩むことはなかった。もう強制的にホラー映画を見させられている気分だ。

辺りは静かで虫の囁く音が微かに聞こえるだけ。
上空に輝く月明かりをたよりに山奥へと目指す。
次第に森となり、ガサッと生物の気配がする音に大袈裟に驚いたりもしたが、別段幽霊らしきものは出なかった。どこに向かっているのかさっぱりわからなかったが、木々の隙間から見えるお月様が平行して走ってくれていたので男は胸を撫で下ろした。

安心したのも束の間、森を抜けるとそこにはとんでもなく禍々しい廃トンネルが出てきた。
流石にたじろぐが、視界はトンネルの中へと吸い込まれて行く。ふと足元を見ると赤い矢印が刻まれた木片が、トンネルの方を指している。

意を決した男は両手で鼻と口を塞ぎ息を止め、目を瞑ってトンネルの中へと突き進んだ(目を瞑り、呼吸を止めなきゃいけないという謎のルールもいかにも夢ならではである)

聞こえてくるのは自分の走る足音だけ。とにかく前へ進むのみ。
すると途中から鈴の音が耳元で聞こえ始め、誰かが裸足でペタペタと足音を立てて並走しているようだ。これは絶対に見てはいけない。
「南無阿弥陀、南無阿弥陀」
そう心の中で念仏を唱え極限の恐怖と闘い、どうにかトンネルを走り抜けた。目を開き走りながら後ろを振り返るとトンネルの出口に小さな男の子がポツンと立ってこちらを見ている。
背筋が凍りつく。息ができない

男の子は指で男の後方を指している。
ガチガチになった首を動かし男は振り向く。

そこには巨大な鳥居と真っ暗な参道があった。



というところで目が覚めた。

男は不眠症になってからというもの怖い夢には慣れっこだった。眠りが浅くなってから見る回数、覚えている回数が増えている。
また最近の夢は現実の出来事とリンクしやすい。

「あれは井荻八幡宮か。最近の夢は現実と直結しているな」

実はその日、男は杉並にある井荻八幡宮の前を自転車で通り過ぎていたのだった。19時とまだ日が暮れて間もない時間だったが、境内は真っ暗闇で異様な凄みを放っており、一瞬だけだったが暗闇の奥から何か大きな者の視線を感じた気がして恐れ慄いていたのであった。

「結局、この夢はその後どうなるのであろうか?」

男はソファに寝そべり目を瞑りながら、夢の続きを考えることにした。

皆んなの待つ本殿はこの真っ暗闇の境内の先にある。そこがゴールに違いない。

しかし、このままでは完全に怖い夢だ。
例えばこう。

参道へと歩み始める。なぜか私は背中に男の子をおぶっていて、、、道案内をされるまま中へと進む、、、道行くごとに背中の男の子はずしりと重くなっていって、、、ようやく辿り着いたと思えばそこは大きな木の下で、、男の子は「ここがどこだか覚えてるかい?」って言って、、
ってこれなんか似た話を聞いたことあるな。
そうか夏目漱石の夢十夜だ。

これではいけない。
どうせなら突拍子なくても良いから面白い夢にしたい。例えば、、

参道に足を踏み入れたら、そこはまた時空の狭間で、先にはオリンピック会場に通じており、ラスト400mを走り切るところで、、、

うん、いいかもしれない。

それで、、ムニャムニャムニャ・・・

結局男はものの数分で、具体的に映像化されていくストーリーと共に夢の世界へと入り込んでいった。

そう、寝付きは良いのである。

「ねぇ、ちょっと!・・そんなところで寝て、、風邪引くよー!」

妻にタオルケットをかけられ目を覚ます。

「ん?これはマラソンでゴールした時にかけてもらうタオルか?」

しょうもない寝ボケを思い浮かぶが、言わずに起き上がる。

「寝違えても知らないからねー」

男はソファで寝てしまい妻に怒られながらも、うまく寝付けた事への喜びを隠せなかった。

「何ニヤついてんの?今日出勤なんでしょ?早く顔洗っておいでよ」

洗面所の時計の針は午前7時を指している。
あれから3時間は寝れたのか。
もしかしたらこれは新たな中途覚醒療法として使えるのかもしれない。

顔を洗い終え、まだ目覚めぬ胃袋に朝食を流し込む。ニュースでは熱中症厳戒注意と報じている。

その日の通勤は暑さの所為もあり身体はとんでもなく重かったが、心は少しばかり軽やかであった。


それから数日後の午前3時。

早々に次のチャンスが訪れた。

だが、今度は物語を作るのに熱中しすぎて眠れないまま時計の針は午前7時を過ぎていた。

ウップス

10代の爆睡していたあの頃に郷愁を感じる。
いつかもう一度あの頃のような朝を迎えたい。

不眠症の男は今なお新たな改善策を探し続けている。

END

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?