『小説作家』という夢を追いかけた9年間のリアルな生活 #1
はじめに
僕は18歳〜27歳までの約9年、『小説作家』になる夢を一つだけ握りしめて活動してきました。
その半生は自分の期待よりもはるかに地味で、しかし想像よりも過酷な道でした。
現在は福岡を拠点に目標達成コーチとして活動させていただいておりますが、そのコーチングを始めるきっかけにもなる出来事でもあります。
この9年間で何を培い、何を得て、何を犠牲にしなければいけなかったのか。
『小説作家』というある種異形な夢を持つこと、追いかけることが自分にどんな運命をもたらしたのか。
この経験を、これから夢を生きる方々の勇気に変えていければと思い、投稿していきます。
本編
先にも書いた通り、僕が小説作家を夢見るようになったのは18歳の頃です。
兄から勧められたライトノベル(娯楽小説)をきっかけに、小説の楽しさや面白さを知り、それから自分の夢へつなげていきました。
とは言え『小説作家』という夢は、持つには随分唐突な話だと思います。
この先を語る前に、まず過去を振り返らせてください。
三人兄弟の次男として生まれた僕は、双子です。
一つ上に兄。弟が一卵性双生児である僕のかたわれです。
そんな弟は幼い頃から絵が大好きで、よく祖父母の家に行っては大きな月めくりカレンダーの裏に絵を描いて遊んでいました。
僕や兄はおもちゃで遊ぶ傍ら、双子の弟だけはそういう風に一人で絵を描いており、今思うと彼はその時から天命を全うする人生を歩み始めていたのだと思います。
時は経ち、小学生になる頃には弟の夢は「漫画家」だと決まっていました。
それに対して親も兄弟も親戚も、「うん、まあそうだよねー」と首を縦に振って彼の夢を応援しており、彼は周りを巻き込む形で自分の人生をまっすぐ進み続けます。
高校2年生になり、進路を決める頃になるといのいちばんに、
「漫画を学べる専門学校に行く!」
と決まりきっていたかのような断言をしておりました。
自慢じゃありませんが、うちは母子家庭でそこそこの貧乏暮らしです。
ぶっちゃけ専門学校へ行かせるお金の余裕なんてあるはずもないのに、母は前向きにそれを検討していたように思います。
弟の中の才能には本人も含め誰しもが気づいていましたから、数百万をつぎ込む覚悟はあったのかもしれません。
さて、そんな双子の弟を持った僕の話に戻りましょう。
一卵性双生児、容姿も身長も体重もほとんど変わらず、血液型だって好きなタイプの女の子だって変わらない僕らなのですが、どうしたことか僕には幼い頃から夢中になれるものはありませんでした。
いわゆる、『夢』というものを見つけられない子供時代を過ごしておりました。
「みやびの夢は何ね?」
「夢を見つけることが夢〜」
これが大人と僕でよく交わした会話です。
本当にこれを願っていましたから、何かに夢中になったり、一つのことに没頭することはあまり無かったように覚えています。
唯一あったとすれば、人間観察は好きでしたね。
「人の発言や行動が相手にどんな影響を及ぼすのか」、みたいなことはしょっちゅう考えていて、誰かの会話を盗み聞いて楽しむような変態ではありました。
なので兄弟の中では一番よく恋愛してましたね。(※モテていたわけではありません)
高校2年生になって、いよいよ進路を決める時期に入ると困り果てました。
進学?
就職?
二択を迫られ、母子家庭を支えるために就職へ手を伸ばそうとするのですが、何かモヤモヤっとしたんです。
「おい、お前は本当にそれでいいのか?」
ともう一人の自分が訴えかけているような気がしているのですが、いかんせん当時の僕には夢もやりたいこともありません。
進学と言っても行きたいところはあるはずもなく、だからと言って就職先に興味も湧いていませんでした。
いよいよ担任教師にも痺れを切らされていた最中、弟が専門学校のオープンキャンパスへ行くということで僕にお供の依頼が舞い込みます。(母から)
実家の熊本から福岡へ参り、クリエイティブ系の学科が豊富にある専門学校のオープンキャンパスで、弟は当然のように「マンガ体験」へ。
僕は例の如くとくにやりたいことはありませんでしたが、昔からアニメや漫画、そして兄からライトノベルを読まされていましたから、『物語作り』には興味がありました。
そこで向かった先が『小説体験』だったんです。
1時間ほどで掌小説を書いてみるという内容だったのですが、原稿用紙に自分のオリジナル作品を書き、プロの講師が目の前で添削してくれる光景に胸躍っていました。
自分が生んだ作品を誰かに読まれて感想を言ってもらうことが、自分の存在を知ってもらっているような気にさせてくれました。
もしかすると、それは他者承認欲求に近いものなのかもしれません。
兄弟に挟まれた次男の僕は当時、自分の存在意義をどこかで探していたように思います。
自分にしかないアイデンティティを求めた結果、小説を書いて人に読んでもらう行為そのものが欲求を満たしてくれるものだということに気づいたのです。
オープンキャンパスを終えてバスで帰路に着く最中、小説を書く楽しさとそれを読んでもらう心地良さの余韻に浸っていました。
そのウズウズした感覚は今でも覚えていて、
「早く、早くやりたい!!」
と既にそんな風に思っていました。
当時はなんとなくでしか認識していませんでしたが、今はそれが「夢を見つけた瞬間」だったということが分かります。
生まれて初めて心からやりたいと思える夢を持った瞬間、僕の人生はやっと進み始めた気がしたんです。
「心からやりたい夢」を見つけた僕がそれからどんな行動を取ったかと言えば、もちろん是が非でも専門学校へ通う道へ進むことでした。
金のない貧乏生活は重々承知の上で親へ相談し、頭を下げて専門学校への切符をゲットしました。
不思議なことに、夢を見つけると「何がなんでもやる」という状態になれます。
普段はやりたくないことでも、夢を叶えるために直ぐに行動してしまうんです。
これが「夢中になる」ということなんだと自覚するのは、それからもっと先の話になりますが。
実は高校の担任教師から夢を笑われるという経験もしたのですが、その話はまたいつかさせていただきますね。
高校を卒業し、晴れて専門学校へ進学。
いよいよ『小説作家』という夢を追いかけた9年間のリアルな生活が始まりました。
つづく。
そいうわけで、今日はここまで。
次回は専門学校辺をお送りいたします。
お楽しみに!
ビジョンアドバイザー
渡辺 雅
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