見出し画像

わたしの旦那さんは変だ。〜市販のルーは万能〜

ここ数ヶ月、私はほとんど夫と食事をしていない。
平日は仕事に追われ、夕飯の時間どころか就寝時間までカウントダウンが始まっている時間にしか帰宅できないし、休日は死にかけでとにかく寝ていて生活リズムが全く合わないからである。

しかし、つい先日奇跡的に、ギリギリ家で夕食をとってもいい時間に帰宅が叶った。
といっても、夫に夕食を待たせるには忍びない時間である。
繁忙期には、家で食事がとれるか全く読めないため、夫には私の食事を待つ必要も、なんなら用意する必要もないと伝えている。
しかし、優しい夫はカレーや汁物などのたっぷり作る料理は多めに作って、食べられそうだったらどうぞと言ってくれることもある。
(この場合、単純に作る量が加減しづらくて、食べ切るには多すぎる量ができる料理が主であることには触れないこととする。)


夫のお手製シチューは妻の知っているものとはひと味違う

この帰宅が叶った日はたまたまそういう日だった。
帰宅して、疲れ果てて重たい足取りでリビングに行くと、就寝前のアイスを嗜んでいた夫が、「鍋にシチューがあるよ」と伝えてくれた。
もう夕飯はいいかと思っていたけれど、あるならありがたく頂こうと皿によそい、スプーンを握りしめて食卓につく。

いただきますと呟いて、異変に気づいた。
野菜が小さな角切りである。
みじん切りまであと少しというくらいの優しいサイズ。
妻の知っているシチューとはなんか違うなと思ったが、それは些細なことである。
やってもらったことに文句をつけないがモットーの妻は黙って食べ進める。

次のひと掬いでさらなる異変に直面した。
なんか白く四角い物体が入っている。
妻は動揺した。
何これなにこれナニコレ。
サラダチキン?
サラダチキンなんか家にあったか?
家にあったと記憶している鶏胸肉はこの形に切るにはなかなかのスキルが必要と思うけど。
あと白すぎん?

得体の知れない物体に食べるのを躊躇しつつも、夫が食事を無事に済ませているあたり、この白い物体は間違いなく食品である。
それは間違いない。
恐る恐る口に運んで分かった。
この柔らかい舌触り・・・豆腐や!!
そしてこの週末の冷蔵庫事情を思い出す。
確かに豆腐余ってたな。


妻の脳内会議

妻A「進行を務めるAです。よろしくお願いします。さて、まず、シチューの具の定義について。どう思われますか?」

妻B「はい。ジャガイモ、にんじん、玉ねぎ、鶏肉あたりがメジャーどころと考えます。」

妻C「しかしながら、シチューは無限の可能性があり、白菜やほうれん草、また、魚介なども具材として考えられるのではないでしょうか。」

妻D「そういう意味では、シチューのほかカレーなども冷蔵庫の中身が乏しいときのお助けメニューと言え、何でも受け入れる度量があります。」

妻A「なるほど。では豆腐はいかがですか?」

頭の中の私が全員、静かになった。
沈黙が怖すぎて、1人の私がそろそろと口を開く。

妻B「豆腐の入ったシチューは未だかつて見たことがないです。」

妻C「私もです。」

妻D「私も・・・。」

妻A「しかしながら、私たちの目の前にはその豆腐入りシチューが実在しているわけです。このことについてはどうお考えでしょうか。」

また静かになる。
私の頭の中では私が必死に言い訳を考えている。

妻D「豆腐はやはりシチューの具材には適していないのでは?見たことも推奨されたこともないし。」

妻B「でも豆乳で作るシチューが存在することを考えるとありえなくはないのではないでしょうか。」

妻C「確かに。でも豆乳が担うのは液体の部分であって、具としての固体ではないのでは・・・?」

また沈黙。何の言い訳も思いつかない。
だって豆腐が具になるのはやっぱりお味噌汁とか和食じゃない?
少なくともカタカナの食べ物じゃなくない?

妻A「・・・結論は次回に持ち越すことにして、まずは冷めないうちにいただきましょう。本日はお疲れ様でした。以上、解散。」

頭に浮かんだ疑問符が取れないまま、私はシチューを食べ進めた。
ちなみに、具としての豆腐は特段美味しくはないものの、不味いというわけでもなく、具として見た目ほどの違和感はないものの、食べ応えもないという仕上がりだった。


結論:市販のルーは万能

その夜、ベッドに入り、眠りに落ちる直前、天啓が降りてきた。

「シチューのルーは万能ゆえ、何を具としても良い。なお、これはカレーも同じ。」


しかしながら、妻はシチューにもカレーにも豆腐を具として選んだことはないし、これからも選ばないと思う。