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This Is Water

 冒頭の、水を意識することなく泳ぎ回る魚の寓話が、ごくありきたりの一番大切な現実を私たちが意識することは難しいことを語っている。
そして、来る日も来る日も決まりきった日常を且つ且つ生きるようになると、聞き飽きた決まり文句のように聞こえるこのことが生きるか死ぬかの大問題になりかねない、とウォレスは言う。

 私の来る日も来る日も決まりきった日常はこんな感じだ。

朝、疲れから回復しきっていない身体を布団から引きはがすように起きると、洗い物を極力減らすために、電子レンジとトースターをフル回転させて家族の朝食と弁当を準備し、自分の朝食や身支度は無意識のうちに済ませ出勤。

職場ではテトリスのように降り注ぐタスクをこなし、退勤時にはグッタリと疲れた身体を平気なふりをして引きずり家路につく。週に1~2度、途中スーパーによるのが酷く面倒だけど、子供の保育園や学童への送迎が無くなっただけでもありがたいと思う。

家に着けば、一息なんて言葉は自分には無関係のように夕食の支度に入る。夕食を済ませ、食器や調理器具、弁当箱を洗い、洗濯物を畳み、風呂を洗い、洗濯機を回す。そして、洗濯機が回っている40分程度が自由時間となる。軽くスマホを触っているうちに時間切れとなり、洗濯物を干して1日のノルマ達成となる。

そこから風呂に入り髪を乾かし歯を磨く。寝るまでに少し本でも読もうとするが全く頭に入ってこない。諦めて布団に入ると気絶するかのように眠りに落ちる。

 こうして書き起こさなければ意識することも難しいくらいに当たり前の日常。そして、ウォレスの言うとおり意識の初期設定は自分が中心になっていることも分かる。忙しく疲弊している可哀想な私と言っているようなものだ。それを自分の意志でどう上書きし、反転させていくかが問われる。しかし、うっかり気を抜くとエゴの産物である厄介な自己憐憫に絡めとられてしまう。無意識のうちにこの世界に引き摺り込まれ、甘美でもある自己憐憫の海を回遊して人生を終えていくことだけは避けたい。自意識とはつくづく難しいものだと思う。

 また、価値観にしても同じこと。意識しなくとも、無料で世間やメディアが価値観を与えてくれる。これが正しい。これには価値がある。それでも「只より高いものはない」という諺があるように、うっかり鵜吞みにしたら後々どうなるか?後々を経験した私は痛いほど知っている。ウォレスも『僕が鵜呑みにしてきたことは、かなりの割合でとんだペテンとウソいつわりだったことがわかったのです。おかげで僕はしこたま痛い目をみました。』と語っている。こんな無意識のトラップにかからないように生きるのも至難の業である。

ほんとうに大切な自由というものは
よく目を光らせ
しっかり自意識を保ち
規律をまもり
努力を怠らず
真に他人を思いやることができて
そのために一身を投げうち
飽かず積み重ね
無数のとるにたりない
ささやかな行いを
色気とはほど遠いところで
毎日つづけることです。

この文章のどこが自由なのか?と思うかもしれない。また、この文章の逆が自由なのでは?とも思うかもしれない。

感情と成り行きに任せて
ルールに縛られず
怠惰に過ごし
他人のことなど気にも掛けず
情けなどは不要
自己保身が一番で
鍛錬や研鑽などとは縁を切り
つまらない雑務は放り投げ
気ままにその日暮らしを生きる

野放図な自由は、際限のないエゴに支配された身勝手というものだろう。

 「ものの考えかたを学ぶ」とは
  ほんとうは
  なにをどう考えるか
  コントロールするすべを学ぶ
  ということなのです。
  それは意識して
  こころを研ぎすまし
  何に目を向けるかを選び
  経験からどう意味をくみとるかを
  選ぶという意味なのです。
  なぜなら、社会人生活のなかで
  こうした選別ができず
  しようともしないなら
  とんだ辛酸をなめるからです。

 意識の向け方で言えば、誰にでも一人は思い当るであろう、100%理解不能な、底意地の悪い、大嫌いなあの人。理解する必要も無いが「こうなるには、あの人にも何か事情があったのかも…」とほんの僅かな意識を注いでみる。そんな意識が、密かに心の奥底で感じている、他人に嫌悪感をもつ自分への嫌悪感を救ってくれるかもしれない。こうした意識の微調整が且つ且つ生きる中では大切になる。反射のような無意識に持つ感情を意識して、自分が選び取って見ている凝り固まった現実に、寛容さと懐疑心を持ってノミを入れていく。気持ちにも生活にも余裕のないところで実践するのは正直厳しい作業だが、やってみる価値は充分にあると思う。

 この本は大学の卒業式でのスピーチを纏めたものだ。社会への門出を祝う、達成や獲得を喚起するようなスピーチではないが、社会を生きる上で大切な心構えだと思う。なぜなら、私はこのようなことを意識しないまま長いこと社会生活を過ごしてしまったから。そして、自身の滑稽さを今頃になって思うからだ。

 

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