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一年に一度くらい、「戦争のこと」を考える日でありたい

夏になると蝉の鳴き声と同じくらい、記憶に残る音がある。
それは8月15日の正午に流れる黙祷のアナウンスだ。
(当然だが)自分が生まれる前からずっと続いている。

僕に取って、いや多くの人に取って「日本の夏の原体験」だと思う。
今でも様々な自治体で、また甲子園でも試合の前に、必ず黙祷の時間が設けられている。
この時期になると金曜ロードショーでは「火垂るの墓」が放送され(最近は「この世界の片隅に」も加わる)NHKは勿論、各種民放でも戦争にまつわる内容の番組やニュースの特集が組まれる事になる。

幸運にも戦争にほとんど縁の無い国で暮らしていける僕達が、
否が応でもこの国が過去に行った「戦争」を思い出させる時間。

しかし、最近は戦争に関しての考えを述べようものなら

右、左、ヘイト、差別、責任、賠償、
そして表現の自由、不自由


自分の意思とは関係なく「ハッシュタグ」を付けられ。
属する「タグ」に反するものは糾弾される。
そして、述べることが難しくなり、考える事を鈍らせてしまう。

しかし、戦争に縁がないからこそ、述べることを、
そして考える事をやめた時に戦争の記憶は「断絶」するのではないだろうか?

僕らの世代は自分の家族の中で戦争を体験した人がいる最後の世代だと思う。
例えば僕の祖父(10年以上前に亡くなってしまった)は、戦争に行っており。
一方は台湾、もう一方は朝鮮で終戦を迎えたと聞いている。

しかし、僕よりも下の世代になると祖父母すら戦後生まれの人たちもいて。
物心ついた時から「戦争の記憶」を持った家族がいない世代も出てきている。

それは「平和」である事の証明でもあるが、同時に戦争の記憶が断絶していく過程でもある。
僕の場合も大人になり、
「自分の家族の戦争の出来事をしっかりと聞いて継承したい」
そう思った時に祖父は亡くなってしまった。
だが記憶の断絶の果てにあるのは「同じ過ちを繰り返す」なのではないだろうか。

だからこそ敢えて、8月15日という僕たちに「戦争」を意識させる日であるからこそ、「僕たちの世代が戦争について調べ、考え、それを発信していく事」
それは、自分たちの、いやその下の世代の為に、この記憶の断絶を起こさない為にできる事だと思う。

僕たちには「戦争を知らない」事に負い目があり、戦争について語る事に一種の「タブー」を感じてはいないだろうか?
そして前述の通り、ネット社会によって何かあれば揚げ足を取られ、「ハッシュタグ」という名のレッテルを貼られるという恐怖もあり、口にするのが難しくなっていないだろうか?

しかし、一年に一度「8月15日」という日だからこそ、どんな意見でもどんな考えでも構わない。
批判や非難を恐れずに「戦争」について考える日、そしてそれを次世代に伝える日でありたい。


子供もいない傲慢な僕の考えかもしれませんが、「こういう日」だからこそ、
改めて述べさせていただきました。

ではでは

あとがき
最後にですが、私なりに「戦争を考えた」こととして、普段定期的に投稿、発信している「建築をわかりやすく解説する動画」のシリーズで特別編を作ってみました。



これは、日本で活躍しながらも戦争を機に日本を離れ、そして日本で得た建築の知識によって、日本の空襲の作戦に加担することとなったある建築家の話です。



建築という分野でもこの「戦争」を振り返り、考えるきっかけを与えることができる。その意思表示として作成しました。興味があれば是非ご覧いただき、
改めて戦争というものを知る機会となればと思います。


また今日はツイッターなどで「#終戦記念日」と検索すれば私以外の色々な
「戦争の記憶」が掘り出せると思います。こんな日くらいは「戦争を調べて」みても良いかもしれません。

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