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エッセイと現代詩

私の書く文章は、いったいどういうジャンルだと言えるのだろう。
思ったことを気ままに書いているだけなのでエッセイを書いているつもりでいたが、ふと自分の今までの文章を読み返してみると、最近と過去で結構な違いがあることに気がついた。

過去の文章は、もう明らかにエッセイと言えるだろう。
自分の中身と身の回りで起きたことを比較して追求して、ある程度の着地点が見つかって初めて一つの作品となっている。
それに、読者というものの存在を少なからず意識して書いている。理解しやすい、わかりやすい文章を心がけていた。

しかし最近のものはどうだろう。感情の赴くまま、着地点なんて見つからないまま自由に書いている。わかりやすさなんてものはない。
わかってほしいけど、わかられてたまるか、とも思いながら書いている。どちらかと言うと現代詩に近いのかもしれない。

なぜわざと濁しながら書いているのか自分でも分からなかったが、おそらく、今の私が持っている感情が醜すぎるのだからだろう。
醜すぎて耐えられなくなった時、言葉というものでその醜さを昇華してなんとかやって行けているのだ。

だが、多くの人に好まれる文章はどちらだろう。明らかに前者なのだ。
人はいつだってより分かりやすいもの、より簡単なものを好むのだ。本が好きな人より漫画が好きな人が多いのだってそのせいだろう。
それに、思春期の醜い感情を昇華したものなど、「痛い」と言う人もいるだろう。
けれど作品というものは、受け取る人があって初めて成り立つのだ。初めて生きるのだ。
その矛盾も、今の私の生き方を迷う理由の一つとなっている。
自分の将来に不安しか抱けないから、醜い感情しか持つことができないし、着地点なんて見当たらないことばかり考えてしまうのだろう。

ほら、結局今回も最終的には「不安」というものに辿り着いてしまった。
この不安に取り憑かれている間は分かりやすい文章は書けないのだろう。

ああ、私は何者になればいいのだろう。

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