世界のすみっこで生きている私の夢

やっと夢ができた気がする。

私はずっと普通の人間なんだと思っていました。
比較的充実した生活、そこそこ中身のあった青春、だいたい年齢相応ぐらいの様々な経験。

私はうまく生きてきたし、これからも同じようにやっていけるんだ、と信じていました。

日々の生活で感じていた違和感は、気づかないうちに全部無かったことにしていました。自分の奥底に押し込めて見ないようにして、時には「みんなもそうなんだ」と言い聞かせて。

空いた時間を作ってしまったらその違和感たちに飲み込まれてしまうから、わざと予定をたくさん入れて、常に何かしている状態にしていました。

そうしているうちに「考えること」ができなくなっていって、でもそれが大人になることなんだと思っていました。

でもそれは違った。私は、ただ自分を騙していただけだったのでした。

思えば昔も同じようなことがありました。
中学3年生のころ、そのためだけに学校に行っていたと言っても過言ではない、大好きな部活を引退して、急に自分がなにをすればいいのかわからなくなった時。

あの時も今と同じように、自律神経をおかしくして学校に行けなくなりました。

けれど私はあの出来事に対して、「私は忙しくしていなくちゃだめな人間なんだ」という結論を出してしまっていたのでした。

本当はそうではなく、自分を騙し騙し生きたツケが回ってきたからおかしくしたのであるというのに。

そして私はまた同じ失敗を繰り返した。

今度こそ本当に自分と向き合わなくちゃならない、そうしなければまたいつかおかしくなる時がくる。

そう思った私は何もかもを一旦休憩して、自分の好きなことだけをしました。その中で私は、久しぶりに「深く考える」という行為を思い出すことができました。

思えば私はまだ何も知らなかった幼い頃から、何か考え事をして人の話を聞いていないことが多かったし、周りの人から常に「大人びたことを言うんだね」と言われていました。

けどそれはいずれも、自分中心の疑問への問いかけばかりで、普遍的なものを深く考えようということはきっとなかった気がする。

私が小さい頃から1番やっていたことは、「自分に向けての思考を巡らすこと」なのでした。

自分の中に生まれた疑問とか思いをただひたすら掘り下げていくだけ。

そして今でもそれがそんなに変わっていないことに気づきました。毎日考えるのも、自分の性格や、自分ではない誰かや何かに触れた時の感情がどうしてそうなのかと言うことばかり。

そこから新しい考えが生まれることがあっても、出発点はいつもそこなのです。

それと同じぐらいに気づいたのが、世の中には私と同じような、生きにくさをどうすることもできない種類の人がたくさんいるのかもしれないということでした。

その中で特に救われたのが、大森靖子さんとか、たくさんのアイドルたちです。

自分の思っているようなことをドンピシャで言語化してくれたり、音楽に乗せて届けてくれたり、自分と同じような種類かもしれない人がキラキラしている姿を見たりするのは、それだけでものすごく救いになりました。

冗談抜きで人生が変わりました。

私も自分自信のことを発信することで、自分と同じような人を救いたい。そう考えるようになりました。

高校3年生にして、やっと初めてできた「誰かのために何かをしたい」という種類の夢。

noteを始めたことで、さらにその思いが強くなりました。

私の書いた文章で少しでも救われる人がいたら。楽になる人がいたら。

そういう思いで私は今日も思考して、拙い出来ですが、こういう風に記録をしています。

届け。この世界のどこかの、私と同じような人に。



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