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義父母をほぼ同時に見送って☆☆

今日は先日6月26日に三回忌を執り行った義父母とのお別れについて改めて書いてみたいと思います。

義父母がなくなって丸二年。
コロナ禍になり、一周忌も三回忌も家族のみ(義父母の子ども達の家族のみ)の法要でした。

2人とも親族が沢山いて、葬儀は盛大に行われましたが、その後親族の皆さんと会えないのが残念でたまりません。

特に叔父(義父の兄)は90歳を越えているので、参加していただきたかったのですが、なかなか会えなくて切ないです😭

それでも義父の仕事で使っていた工場の解体や相続問題等を乗り越えてから、三回忌が行われてホッとしているところです。

とても長い記事(3500文字弱)となりますが、実父の死と共に、私が「終活」を考えるきっかけになった出来事でしたので、お付き合いいただけたら嬉しいです(*^^*)

義父の死

義父が大腸がんⅣと診断されたのは、 2019年11月、86歳の時でした。

⭐手術 ⭐抗がん剤治療 ⭐民間療法

今後の治療の方針について 医師とも相談し、義父に気持ちを聞きました。

医師からは、抗がん剤治療は年齢的にも難しいと言われたこともあり、
私たち家族は義父の思いも受け止め、 
⭐手術 を選ぶことにしました。

義父は 手術のおかげで 元気になりました。
しかし、その後半年ほどした2020年5月、 体調が悪化、 
結局、ガンの再発の診断が出ました。

のちに医師から告げられたのが
義父のガンは 手術をすることで進行が早まる 【暴れるガン】だったそうです。

抗がん剤はもうできない、手術をしても、回復の可能性が低いと言われている中で、それでも
義父の出した答えは【再手術】でした。

その理由は、実は妻の存在だったのです。


義父の妻。 
つまり私からすると義母は その当時【要介護2】の状態でした。

そんな、 妻を残すわけにはいかないと 義父は考えたのでしょう。
「まだ頑張りたいから再手術をしたい」
と医師に伝え、再手術を行ったのです。

手術は成功し義父の体調は少しの期間、回復しました。
 しかし、根本の原因である、ガン自体は取り除いていません。

結局、義父は 手術をして一か月後、
6月末に亡くなりました。
発病してから半年。
本当にあっという間でした。

最近の研究では、早期の大腸がんは 手術をしない方針を取るそうです。
ただ、義父はガンの発見時にはすでに末期の状態でした。

◆手術をする・しない
どちらがベストかどうか…
私たち家族だけでは 判断がつないことがあります。

その場合、担当してくれている医師の 意見を聞くことも重要です。

義父の場合。
担当の医師がとても良い方でした。

義父を含めた わたしたち家族の思いを聞き取り、最善を尽くしてくださいました。
今でもあの先生で良かった、と本当に感謝しています。

しかし、義父の思いとはいえ、何が良かったのかはいまだにわかりません。

でも、その中でも、私にとっては思い出に残ることもありました。
義父が亡くなる前日、最後に会話を交わしたのは私だったのです。

いつもなら、病院に行かない遅番の日、それでも、その日は「病院に行かなくてはいけない!」と不思議に思ったのでした。

いつものように「どうですか?」と声をかけ、「大丈夫だよ」と応える義父。
顔だけ見て「遅いから帰りますね、おやすみなさい」と言うと「おやすみ、ありがとな」と言ってくれた義父。それが最後の会話でした。

私と会話を交わした次の日の早朝、義父は一人で旅立っていきました。

亡くなった時間が早朝だったため仕方なかったとはいえ、誰かがそばにいてあげたかった、ということ、最後の会話が嫁の私だったというのが心残りに感じています。


義父の義母に対する愛情

私は義父が亡くなる前、義父の義母への いたわりを感じられるある体験をすることになります。

それは 私が「地域包括支援センター」に 相談に行ったときのことです。
当時、義母は要介護2で歩くことが困難でした。

さらに義父が入院することになり、同居していた義兄が2人の親の面倒をみることになりました。
義兄は2人の世話で手一杯となり 仕事が出来ない状態です。
私も仕事をしていたので、少しでもお互いの負担を減らすため デイサービスの利用を考えました。

ただ、義母は断固拒否!
結局、デイサービスは断念。
義母は毎日寝ているだけの生活になりました。

そんな状態を見た私は、
外に出たり、人と触れ合ったり…
体を動せば元気になるのでは?と考えました。
そして、
「地域包括支援センター」に相談したのです。

この時に
私が知らなかった義父の義母への 
いたわりを感じる瞬間が訪れます。

それは。
なんと、義父はすでに 
地域包括支援センターに相談を 
していたのです。

相談だけではなく、最初の手術で退院してからの義父は、義母の介護のための相談だけでなく、
実際に、義父は亡くなる前
▶お風呂の改造 ▶ベッド購入 ▶手すりの設置
など…

義父自身、いつ自分がいなくなっても いい様に準備、工事をしていたのです。


義父が出来る 
最後の義母に対するいたわり。

私が相談員さんからこの話を 
伺った時、 
ただただ驚くことしかできませんでした。

やっと手術が終わって、体調も悪い中だったのに、義父が一番最初にしたのが、このことだったからです。

義父は、生きている間も必死に義母の介護をしていました。
義父は、言葉も少なく、優しい態度はできないタイプでしたが、
最後のお別れの時に、義父なりの愛情を感じて、涙がとめどもなくあふれてきました。

言葉は悪いし、昔の人で怖かったけれど、心の中は暖かいそんな義父でした。




義母の死

義父が亡くなり、 すっかり力を落とした義母。
義父が亡くなってから38日後…
後を追うように亡くなりました。

これは、偶然ですが 
義父の納骨を予定していた日が 
義母の葬儀の日となりました。

それを聞いた方から
「本当に最後まで2人は仲が良かったんだね」
とおっしゃってくれました。

義父と義母。
私の目から見ても、
間違いなく
お互いがお互いをいたわり合い、
必要とし合っている夫婦でした。


義母は 「重度の肺炎」で亡くなりました。

亡くなる2日前。

義兄から夫に
「母ちゃんの様子がおかしい」
と電話がありました。

2人で急いで駆けつけると 
顔色も悪く息も絶え絶えの状態。

すぐに救急車を呼び、 
結局そのまま入院。

でも、入院後、酸素が体に入ったこともあり、
看護師さんに注意されるくらい 
たくさん話せるまで 
回復しました。

亡くなるまでの2日間。
私は、仕事帰りに病院を訪れ、
色々な話が沢山できて、とても幸せでした。

結局、義父に続いて、義母と最後の会話を交わしたのも私でした。


そして、本当の最後の時。
義母の周りにはたくさんの 
家族が集まりました。

会話はできなかったけど、
義母は愛する家族、皆の存在を感じながら、義父の待つ場所へ旅立ちました。
義父の時には心残りだった、みんなで見送ることができて良かったと思っています。

ただ、私には義父にはなかった 
心残りがあります。

それは
あれだけ嫌がっていたデイサービスに 
行くことを伝え続けていた 
私の行動は正しかったのか。
義母にどのように伝わっていたのか…
今となってはもう分かりません。

義母は最後は、私が勧めるデイサービスに行くことを決めてくれていました。

でもデイサービスに参加する前に亡くなってしまった。。。

多分義母は、本当に体が大儀だったのだと思います。

介護する者、介護される者の、感情の揺れ動きも体験しました。

この体験から考えたこと

ただこの経験をすることで 得たことがあります。

それは
「終活」の新たな視点。

それは 
動けなくなってから 
認知症になってから
考える、
のではなくて

元気な時に【これからのこと】を 話し合う、ということです。

家族の都合を 
本人に押し付けるのではなく、
本人の気持ちを確かめ、 
専門家も交えながら話し合い、 
準備をする必要があると学びました。


二人の義父母を数か月の間に一気に見送ったことで、相続や不動産の処理は大変なことになります。

今後、相続や不動産について書いていきます。

この事も私が『終活』の取り組もうとしたきっかけの一つです。


今回の記事は、noteを始めてからすぐに書いた記事のリライトです。
前回の記事では、この後引き続き、相続について書きましたが、今回のリライトで別記事として書くことにしました。


また今回の記事のリライトは、タナカさんからの提供もあり、参考にしながら書き直しました。

あわせて感謝いたします。


今日も読んでいただき、ありがとうございました<m(__)m>


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サポートありがとうございます!感謝感激です💛