見出し画像

『一陣』第六章

(前回はこちら)

 「豊松、手紙だ。」
子供頭から渡されたそれを受け取るとき、俺は刀を振り下ろされるような心地がした。
「読んできても、いいですか。」
「おい、行かせてやれ。」
子供頭は渋い顔したが、庄助がそう声をかけてくれたので、豊松は店の裏に回り、周囲に人がいないことを確認して、そうっと開いた。短い手紙だった。兄からだった。
 
「父、遠島に処されたし。他はみな息災なり。」
 
暫く眺めたが、それ以上の言葉はどこにもなかった。おそらく、兄も言葉が見つからなかったんだろう。俺がいまうまく息ができないように。
 父に二度と会えない。秋風が裏通りを抜ける。手紙を取り落としそうになって掴みなおしたが、こんなもの捨ててしまいたくもあった。そうしたら全部無かったことになる気がした。
 でも、これは、本当だ。
 
 ただ客を呼び込む声だけがこだましていた。それは俺の声であって俺ではなかった。心など今どこを飛んでいるのか分からない。父に二度と会えない。二度と頭を撫でられることもない。もう二度と。
「もし、小僧さん」
呼びかけられて初めて客に気が付いた。島田髷の綺麗なお姉さんだった。お供の男を連れて、店先に立っていた。俺はふわふわとした足取りで案内し、おかみさんを呼んだ。彼女の父は何をしているんだろう。きっといい暮らしをしている家だ。しかし常ならば家へ商品を持って売りに行くのに、店へ訪ねてくるとは何の用だろう。どうでもよいことばかり気になった。
 また長屋へ行こう。それだけ考えた。
 
庄助の部屋へ上がらせてもらうと、ドタン、と横の壁がなったので、俺はびくついてしまった。
「ああ、隣の奴、最近よくわからん女を連れてきてな、毎晩これだよ、何やってんだか……まあそりゃ決まってるか、お盛んなこった。」
俺はこういう話題にどう返せばいいかわからないので、黙っていた。もうすぐ十一になるが、どうも女は苦手だし、女に関わる話も苦手だった。そもそも、俺が嫁を貰えるほどいいご身分になれるとは思えないし。……それよりか父だ、そんなありもしない未来や隣の奴じゃなく、父のことだ。
「遠島、遠島になったと。」
庄助は黙ってまた肩に手を置いた。
「そうか。……そうか。」
ドタン。また隣の部屋が鳴った。
「大丈夫、同じ空の下だ。同じ空の下で生きるんだ、お前の親父さんは。」
その言葉はかえってもう会えないことを強調された気がして、視界がみるみる歪んだ。ぼろぼろと涙を流す俺の背中を、庄助は黙ってぽんぽんと叩いてくれた。
 ただ、俺の嗚咽だけが響いていた。夜の江戸に俺の悲しみも溶けてしまえ。
 俺はもう、考えたくなかった。何も考えず、食べて、寝て、仕事をしよう、そう思った。水に流れるように部屋を出ると、隣の部屋から女が出てきた。服が乱れている。それを見たら、無性に腹が立った。
「やい。」
女がこっちを向いた。
「長屋は壁が薄いじゃないか、うるさいぞ。」
驚いたことに、一拍おいて女は笑った。
「それは、すまなかった。ははは、暗くても分かるほどそんなに顔を赤らめるくらいなら、注意なんかするんじゃないよ。お前、意地っ張りな子だね。そのくせ泣いているだろう。どうしたんだい。」
俺は恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。
「関係ないだろ。」
早く店へ戻ろう。そうして、食べて、寝るんだ。
「おい、お前、泣けるときに泣いておきな。泣けなくなったら人間、もうなんも無くなるよ。」
女が俺の背中に投げかけてきた言葉は、よく意味がわからなかった。
風が吹いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?