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言葉にできない隠れた気持ちを、なぜあきらめずに表現するのか。

自分の気持ちに素直になることが、結構むずかしい。
言葉選びも大変だけど、それを見つける前の作業として
自分と向き合うことが苦手なタイプ。
いろんな事を考えていると、まるで野良猫があとをつけてくるように 
ネガティブなイメージまでも一緒についてきて、
考えることさえも面倒になり
「もういいや」と自分の心に背を向けてしまう。
やはり自分の気持ちを表現するには、
「向き合うことができる落ち着いた環境」や「自分に意識すること」がだいじなのかと感じた。

noteが大好きで、掲載したい気持ちがいつもあるけれど、
そんな上記の理由から、
書くことを途中でやめてしまい下書き保存になることが多い。

自分のことを大切にできるひとは、よく、他人のことも大切にできるとか、
そんな事を聞くけれど、
一方、わたしのような
自分の気持ちに耳を傾けることができていない人は、
他人の気持ちも聞くことが苦手なのだから、気持ちに共感することができず
その意味は、大きくは外してなく、ほんとうにそうだなと思った。

いま、書いているnoteはもちろん、
インスタグラムやFacebookなどのSNS系も続いてはいるが、
たまに、友達との世界のギャップ差に、
「胸の真ん中あたりがギューッとなる」ようなヤキモチを焼いたり、
寂しさを感じてしまうこともあって、退会しようか時々、迷うことがある。
だけど、やめずになんだかんだ続いているのは
ごくたま~に、風がそそいだように
昔の友人や、顔も知らない人からコメントやフォローをもらえるからである。

他人の気持ちに耳が傾けられないわたしが、
友人や他人さまの共感や反応に嬉しいというのは、身勝手な話だけど。

人のためになるような記事は少しも書いていないけど
その記事を読んでくれることが正直、嬉しい。

「えー、あの人が見てくれたんだ~!!」
単純といわれるかもしれないけど、めちゃめちゃ嬉しい。

それって、なんとなく
自分の存在を、どこかで気づいてくれたって、安心が持てることなのかもしれない。
そのきっかけがたとえ、数少ないものであっても、
毎日を生きる、毎日を楽しむ大きなエネルギーになっているようだ。

その感動がほしいあまり、
よし毎日「気持ちに向き合うぜぇ~」なんて
もちろんていねいに意識できる自信も、時間も、ないけれど、

これからも自分の気持ちを見つめて、隠れた気持ちを探して
他人のやさしいエネルギーを支えに、楽しく、今を感謝して生きていきたいと思う。


お時間があれば、サポートを頂けると嬉しく思います。よろしくお願いいたします。