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京の九月は 残暑に喘ぐ せめて朝晩 涼しくなって

二千二十二年 九月


はじめに

 この書を手に取っていただいたあなたは、なんと御奇特な方なのでしょう。
どうもありがとうございます。
なんと、シリーズ九作目ですが、まだまだ続く予定です。

ですが、前作同様、この書には悪者は出てきません。
殺人などの物騒な事件も起こりません。
詐欺などのややこしい事件も起こりません。
そこには日常の神や仏がいらっしゃるだけです。

今回は、以前に登場されたジュン様の相方、崇徳天皇が登場されます。
言わずと知れた怨霊ですが、伝えられている話と少し違うようです。
お楽しみください。

また、この書は、神や仏を中心に書かれています。
神や仏のことには余り詳しくないんだという方々のために、神となった背景や係わった歴史の一場面などが書かれています。

場面は京都ですから観光案内書のような一面も併せ持っています。

また、この本の特徴として情景描写がほとんどありません。
会話が主です。
読まれた方が想像していただければ、それぞれの世界が広がるはずです。
神や仏に決まりきった世界は必要ないと私は考えています。

それでは、真面目だったり、ぶっ飛んでいたり、お転婆だったり、悩みを抱えていたりする神や仏の姿をご覧ください。
そして、それぞれの世界で神や仏と戯れてください。


日本国の大魔縁

 ここには私が知る限りの事実や不実が書かれています。
どうか鵜呑みにされませんように。

京都の夏はなかなか終わらない。
九月も半ばを過ぎているのに、まだまだうんざりするほどに暑さは厳しい。

早朝と夜遅くだけが、ようやく少し過ごしやすくなってきたようだが、それほどに残暑は続く。

そんな折、ジュン様がご友人を伴って我が家に来られた。

ジュン様とは誰か?
改めてご紹介しておこう。
第四十七代淳仁天皇。
またの名を淡路廃帝。
白峯神宮に祀られ、球技の神様として有名。
恵美押勝の乱の首謀者と関係が深かったことで廃位となり、親王待遇のまま淡路国に配流。
配流先で逃亡を図るが捕まり、翌日に死亡。
怨霊と恐れられるが、変事が起こったという記録はない。
月様と一緒に我が家を来訪。
元天皇ではあるが、ソフトな口調でフレンドリー。
こんな感じかな?

「こんにちは。お久しぶり。お元気だった? また来ちゃったけど迷惑じゃなかったかしら?」
「いえ、全然問題ないですよ」
「今日は私の相方を伴ってきたの。この前話していたでしょ?」
次は相方の話とは聞いていたけれど、ご一緒に来られるなんて聞いてないよー。

怨霊だよね。どう扱えばいいんだ? 十字架にニンニクか?
いや違うな、日本の神様だもんな。
でも怨霊と呼ばれているのに怖そうな雰囲気じゃないなあ。
ジュン様よりも少し暗い感じがするけど。

しかし、我が家に元とつくけど天皇がお二人も……親が聞いたらなんて思うだろう。

崇徳天皇ストクテンノウ、いや上皇、いや崇徳院、えーとなんとお呼びすればいいでしょう? 初めまして竹本と申します。ようこそ荒屋へ」
落ち着け、俺。

「私のことは知っているのか?」
「はい。ジュン様、いえ淳仁天皇の……」
「ジュン様でいいよ」
「はい。ジュン様が仰るには、白峯神宮の相方であると聞いております」
「ジュン様? 淳仁はジュン様なのか? では私のことはなんと呼ぶ?」
「崇徳だからスー様。いみな顕仁アキヒトだっけ? じゃあケンちゃんとか? あっジンジンとか、仁様でどう?」
「淳仁。私で遊んでないか?」

呼び捨て? ジュン様の方が年上じゃないの?
「あなた相手に遊ぶ訳ないじゃない。ねえ、今の中で気に入ったのなかった?」
「敢えて言えば仁様かな」
「じゃあ仁様で決まりね。ジンジンもいいんだけどなあ」
「ジンジンてなんだよ。竹本と言ったか? あなたは淳仁の父上を知っているか? 舎人親王トネリシンノウといって『日本書紀』を編集された方なんだぞ。なのにこいつは全然言葉を大事にしない。父上が嘆かれるぞ」
「父上は父上。私は私なの」

和やかな元天皇同士の会話。結構仲は良さそうだ。

「今日伺ったのはね。この前の月様とこちらに伺った話をしたら、ジンジンがあなたに言いたいことがあるって言うから連れてきたの。だから聞いてあげてね」
「ジンジンって言うな」

お二人の愉快な会話に見えるけど、ジュン様がちょいちょいおちょくるものだから、仁様結構イラッとしていますね。
穏やかにいきましょうよ。
怨霊神が怒っちゃダメですって。

「そうそう、仁様ね」
ちょっとイラだった仁様がこっちを向いた。
怖い顔。

「言いたいことというのは別に難しいことではない。私が日頃思っていることを、少々ぶちまけてみたいだけだ」
「仁様。ぶちまけていただくのは一向に構いませんが、器物を破壊したり、人を呪ったりはお止めくださいね。人を死にいたらしめることや、地震、雷、火事、親父、じゃなくって暴風雨なんかもご遠慮くださいね」
「その誤解がずっと私を傷つけているのを知ってほしいんだ」
誤解? どの部分だろう?

「私と淳仁は共に元天皇だ。さらに共に退位させられ配流になった。淡路と讃岐で、配流先もそこそこに近い。四百年ほどの開きはあるがな。そして共に怨霊だと言われている」
「結構共通点が多いんですね。だからご一緒に祀られているんですか?」
「そうかもしれないな。ところで私が日本三大怨霊と呼ばれているのは知っているんだろ?」
「はい。菅原道真スガワラノミチザネ公、平将門タイラノマサカド公と並ぶ方だと。ただ、仁様がなぜ怨霊になられたとか、生前どのように過ごされていたとか、詳しいことは全然知りません。でも御三方が揃われることってあるのでしょうか? もしあったとすれば、ちょっと怖いですよね」
「それが誤解なんだよ」

えっ? 誰も疑問に思っていませんけど。
「どういうことですか?」

「例えば将門。元々桓武天皇の枝分かれで、人気や人望はあったようだが、東国の田舎武者が同族の争いに勝ち残り、新皇を名乗り、自分で朝廷に反旗を翻して負けたんだ。だからクソーこの野郎って思いもあったんじゃないかな。京から東国まで首が飛んだって話もあるしな。死んでからも色々伝説があるようだけど、平安の昔に死んだ者が大正や昭和になって祟るってどう思う? 平成や令和になってどうだか知らないが、実際に事故や病気、ケガ、死亡などが起こっているんだけど、首塚は相当にヤバいってことだよな」
「今でも祟りがあるとか聞きますよね」

「道真は政敵に追い落とされて、太宰府へ追いやられたんだから、恨みがあっても不思議じゃないよな。京に帰りたかったみたいだし」
「そのようですね」

「将門は一応皇族の流れだけど、道真は官人とはいえ皇族ではないのだから、三大怨霊などと比べられても困るんだよ。道真は、死後三年が経過した頃から変事が相次ぐんだけど、それから二十年ほどして有名な清涼殿の事件が起こるんだよ。どんだけ恨みが深いんだって話だよな。さらに二十年ほどして北野天満宮に神として祀られる訳だし、民間人が怨霊と呼ばれただけで神にまでなれたんだから、それは良しとしなければダメだろ」

いやいや、その理論、ちょっと無理ありませんか?
どなたにしろ、好き好んで怨霊になられる訳じゃないですよね。

「二人に引き換え私はどうよ。父にも弟にも疎まれて、挙句兄弟喧嘩が大きくなって、争いに負けて流されて、讃岐で写経したものを京に送ろうとしたら受け取ってもらえなくて、結局そのまま讃岐で死ぬんだ。不幸だと思うだろ? それを怨霊だなどと、よくも言えたもんだよな」
「そうなんでしょうね。でも、不遇に扱われたことで怨霊となられたんじゃないのですか?」
「それが誤解だって言うんだよ」

「今までのご発言だと、内容が大雑把過ぎてよく分かりませんが」
「じゃあ、詳しく話そうか」
「はい、お願いします」

「私の不幸は生い立ちから始まるんだ。父 (鳥羽天皇) が父ではなく、曾祖父 (ひいじいじ・白河天皇) が父だと噂されていたんだよ。そのため父からは叔父子と呼ばれ、遠ざけられていたんだ。そもそも曽祖父がいけないよな。自分の娘と愛人関係かって噂されているのに、父に嫁がせるんだもんな。現代ならDNA鑑定でもすればいいけれど、当時にはもちろんそんなものはない。人々が発する言葉 (言霊) がすべてを決していく時代だから、父の言は重いよな」
「当事者のお母上は何も仰らなかったんですか?」
「そうだよな。母者 (藤原璋子フジワラノショウシ) も悪いよ、違うなら違うって言ってくれればいいのに、何も言わなかったもんな。そりゃ皆が信じるし、疑うのも無理ないよな」
「そんな事情があったんですね。気の毒と言えばいいのかなあ」

「まあ母者も気の毒な境遇ではあるんだよ。幼くして父上を亡くされた母者は、当時絶好調だった曽祖父の養子になったんだ。絶対的権力をほしいままにしていた曽祖父は次のように豪語していたらしい。」

『賀茂河の水 双六の賽 山法師 是ぞわが心にかなわぬもの』

当時の賀茂河 (鴨川) は護岸整備などもされておらず暴れ川として有名だったのだが、その川の氾濫とサイコロの目、武装した僧兵は自分の意のままにならない。
逆にいえばそれ以外は意のままになるという喩え。

「意のままになる範囲が広すぎますよね。私など自分のことでも意のままにならないことがあるのに」
「確かに驕ってるよな。曽祖父は働き盛りの四十代半ば、母者は今で言えば小学校に上がるくらいの年齢だったはずだ。曽祖父は他にも同じような境遇の子を引き取って暮らしていたし、奥様は亡くなられていたけれど、それに準ずる方で祇園女御ギオンニョウゴがおられ、それは仲睦まじいお二人だったと言われている」
「曾祖父には女御がおられたのですね。それにお母上と同じ境遇の方が数名おられたのに、どうして曾祖父と愛人などと噂になったのでしょうね」
「それは分からないが、母者は、私を産んで数年経ってからも、この世のものとは思えぬ美しさで近寄り難いと周りの者から言われていたし、私の自慢でもあった。母者が産んだ二人の娘も『端正美麗、眼の及ぶ所に非ず』だそうで、小さい頃から並ぶ者のない美しさだったらしいから、それが原因の一つなんじゃないか?」

「そんなにお美しかったんですか」
「まあ、自慢ではあったが、私にとっては普通の母者だったと思っているよ。だってあの人しか母者は知らないし、それが普通だと思わないか? 他と比べようもないだろ?」
「ご自慢の母上だったのですね。私の母は早くに亡くなっていますから羨ましいです」
「そんな母者と曽祖父との間に、義理の親子以上のものがあったのかなかったのか、今となっては分からない。なんかドロドロしてるだろ。でも私に何の責任がある? もし本当だとしても、両親と曽祖父で話してくれればいいじゃん」

「そりゃそうです。子供に責任はないですよね」
「そうだろ? 父からは生涯疎まれていたのだから、形の上は第一皇子でも、私が天皇になることはないはずじゃないか。なのに私は第七十五代天皇になったんだよ。すべて曽祖父が勝手にしたことで、私が望んだことではない。そもそも三歳だぞ。私に何ができるっていうんだ」
「三歳で天皇ですか? 周りがバカなのか、仁様がスゴいのか。だってどれだけ優秀な方でも、三歳で天皇の仕事が出来る訳ないですよね。それも今のように国民の象徴じゃなくて、政治の実権を握っているんでしょ? どれだけ無謀なんだって思いますよ。院政なんて制度があるからややこしくなるんですよね」

国民の象徴は優秀でなくてもいい、ということでは決してなく、三歳で政治を含め国のトップが務まるのかということなので誤解のないように。

「そうだな。父は幼い私の替わりに院政を敷くつもりだったんだろうけど、曽祖父の力が強かったから思うようにできなかったんだな。だから曽祖父が亡くなった途端、姑息な手で政権の座から引き摺り下ろしたのは曽祖父や母者への嫉妬からだったかもしれないな」
「その姑息な手というのは?」

「最後まで曽祖父が許せなかったんだな。母者も曽祖父が亡くなってからは、父に追い込まれて苦労したようだしな。それにしても姑息な手はちょっと腹が立ったな。父は母者以外の女性を寵愛し、体仁親王ナリヒトシンノウ (近衛天皇) が生まれるんだ。私には腹違いの弟になる。父は生まれて間もない異母弟を、私の養子にしてくれたんだ。まだ私には子もなかったから、これで息子に譲位しても、私が院政を敷けることになるよな。疎まれていた父が私の将来を考えて、養子にくれたんだから嬉しかったなあ。で、義理の息子、実際には腹違いの弟に譲位することにしたんだ。ここまでは美談なんだよ」
「ようやく御父上に認めていただけたんですね」
「そう思っていたんだが、譲位の儀式当日、事件が起こるんだ。どこでこんな手違いが起こったのか、皇太子に譲位するはずが、皇太弟に譲位することになってしまっていたんだ。冷静になって考えると、不可思議な点がいっぱいあるんだけど、皇太弟で儀式が進んでしまったからもう取り返しがつかない。義理の息子ではあるが、皇太弟が天皇になったことで私に院政は敷けない。何故なら、天皇の父または父方の祖父であることが院政の条件だからなんだ。そして新天皇の実の父、私の父でもあるんだが、が院政を敷くことになったんだよ。これこそが父の策略だったんだということを痛感させられたよ。和歌にのめり込み始めたのはその頃かな? 結構人気もあったんだがな」
「すみません。和歌には疎いんです。もっとも和歌だけではありませんけれど」

「和歌の話しはまた後でしよう」
「そうですね。では続きをどうぞ」
「わずか三歳で即位した近衛天皇は、十三年ほどの在位で死んじゃうんだ。ここで私の再浮上というか、私の実の息子にチャンスが訪れるんだけど、結局は父の意向で弟の雅仁親王マサヒトシンノウ (後白河天皇) が即位するんだ。理由は、私は一度天皇を経験しているから、この度は別の者にということらしい」

「再登板される天皇が今までなかった訳じゃありませんよね」
「そうなんだけど、私もそんなに天皇がやりたかった訳じゃないけど、父にすればしてやったりだったろうな。私の出自は私の責任ではないのに、そこまで疎まなくてもいいと思わないか?」

「お父上に二度続けて嵌められたってことですか?」
「気になる言い方だがそういうことだな」
「不躾ですみません」
「続きいいかな?」
「そうですよね。この程度じゃ怨霊になんかならない。お願いします」

「弟 (後白河天皇) と仲が良くなかったのは事実だ。元々権力欲の強い奴で、そこに藤原、平、源などの思惑が絡んで、ただの兄弟喧嘩が大きくなってしまって、父の死も相まって保元の乱へと発展していくんだ」

「時代が大きく動くんですね」
「当事者としては大きく動いたという意識はないが、弟とは十歳違いだからほとんど接点もないんだ。一緒に遊んだ記憶もないしね。何しろこっちは三歳から天皇だったものでね。ただ、今思えば、弟は自分を強く見せたかったんだろうな。そのためのマトが欲しかっただけなんだと思う。でも標的にされたこちらは溜まったもんじゃない。結果、保元の乱だ。ほうげんの乱だぞ。ほげんの乱じゃないからな」
「そこなぜ言い直しましたか? どんな拘りなんです?」


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