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晴れた夜空に 七夕まつり 夜空を焦がし 身も焦がす

二千二十二年 七月


はじめに

この書を手に取っていただいたあなたは、なんと御奇特な方なのでしょう。どうもありがとうございます。
なんと、シリーズ六作目ですが、まだまだ続く予定です。

ですが、前作同様、この書には悪者は出てきません。
殺人などの物騒な事件も起こりません。
詐欺などのややこしい事件も起こりません。
そこには日常の神や仏がいらっしゃるだけです。

今回は、七夕に因んだお話しです。
よくご存じの織姫と彦星の後日譚が披露されています。

また、この書は、神や仏を中心に書かれています。
神や仏のことには余り詳しくないんだという方々のために、神となった背景や係わった歴史の一場面などが書かれています。

場面は京都ですから観光案内書のような一面も併せ持っています。

また、この本の特徴として情景描写がほとんどありません。
会話が主です。

読まれた方が想像していただければ、それぞれの世界が広がるはずです。
神や仏に決まりきった世界は必要ないと私は考えています。

それでは、真面目だったり、ぶっ飛んでいたり、お転婆だったり、悩みを抱えていたりする神や仏の姿をご覧ください。
そして、それぞれの世界で神や仏と戯れてください。


七夕の意味

 ここには私が知る限りの事実や不実が書かれています。
どうか鵜呑みにされませんように。

まだまだ梅雨は続いているが、夏の暑さも忍び寄ってきている。
つまり蒸し蒸しジメジメで、最悪のコンディション。

京都の梅雨から夏は、湿度が高く、気温も高いので、特に私などは不快感でいっぱいになる。
自分が冬の生まれのせいなのか、汗かきのせいなのか、暑さは苦手だ。
夏が来るたび、夏なんかなければいいのにと思ってしまう。
年齢と共に益々苦手意識が増したような気がする。


「もうすぐ七夕だな」
「そうですね。私が幼稚園児の頃から、願い事を書いた短冊を笹に取り付けるというイベントの印象しかないですが、何か神事はあるんですか?」
「元々は乙女が神のために着物を織り、それを捧げることで五穀豊穣などを祈った神事だ。その着物を織った織り機を棚機たなばたといい、語源にもなっている」
「やっぱりですけれど、元々は神事なんですね」
「小さい頃から、そうやってイベント事に馴染むのは大事なことだと思うのだが、しっかり意味を理解することなく行うものだから、何故そういうことが行われるのかが、おざなりになるんだよな。この間の瀬織津姫との話じゃないけれど、神仏と人とがどんどん離れて行っていってしまうのが、如実に分かってしまうな」
「でも、小さい子たちに意味を説明してもキチンとは理解できないのじゃないでしょうか。だから、せめて形だけでも覚えてもらおうということじゃないのかなあ」
「経験という意味ではそうかもしれない。だが、それでいいとも思わんな」
「織姫、彦星も七夕ですよね」
「それは中国に由来する。七月七日というのも中国由来だ。本来旧暦のはずだから、七月はあり得ないし、短冊に願いを書いて笹に飾るのは、江戸時代になってから庶民の間で広まったらしいぞ」

七夕たなばた、別名をしちせきといい、五節句の一つです。
旧暦七月七日の夜をいいます。
牽牛けんぎゅう織女しょくじょ伝説と乞巧奠きっこうでん(手芸上達を願う祭)の風習が相まって成立しました。
当初は貴族の文化であり、平安時代の貴族の邸では、牽牛と織女が会えるように願ったり、手芸・裁縫などの上達を願いました。

江戸時代には習い事の上達を願う願掛けとして、一般庶民にも広がります。
また短冊を笹に飾る風習も江戸時代に始まりました。

節句せっくとは、年に何度かある重要な節目をいいます。
特に、五節句、人日じんじつ(一月七日)、上巳じょうし(三月三日)、端午たんご(五月五日)、七夕しちせき(七月七日)、重陽ちょうよう(九月九日)は江戸幕府によって『式日しきじつ(公式行事)』として行われました。

ただし、明治政府により明治六年に式日は廃止されますが、民間には風習として残り、現在でも行われています。

一月七日は『人日じんじつの節句』または『七草の節句』ともいい、『七草粥ななくさがゆ』を食べる日です。
七草粥に入れるのは春の七草と呼ばれ、次のものを粥に入れます。
せりなずな御形ごぎょう繁縷はこべら仏座ほとけのざすずな蘿蔔すずしろ

三月三日は『上巳じょうしの節句』または『桃の節句』ともいい、雛人形を飾り、女児の健やかな成長を祈る日です。

五月五日は『端午たんごの節句』または、『菖蒲しょうぶの節句』ともいい、鯉のぼりや鎧兜、武者人形などを飾ります。
現在は『こどもの日』として五節句のうちで唯一国民の祝日として残っています。

七月七日は『七夕たなばたの節句』または『七夕しちせき』ともいい、笹に願い事を書いた短冊を飾ります。

九月九日は『重陽ちょうようの節句』または『菊の節句』ともいいます。


「ずいぶん新しい風習なんですね」
「あくまで民間に広まったのが江戸時代というだけで、それ以前は宮中行事として行われている。しかし昔から行われていると思っていても、歴史を辿ってみると意外と新しいなんてことが多々あるのかもしれないな」

そうだよな。つい三十〜四十年前まで知らなかったけど、京都のシンボルみたいになってる、あの平安神宮も明治になってからの創建だしな。

そうなんです。平安神宮は明治二十八年(一八九五)平安遷都一千百年を記念して創建されたんです。
主祭神は都を京都に移した桓武天皇と、平安京最後の天皇、孝明天皇。
敷地内にある「平安神宮神苑」は約一万坪ほどあり、四季折々の花々を初め雪景色などが楽しめます。
京都三大祭である時代祭の終着点でもあります。
それにしても京都のランドマークといわれる平安神宮も創建されてから百年余りなんですね。
全国にある他の神社も、あのように鮮やかな朱色の鳥居や柱をしてたのでしょうか?
それを思えば奈良や飛鳥、平安京の昔からある神社や寺院は凄いですね。
時代の重みを感じてしまいます。


織姫と彦星

 よく晴れた日、広々とした草原に牛飼いが二人、親方から任されている牛の世話をしながら、今日も無駄話に興じています。

「お前他に何か楽しみねえのかよ」
「仕事してるのが楽しいんだ」
「仕事なんて仕方なくやるもんじゃねえの?」
「仕事してる時って、難しいこと考えなくていいし」
「牛の世話してるだけだもんな」
「牛飼いだからね」
「そんなもんかねえ」
「そんなもんだよ」
「ところでさ、俺たちもそろそろいい歳じゃない、お前彼女とかいねえの?」
「彼女がいたことなんて一度もないよ」
「そうか、実は俺もなんだよ、欲しいよなあ」
「僕はそうは思わないな」
「どうしてだよ」
「聞いた話だと、彼女とは一緒にいるのが基本らしいんだけど、そうすると時間取られるよね」
「それが楽しいんじゃないの? 分かんないけど」
「時間取られるってことは、仕事ができないってことで、収入が減るってことだよね」
「それはちょっと極端じゃないか?」
「彼女とは豪華な食事もしてみたいし、プレゼントもあげたいし、となると貯金も減るんだよ、何もいいことないと思うんだけど」
「お金のことなら、全部彼女に出してもらうっていう手もあるんじゃないの?」
「それなんて言ったっけ? 縄? ロープ? ワイヤー? 糸? インシュロック?」
「ヒモだよヒモ。お前、いい男だし、真面目に仕事もするけど、その考え方はクソだな、絶対モテねえぞ」
「興味ないからいいよ」

牛飼いたちが話すこの草原から、さほど離れていないところに大河が流れています。
そして大河を挟んだ対岸には立派なお城が聳えています。

そのお城には美しい姫がいらっしゃいます。
しかもこの姫、見事な布を織り上げることでも有名なのです。
この姫が織り上げる布は誰もが欲しがり、姫の意思とは関係なく高値で取り引きされ、姫の美しさと相まって人気は鰻上りです。
姫は近隣の方々の期待に応えようと、来る日も来る日も機織りに勤しんでいます。
そう、姫は機織りが大好きなのです。

「お嬢様、少しお休みなってはいかがですか?」
「そうね、もう少ししたら休むから」
「お食事もキチンとされませんと」
「そうね、もう少ししたら食べるから」
「夜はちゃんとお眠りになっていますか?」
「そうね、もう少ししたら眠るから」
「お嬢様ったら」
「そうね、もう少ししたら……って何だっけ?」

そんな姫を、『そんなに頑張らなくても生活に困ることはないぞ』と、父はとても心配しています。
しかも機織りばかりで、友人と話すことも、ましてや遊ぶこともしないで、このままでは結婚どころか彼氏ができることも、ずっと先の話だと頭を抱えています。
そこで父は一計を案じるのです。

「儂がコレだと思うおのこを見つけ、姫に無理矢理にでも会わせてやろう」

そうして父はいそいそと姫の結婚相手にもなろうかという男性を探し始めるのです。
どれくらいの時が過ぎたでしょうか、ようやく父のお眼鏡にかなう若者が見つかりました。

「ヒコ、昨日王様の使いが来てたけど何の用だったんだ?」
「姫様に会えといわれた」
「あのスッゲエ美人で有名な姫とか?」
「その姫かどうかは分からない」
「だって王様の姫は一人だけのはずだろ?」
「そうなの? 気にしたことなったからなあ」
「どうして会うんだ?」
「知らないよ、城に来て姫に会えって聞いただけ」
「どんな用事だとしても姫に会えるなんていいなあ」
「代わろうか?」
「エッ、いいのか? いやダメダメ、そんなことしてバレたらその場で首が飛んじゃうよ」
「これってそんなに危ない話なの?」
「お相手がお城の住人じゃあなあ」
「断れないかなあ」
「お相手がお城の住人じゃあなあ」

約束の日、ヒコと呼ばれる若者は、少し憂鬱な気持ちを抱えてお城を目指します。

「行くのヤダなあ、お腹痛くなったりしてくれないかなあ」

お城へ行くだけでも気分が滅入るのに、お城で姫様にあって、何をすればいいのか分からなくては、どうしても不安だけが募ります。

「あっヤバい、ホントにお腹痛くなってきたよ。この辺りにトイレなんてないよなあ、お城まで我慢できるかなあ」

そんなこんなで、ずいぶんと迂回した先にある橋を渡り、とうとうお城に到着しました。

門番に来訪を告げると、
「名前を聞かせてもらおうか?」
「向う岸の牛飼いのヒコです」
「ようやく参ったか、朝から王がお待ちかねだ」

係の人に従いお城の中を歩いていますが、広くて寒くて暗くて、このまま一緒に歩いて行ったら、帰れなくなるんじゃないかと恐怖に駆られながら、トボトボと進みます。
そしてとうとう王の前へ。

「向う岸の牛飼いのヒコでございます」
「ヒコと申したか、よく来た。遠いところをご苦労じゃったな」
「お招きありがとうございます」
「姫のことは聞いておるか」
「姫様がいらっしゃることは存じておりますが、本日お会いして、何をすればいいのかは伺っておりません」
「姫にはどんな印象を抱いておるのだ?」
「僕、いや私自身の印象というよりは、近隣の方々のお話しですと、大層お綺麗な方で、織物がとてもお上手と伺ってきました」
「そう、姫は織物が好きでのお」
「大層美しい織物をお造りになるとか」
「父としては少々心配でな」
「私はこれからどうすればよろしいのでしょう?」
「お前は見栄えも悪くない、仕事にも熱心に取り組んでおる、一つのことに打ち込んでいる姿勢は、姫と共通するものがあるだろう、どうか姫の異性の友となってはくれまいか」
「私がですか?」
「お互いに気に入ったら、お前に嫁がせても良いとさえ思っておる」
「それは無茶です。私に姫様のお世話などできませんから」
「とにかく会ってみろ」

王様に連れられてはいるものの、オロオロしながら姫の元を訪れます。
そしてついに姫とのご対面です。

「姫、少し手を止めてこちらを向いてくれんか」
「父上、何か御用ですか?」

姫が振り向きます。
ヒコは伏せていた顔を上げます。
その瞬間、お二人とも身体中に電流が駆け巡ったようです。
見つめ合ったまま目を離すことができません。

おめでとうございます、恋の始まりです。

元々お二人が結びつくことを望んでおられた王は、お二人を結婚させ、大河を挟んでお城の対岸に屋敷をお建てになり、そこに住まわせます。
そして皆が羨むほどの新婚生活が始まります。
しかしそれは悲劇の始まりでもあったのです。

夫婦生活のみならず、恋愛にも初心者のお二人はお互いに夢中です。
あれほど熱心だった機織りも、あれほど勤勉だった牛の世話も、まるで忘れてしまったようにずっと一緒にいます。
最初のうちは微笑ましく思っていらした王も呆れてしまわれました。

ある日のこと、牛飼いの友が新居を訪ねてきました。

「ヒコ、牛に病気が広まって困ってるんだ。助けてくれないか」
「僕は姫から離れられない。誰か他の牛飼いを探してくれないか」
「色々聞いて回ったんだけど、もうお前しかいないんだ、頼むよ」
「以前、彼女とは一緒にいるのが基本だって話をしたよね、僕はそれを実践しているだけなんだ。だから他を探してくれ」

友が助けを望んでいても知らん顔です。

王は、しっかりした生活を送ってもらうために、宥めたり、透かしたり、諭したりしますが、一向に聞く耳を持たず、お二人のイチャイチャは続きます。
そしてついに王の怒りが爆発します。
怒り狂った王は姫だけを城に戻し、大河を渡れぬようにして、お二人を引き離してしまいます。

自分たちの行ないに問題があったことを反省するでもなく、姫は嘆き悲しんでいます。
会えないヒコも同じように嘆き悲しんでいることでしょう。

罪は姫たちにあるとはいうものの、姫が可愛くて仕方ない王様は妥協案を示します。

「姫よ、以前と同じように機織りをしなさい。真面目に働くようなら、月に一度だけ、ヒコに会うことを認めてあげよう。ただし、怠けていることが見て取れたらその日に雨を降らそう。雨が降れば大河は増水し、お前たちは会えなくなる。だからしっかりと機織りに励みなさい」

姫は喜び、機織りを始めます。

「父上からお許しが出たの。真面目に機織りしていれば、年に一度は会えるようにしてくださるのですって」
「年に一度ですか? それは待ち遠しいことですね」

姫には何か誤解があったようです。

「父は月に一度といったつもりなのだが、年に一度に入れ替わっておるなあ、まあ、姫がそれで機織りを頑張ってくれるのなら、しばらく様子を見ようか」

王は同様のことをヒコにも伝えます。
こうして姫は機織りを、ヒコは牛飼いの仕事に精を出し、年に一度の再会で激しい愛を育むのでした。
これが織姫と彦星が繰り広げた七夕たなばたの伝説になるまでの出来事です。
めでたしめでたし。

しかし、実はこのお話には後日譚があります。

年に一度だけ会えるようになった最初の数年は、会えたことを喜び、愛を確かめ合ったのですが、別々の地域で暮らしている二人には、年に一度では共通の話題もなく、ましてや共通の友人などありませんから、会話がほとんど成立しません。


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