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夏の盛りを 過ぎた頃には 残暑いやいや 秋よこいこい

二千二十二年 八月


はじめに

この書を手に取っていただいたあなたは、なんと御奇特な方なのでしょう。
どうもありがとうございます。
なんと、シリーズ七作目ですが、まだまだ続く予定です。

ですが、前作同様、この書には悪者は出てきません。
殺人などの物騒な事件も起こりません。
詐欺などのややこしい事件も起こりません。
そこには日常の神や仏がいらっしゃるだけです。

今回は、球技の神様のお話しです。
スポーツはやるモノから見るモノに変わってしまった私ですが、スポーツは大好きです。
楽しく読んでいただけると嬉しいです。

また、この書は、神や仏を中心に書かれています。

神や仏のことには余り詳しくないんだという方々のために、神となった背景や係わった歴史の一場面などが書かれています。

場面は京都ですから観光案内書のような一面も併せ持っています。

また、この本の特徴として情景描写がほとんどありません。
会話が主です。
読まれた方が想像していただければ、それぞれの世界が広がるはずです。
神や仏に決まりきった世界は必要ないと私は考えています。

それでは、真面目だったり、ぶっ飛んでいたり、お転婆だったり、悩みを抱えていたりする神や仏の姿をご覧ください。
そして、それぞれの世界で神や仏と戯れてください。


淡路廃帝

 ここには私が知る限りの事実や不実が書かれています。
どうか鵜呑みにされませんように。

暑い。京都の夏は特に暑い。
九州の知人が京都の夏は暑いという。
また北海道の知人が京都の冬は寒いという。
なぜこんな場所に都を造ったのだろう。
昔はもっと過ごしやすかったのか?
と愚痴りたくなるほどに暑い。
もうイヤだ。

「今日は新しい友を連れてきた。淡路廃帝(アワジハイテイ)だ」
月様はいつも唐突だ。それにいつも新しいご友人を連れてこられる。
家にいなかったらどうするつもりなんだろ?
それともすでに何度かそういうことが起こっているのだろうか?
だとすれば申し訳ないけれど、直前でも良いから電話の一本もくれればいいのに。

今日も何かご相談だろうか?
それとも愚痴かな?
よろず相談所の看板でも上げるか?

「こんにちは。淳仁ジュンニンです。何やら楽しい会話ができるということで、ついてきてしまいました」
穏やかそうな風貌だが、彼も神なのか? 淳仁? 淡路廃帝?

「淳仁と呼ばれるより淡路廃帝と呼ばれている期間の方が長いのよね」
「彼は私とは違い、元々人間だ。そして、人間の中でも神に近い存在だった」

神に近い存在の人間? 淳仁? 天皇か? 神武(ジンム)、綏靖(スイゼイ)、安寧(アンネイ)、懿徳(イトク)……。

「間違っていたら失礼になりますが、ひょっとして淳仁(ジュンニン)天皇でいらっしゃいますか? 何代目かは存じ上げませんが」

「四十七代目かな」
「えーっ。天皇が我が家へ? 本物ですか? 本物なら歴史の生き証人だ。いや、死んでいるのか? 死んでいるは失礼か? 崩御と言えばいいのか?」
慌てふためく竹本を尻目に、

「心の声がダダ漏れですね。とてもユニークで面白い方のようです。楽しくなりそうだ」
ニコニコ顔の淡路廃帝です。

「申し遅れました。私は普通の人間で竹本と申します。よろしくご指導ご鞭撻……」
「そんな型通りの堅苦しい挨拶は結構ですよ」
「恐れ入ります」

「竹本、さっき彼が何代目の天皇か知らない感じだったが、学校で習わなかったのか?」
「学校では習いませんでしたね。興味本位で少しだけは覚えましたけれど」
「昔の者は歴代の天皇の名など、すらすらと暗唱しておったぞ」
「第二次世界大戦が終わるまでは天皇は神であり、権力者であったわけですから、歴代天皇を知るのは国民の義務のようなものだったはずですよ。戦後に天皇は国民の象徴となられましたから、そういう教育がなくなったのだと理解していますが」
「教育内容も時代と共に変化するんだな」
「昨日まで良いとされていたものが、新しい発見によって正反対の評価を受ける時代ですから、教育内容も変わらざるを得ないんですよ」
「そんなものか」
「数学や物理、化学などは新しい理論が構築されない限り、ほとんど変化がないようですけれど、社会や歴史や家政学などは、日々変化しているようですよ」
「昔がいい加減だったということか?」
「そうではなくて、今の理論が発見されていないだけですよ」
「結果として間違ったことを教わったということか?」
「そう言えるかもしれませんね。でも数年後にはまた新しい理論が見つかって、昔の方が正しかったなんてことになるかもしれませんよ」
「教育というのも面倒なものだな」
「そういう意味では、歴史書と似ているところがありますよね」
「歴史書の場合は、面白そうだから自分が書きましたという奴はいない」
「どこかに書かした張本人がいるということですね」
「そうだな。そしてほとんどの場合、その書かした奴は権力者側の人物だ」
「そうでしょうね」
「だから、新しいのが見つからないからそうなったというよりは、都合が悪いからそうなったという方が正しいと思うのだが」
「権力者側に不都合なことは、封印されてしまうということですね。でも、そんな不都合な歴史書に何か意味はあるんですか?」
「歴史はいつも不都合なもんさ。政治的にしろ、軍事的にしろ、負けた側の歴史書など見たことあるか?」
「多分ないと思います。というか、歴史書をほとんど知りませんから」
「それはそれで、悲しい事実ではあるな」

「そろそろ私も会話に混ぜてくださらない?」
「申し訳ございません。決して放っておいたわけでは……」
「こいつと話していると、いつもこんな感じなんだよ」
「仲がいいんですね」
「そんなことないんですよ、いつも振り回されていますから」
「お前、振り回されているはないだろ」
「本当に仲がいいのね」

「今日もそうですが、家にいなければどうするつもりでした?」
「帰るしかないだろうな」
「電話の一本でもくだされば、そんな無駄なことにはなりませんから」

「それは竹本氏が正しいと思うわ」
「そうでしょ? だからいつも翻弄されているんですよ」
「歴史に翻弄された身としては、歴史書云々の前に、事実は小説より奇なりよ」
「その辺りのお話しも聞かせてもらえれば大変嬉しく思います」
「緊張してるの? そんなに畏まらなくてもいいのよ」

今回のお相手は、天皇でいらっしゃるから、ご紹介も丁寧にしないといけませんね。
淳仁天皇は一般に淡路廃帝と呼ばれています。

天武テンム天皇の第六皇子、舎人親王トネリシンノウの七男としてご誕生されます。
いみな大炊オオイなので大炊王とも呼ばれます。
母上は当麻老タイマノオイの娘、当麻山背タイマノヤマシロ

当麻山背は淳仁天皇が皇位を剥奪され淡路に配流された時、同行されたようです。その後の消息は不明ですが、淡路廃帝が配流先から逃亡を試みられた際に、亡くなったのではないかとの説もあります。

この方は怨霊と呼ばれていますが、そうなるまでには数々の出来事があり、簡単には書き表せません。

最初の出来事は、四十六代・孝謙コウケン天皇の御代みよ参議さんぎ民部卿みんぶきょう左京大夫さきょうのだいふ近江守おうみのかみ式部卿しきぶきょう東山道鎮撫使とうさんどうちんぶし藤原仲麻呂フジワラノナカマロの推挙により立太子されます。


皇太子でありながら、仲麻呂の私邸に住むなど、かなり近しい間柄だったようです。
また、仲麻呂の亡くなった長男の後家・粟田諸姉あわたのもろねを、妻にされています。

諸姉もろねとは、諸兄もろえと同じく年長者に付ける名で、当時は特別珍しくなかったようです。一番目に生まれた男の子を一郎とするようなものでしょう。

彼女は夫である仲麻呂の息子が亡くなった後も、仲麻呂の邸宅にそのまま残ることになります。
それは彼女が大宝律令たいほうりつりょうの編纂などで活躍した粟田真人アワタノマヒトの縁者であることが大きな理由のようで、仲麻呂はその知名度と経済力を当てにしていた節があります。
でも普通は夫と死別したら実家に戻るのじゃないのでしょうか?

因みに、母親の当麻山背は、配流先の淡路に同行されましたが、妻である彼女は同行しませんでした。
かなりのわがまま女のようですね。


そして、孝謙天皇が母上である光明皇太后コウミョウコウタイゴウの病気療養に仕えることを理由に譲位され、大炊王が践祚されます。
第四十七代淳仁天皇の誕生です。
因みに孝謙天皇は孝謙上皇になられます。

この当たりから天皇を手中にしたことで、仲麻呂の暴走が始まります。

そんな折、平城宮改築のため、天皇と上皇は近江の保良宮(ほらのみや)に行幸されるのです。
歴史の必然とは面白いもので、事件が起こるように動くんですよね。


保良宮

 保良宮滞在中に上皇は、ある日体調を崩されますが、自身の病気平癒に目覚ましい活躍をした、弓削道鏡ユゲノドウキョウという僧侶を寵愛されるようになります。

ここでも日本三大○○が登場します。弓削道鏡は、平将門、足利尊氏と並んで、日本三悪人に数えられているのです。


「上皇、私たち天皇家の者が、神職ではなく坊主を重用するのはどうかと思いますよ」
「何言ってんのよ、わたくしが体調を崩した時、神職たちは何をしてくれたの? ただ祈っていただけでしょ? あの方はね、祈祷だけじゃなく真剣に看病してくれたわよ」

「あらぬ噂になっているのはご存知ですか?」
「大体の想像はできるわよ、わたくしにも耳はありますからね」
「でしたら……」

「確かにあの方は僧侶だし、男性だし、・・・がとても大きいと風の噂で聞こえてきているし、見たことはないけれど」
「でしたら……」

「わたくしは上皇とはいえ一応女だし、それに独身だし、世間的にイメージが良くないのは分かっているわよ」
「でしたら少し控えてくださいよ」

「どうして? わたくしは上皇ですよ、この国で今のわたくしに逆らえる者は誰もいないのよ」
「その通りです。ですから、お諌めできるのも私くらいかと思い、本日は伺った次第です」

「仮にわたくしとあの方がそういう関係になったとしても、誰がそれを止められるというの」
「そのおつもりがおありなのですか?」
「そんなつもりはないわよ。わたくしに懸命に尽くしてはくれていますけれど、彼も臣下の一人です。その程度は弁えています」
「そのお答えをお聞きして、少しは安心できます」

「でもね、わたくしのために懸命になってくれた方をないがしろにはできないわ。あなたが仲麻呂に不義理できないのと同じよ。それにね、わたくしは仏教擁護派なの」
「そんなあ」

「それよりあなた、仲麻呂の死んだ長男の後家を妻にしたんでしょ? そっちの方が問題とは思わないの?」
「それに関しては一言もありません」
「そんなにいい女なの? わたくしには会わせてもくれないし」
「いい女かどうかは、主観だと思いますが、私自身はそうでもないと思っています」
「じゃあどうして?」

「妻にしたというよりは、させられたという表現の方が正確だと思います」
「仲麻呂に押し付けられたってこと?」
「そういう見方もできるかと」

「仲麻呂はね、あくまで臣下なのよ、分かってる? 好き勝手させちゃダメなの」
「好き勝手させているつもりはありませんけれど……」

「もちろん光明皇后も、今は皇太后ね。わたくしも仲麻呂を重用したわよ、でも最近ちょっと目に余る行動が多いんじゃないの?」
「そうかもしれませんけれど、私にはほとんど何も相談してくれませんから」
「それを好き勝手させているっていうんじゃないの?」
「面目ありません」


「天皇の職はつまらない?」
「七男に生まれて、今まで政治とは無縁な生活でしたから、よく分からないんですよ」
「上手くできないのなら、わたくしがやるわよ。あなたの前はわたくしだったのですから」
「とんだ藪蛇になりましたね」

「道祖王(フナドオウ)を廃太子にしたのもわたくしですから、あまり面倒なことを言うようなら、あなたにも辞めてもらうから」
「私としては辞めてもいいんですけれど」

「そうなの? 権力とか支配とかそういうのに興味ないの?」
「自分が天皇になるまでは考えたこともありませんでした。何故でしょうね、皇太子時代に考えるべきだったのに」

「分かったわ、じゃあこうしましょう。あなたは宮中祭祀だけを行ないなさい」
「はい?」
「宮中祭祀も天皇が行う仕事として重要だということは、あなたも理解しているでしょ?」
「それはもちろん、毎日色々とやることがありますから」

「それならできるでしょ?」
「意外と好きなのですよ」
「もう一つの仕事である国の重要なことは、わたくしが決めるから。それでどう?」
「ずいぶん気が楽になります」
「じゃあ、決まりね。役割が違うとはいえ、天皇が二人いるように見えるのは都合が悪いから、私はどこか別のところに政治の行える場所を設けるわ」

「すみません。私が不甲斐ないばかりに」
「いいのよ。わたくしは結構この仕事好きだし、あなたが嫌だっていうのなら、替わることに何の不都合もないわ。これからは、お互い干渉しないことにしましょうね」

そして上皇は出家し、法華寺ほっけじに居を移し、政治の中心地も法華寺に移ることになります。


この話を聞いて焦ったのは仲麻呂です。
自分の権限が脅かされるだけじゃなく、下手をすれば外されてしまいます。

「お上、上皇によって私の立場や権限が脅かされようとしておりますが、いかがお考えでしょう」

「仲麻呂卿、私は義理の父であるあなたに逆らおうとは思っていません。しかし、いいなりになろうとも思っていません」
「お答えを伺っておりませんが」
「保良宮で上皇と話し合いました。今後、私は宮中祭祀だけを行ないます。政治的なことは上皇が行われます。そして互いに干渉しないと決めました」

「それでは私の仕事がなくなるではありませんか」
「何故ですか? 政治向きのことは、今後上皇と話されればいいのです。私に遠慮することはありませんよ」
「それでお上はよろしいのでしょうか。お上のお勤めをないがしろにはされておりませんか」
「上皇と二人で分担するということです。私はそれでいいと思っていますよ」
「せっかく権力を手中にされましたのに、お捨てになるのですか?」
「権力など時の運のようなものです。執着するとロクなことにはなりません」
「お上はやはり神か仏か」

「仲麻呂卿、いや義理の父上、あなたには今まで色々とお世話になりました。それ故に、今後あなたのなさろうとすることに私は異を唱えないようにしましょう。ですから、私のすることにも干渉しないでいただきたい。よろしいですか?」
「畏まりました。では私自身の責任で、自由に振る舞わらせていただきましょう、それではこれにておさらばです」


天皇と上皇の溝が深まったのが、一人の坊主のせいだと多くの歴史は語っていますが、だとすれば神道しんとうの親元、天皇家にとっては悲しいことです。


藤原仲麻呂

 藤原仲麻呂フジワラノナカマロは奈良時代の公卿・貴族で、淳仁天皇の御代、恵美押勝エミノオシカツと姓名を改めています。

父は藤原武智麻呂フジワラノムチマロ・南家始祖、母は安倍貞媛。

当時天然痘が大流行し、政権を担っていた藤原四兄弟(父・武智麻呂、叔父の房前フササキ・北家始祖、宇合ウマカイ・式家始祖、麻呂マロ・京家始祖)が相次いで病死します。
後ろ盾を失った光明皇后を始め、藤原氏の勢力は大きく後退することを余儀なくされてしまいます。


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