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僕みたいなやつがどんな就活やってるのか、または長大な自語り

どうもみわです。
タイトル的に大前提自分に興味ある人向けな感じがしている。



この話動画でやろうかな(どっかで役に立ちそうなので)と思っていたんですが、面接直後の躁みたいなテンションだと話はまとまらないし、そう思って寝かせておいたらテンション下がってしまったのでnoteにします。

てか面接前に逆にこれ読んでいただいた方がスムーズなのでは????(届かない想い)

前提

まあSNS追ってる人とか知り合いとかだったら既知だと思うんですけど
今どき名前打ち込んだらネットに情報上げすぎてて全部出てくると思うので書いちゃってみますね。

立命館大学 文学部 人文学科 地域研究学域 地域観光学専攻
デジタル人文学ゼミ

に所属しています。
一貫生なので結構、共働きの両親から多大なる投資をいただいてできた人間となっています。

ざっと適当に計算するだけでも、確実に2000万くらいかかってできている体なんだなぁ、と思うと、親孝行どんだけしなあかんねんという気持ちにすらなりますが、そういう感じです。


選考やゼミなど

地域研究学域 地域観光学専攻

文学部は多数の学域に分かれていまして、哲学もあれば美術もあり、言語学的なのもあり、的な感じで広範。文学部とはって思わなくもないですが、そういう感じです。

地域研究学域っていうところは、地理とか、観光とか、人がその空間でどのように生きているのかとか、歴史とか、地誌とか、そういう感じのトコロです。
大きくは地理学、地域観光学ですね。

で地域観光学専攻とかは人の移動とか、観光が環境に及ぼす影響とか、観光が地域経済に対する作用とか、いろいろです。

地域研究学域に行った理由としては、もともと地域、里山、田舎とかが好きで、で、ある映画をきっかけに高校三年生の卒業論文に近い、「課題研究」を地方創生、地方活性化をテーマにしよう!ってしてめっちゃ頑張ったんですよね。

それで結構事例とか調べてまとめて分析するのがすごく楽しくて、楽しいままに頑張ってたらなんか表彰してもらえて、みんなの前で発表して、みたいなことがありました。

わ!これは地域研究だわ、ってなりまして。それで地域研究。
今思えばどっちかというと産業社会学部の方が授業的には刺さること多かったと思います。

加えて「京都学」にも強い関心がありました。もともと京都学専攻、ってのがあって、そこにいきたかったんですよすごく。

やっぱり京都生まれ、京都育ちだし、京都の空気感、カルチャー感、繋がりの強さ、めっちゃ好きだし。
あと小説も僕好きでいっぱい読んでたんですけど、京都が舞台でめっちゃ面白い作品もいっぱいあるし。魅力的なまちだから、もっと知りたいし、みたいな。

なので1年ときはめっちゃ京都学の授業とかもとってましたね。

デジタル人文学ゼミ

というわけで地域研究で1、2年生を過ごしたんですが、アレ、俺写真や映像、テクノロジーの方が好きだし、ワクワクするし、今のめり込んでるしもっとやりたいわ、となって。

そして3年からあるゼミでは、京都学ではなくデジタル人文学ゼミを選びました。

こっちだと、人文学の領域にデジタル技術をフル活用したようなことができるんですね。しかもかなり自由度高く。

・デジタルアーカイブ
・web制作
・デザイン、CG
・アーカイブ撮影
・データサイエンス
・ビッグデータ
キーワードで言うとこんな感じでしょうか。

僕は大学と繋がりのある京町家の3Dアーカイブをテーマに何かやろうとしています。


情報収集とかに関して

iroots
offerbox
マイナビ


たまに
onecarrer
openwork

稀にビズリーチキャンパスも覗いたり

してます。

irootsとofferboxはいわゆるスカウトくる系のやつで、今数社本選考受けさせてもらっている会社もありますし、残念ながらお祈りになりましたが結構マジでいきたいかも!!と強く思っているところからもらえる機会もありました。


irootsで開示しているプロフィール

irootsはかなりプロフィールの情報量が大きいので、自己紹介が詳細にできます。ので貼る。

志望条件

性格/人柄

あなたはご友人やご家族からどのように表現されますか?
例文を参照し、よく言われることを3点教えてください。

部活動などの経験から、やりだしたら目標に向かってとことん継続し、
多少体力的に厳しい事でも、最後まで諦める事無くしっかりやり切る事が出来る。

色んな人との繋がりを大切にし、自分に無いものを得られる人や環境を大切にし、
その為にも、約束や時間を守る事を重視している。

同じ思いを持つ人や共感している人との間では、饒舌ではあるが、
初見の人や自分の考えを押し付けてくる人に対しては、少し控えめになる。

経歴

所謂自分史、みたいなやつでしょうか。

例文を参考に、幼少期~大学までのご経験を教えてください。

(幼少時代)
工作、物作りが好きで、両親の祖父からよく空き箱や道具を与えられていた。

(小学校)
兄と同じ小学校に入りたかった気持ちがあり、私学の小学校へ行くことになる。 小学3年生の時、短距離走がクラスで一番早く、運動会で代表になる。一方で、長距離走は極めて遅く苦手で、冬のマラソン大会ではひどい転倒もあり最下位に。
4年生になりマラソン大会で最下位だった経験から、京都の大文字駅伝出場を目指す「駅伝部」に入る。毎朝始業前に学校や鴨川での練習をおこなっていた。6年生になる時点で長距離走への苦手意識は無くなっていた。当時の練習ノート的なものに「走るのが楽しい」と書いてコーチをしてくれていた先生もずいぶん喜んでくれた思い出がある。

(中学校)
ソフトテニス部に入る。初めは若干サボり気味であったが、続けていくうちに部への愛着やテニスが好きになり、次第に熱心に取り組むようになった。一貫校のため中学3年生から高校テニス部で練習を始める。
一年生での初めての試合で負けた相手に、最後の総体で勝つことができたのが印象的だった。 京都の私学大会では例年優勝しており、自分の代でも優勝、連覇の記録を更新することができた。

中三の体育祭では応援団に参加、文化祭では演劇で助演を務めるなど、学生生活で「クラス」という箱の中では一番活動的だったかもしれない。暖かいクラスで、とてもいい思い出だった。

(高校)
高校時代は部活漬けの日々だった。今でこそ問題視され変わってきてはいるものの、オフがないこと、土日の多くが「一日練」という朝9時から夜19時の練習。
また多くの先輩が参加していた、自主練としての21時までの練習など、部活以外に考える事がなかった。
始発ごろに家を出て朝練、昼休みはトレーニング、放課後も毎日すぐに練習と、自分のクラスに授業以外で過ごす時間が減り、中三とは一変してクラスメイトとの交友が減った。
冬場、朝練の前がちょうど日の出ということも多く、その頃から写真を撮る習慣があった。

マジ綺麗なんですけど、なんで東西がこの方向の設計にしたのか。
眩しくてたまらなかった。

初めは6人いた同期も厳しい練習のせいか減り、最終的に残った3人とは、今も強い仲間意識がある。

何度も辞めてやろうと思う一方で、テニスが好きという想いと、やり抜くことができる、かっこいい人間になりたいという気持ちもあって、最後まで続けた。
中学では目立った成績を残せなかったものの、高校では複数回地区準優勝、団体での京都夏季大会優勝などと言った経験もできた。

ルックスが当時めっちゃ強かった選手に少し似てたらしく、練習試合で警戒していただくも、
実力は普通かちょい下手という残念なスペックでした。
姿勢に気をつけてたら結構癖になって、背筋が伸びた。

残念ながらコロナ禍の影響でインターハイは中止・最後は京都府記念大会というもので終わった。

休校の期間中、トレーニングとして京都中でランニングをする。いつの間にか走ることそのものにハマって月300km以上になっていた。道のない山に突入して遭難を覚悟したことも。

赤が走った軌跡ですね。
家は太秦のあたりです。来てくれたら一緒に散歩しましょう。
調子乗って30kmくらい先の伏見稲荷まで走って、疲れすぎて帰れなくなったことがあります。

テニス部引退後、父のフィルムカメラを部屋で見つけ、カメラにハマる。写真や映像への興味が高まり、株式会社Q’sの取材系インターンを父から紹介され飛びつく。

初カメラはミノルタsweet α。しかしソニー使いにはならなかった…

↑ここで高三2月からインターンで絡みがありました。
(受験がなかったからできたことですね)
まだwebサイトもできる前、会社できたて!ってタイミングでした。
掲載写真の多くは僕撮影だったりします。

同時期にスーパーでのアルバイトを始める。初めての「仕事」の経験になった。


「課題研究」と呼ばれる、いわゆる卒業論文のようなものでは、地方創生について扱い、優秀な研究として選ばれ校内で発表した。研究といっても事例を調べまとめたものではあったが、そこからさまざまな地方創生の形について知り、興味を持つ。
*2020年度 顕彰・表彰 【父母の会学術奨励賞(文社研究部門)】 ・3135 三輪恵大さん 「田舎を元気にしたい!! ~地方創生に必要なモノとは~」


(大学)
地方創生等への興味の高まりから、立命館大学の文学部「地域研究学域」に進む。

フィルム写真に特化した、写真研究会というサークルに入る。

https://twitter.com/Ritsyaken/

関西圏の様々な大学の先輩に遊びに誘われ、学校以外での知り合いが増えていった。それはのちに写真部連盟に入るきっかけにもなった。

夏頃に(一社)日本学生写真部連盟の企画局員に参加。50大学が参加する写真部連盟で、学生を対象とした写真関係の企業のイベントの企画、運営に関わる。一年半後に西日本幹事長を引き継ぐ

カメラメーカーの開発陣との交流会や、スタジオでのプロカメラマンのセミナー等、刺激的な機会が数多くあった。


年末から年明けにかけて、インターン先主催のイベント「未来の大衆食FES」があり、イベント期間は撮影してはその日のうちに写真や動画を共有する期間があった。

初めての大きなイベントの撮影を経て、様々な人と繋がり、いろいろな話を聞き、またその後多数の仕事をもらい、自分に新しい可能性があるように思えた。仕事が仕事を呼ぶ、という感覚があり、とにかく何事も真摯に取り組むことがその後の繋がりを紡ぐのだなと思うようになった。その流れで個人事業主として開業、両立が難しくなっていたアルバイトを数ヶ月後に辞める。
その後株式会社マガザンより、「BASE ART CAMP」という社会人向けアートワークショップの撮影全般を頼んでいただき、参加。現代アートを中心とする講義で、撮影しながら、自分自身も大きくアートの分野への関心が高まった。

2回生になるタイミングでサークルの会長を引き継ぐ。 初めは抱え込んでしまう癖があり、役割分担がうまくできなかったが、次第にサークルらしさを出せるようになった。

5月ごろ京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」のアーカイブ写真の撮影に協力。秋に撮影チームに入り、オムロン等の企業やArt Collective Kyoto, Nuit Blanche Kyoto等アート関係のイベントの撮影、配信アシスタントに入るようになる。

夏休みにアルバイトや撮影で稼いだお金を使いロンドン、パリ、バース、オックスフォードへ旅行へ行く。日本と違い早くからマスクの着用の自由化が進んでいたこともあり、全く違う世界観、生き生きした人々の表情に驚かされた。 留学していた兄の寮に泊まりながら街の写真を撮り歩いた。

自分の興味も地域関係から写真、映像、デジタル技術に傾倒するようになり、3年生のゼミでは「デジタル人文学」という分野を扱う、自身の技術や興味を活かせる用なものを選んだ。


現在京町家の三次元モデルアーカイブをテーマに制作中。就活やいただく仕事等に押されて停滞気味。


2023年の印象的な仕事としては、Chefs for the Blue、株式会社マガザンよりいただいた「The Blue Camp」
学生向けの食のワークショップで、募集動画として東京、京都のトップシェフのインタビューを行った。
自分としても自らの撮影、編集が大きく結果に関わる案件となり緊張感があったが、8名の募集枠に対し50名を超える応募者を記録したとして、感謝されたことが非常に心に残っている。



…長い!!!!!!
まだ続くんですねこれが。

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かなりクサい。


ガクチカ

経歴で記入した幼少期~大学時代までの経験の中で、最も自分に影響を与えたことについて、具体的な内容とあなたに与えた影響をお書きください。また、大学時代に注力している研究・学業なども併せてご記入ください。

学生時代の経験で最も自分に影響を与えたことは、大学になり始めた写真、映像に関わる取り組みとつながり全てです。この環境の中で、誰かに何かを教える、組織を引っ張る、一人や複数人で企画を作る、チームで制作を進めることについて様々な経験がありました。
基本的に全員が年上という環境は、新しい学びの連続で、大学に入り「初めての経験」をすることがここまで多いのか、と驚かされました。

新しい環境の中で新しい人と繋がるという経験は、一貫校という、ある種閉鎖的なコミュニティの中で育ってきた自分にとって、とてつもなく刺激的なものでした。大学に入学し入ったサークルや写真部連盟を通し、「自分と同じ興味を持つ人たち」と沢山繋がることができました。これまで部活という一部強制力のあった組織ではなく、「やりたいからやる」、「好きだからやる」というより自分主体で「好き」を追い求める人たちはとても魅力的に思えました。それぞれのこだわりや考え方、やってきたことやいつかしたいことなど、話を聞くだけでも新しい発見に溢れていました。

サークルの代表を引き継いでしばらくは、コロナで活動が止まりつつあった前年度の影響もあり、うまく役職の分担ができず一人で仕事を背負い込んでしまっていました。50人ほどのメンバーのいるサークルでしたが、大学への申請作業等、一人でやってしまう方がスピード感的にも、自分自身の精神的にも楽である一方で、一人が故の見落としなどミスもあり、うまくいかない状況に悩んでいました。しかし学祭の展示を通して徐々に協力してくれるメンバーも増え、「サークルらしさ」を徐々に取り戻していけました。新しく多数の役職の人たちをマネジメントする難しさを感じながらも、誰かと一緒に運営する良さも感じられました。

また他校の先輩から誘われた(一社)日本学生写真部連盟は、50大学、2000人規模の団体で、多数の写真映像関係の企業にサポートされている団体でした。企画局は20人ほどの体制で、多様な大学や企業の人と協力しながら、学生向けのイベントを企画、運営する経験はとても貴重かつ興味深いものでした。もちろんカメラが好きという前提がある人が集まっていることもあり、zoomを用いた会議の後、深夜までマニアックなカメラの話をするということもありました。連盟の企画局参加をして1年後、新たに設立された動画の部門では、自分が主導となってCP+という写真映像機材の展示会に出展する映像を制作しました。メーカーにサポートを受けている団体ということもあり、新たな企業とつながることを目標とし、全国の学生が多様なカメラを愛用していることが伝わるような動画を撮影、編集し、結果として新しい賛助会員の獲得に繋がった経験はとても嬉しかったです。現在は西日本の幹事長という代表にあたる役職にあたっており、より多くの学生が写真や映像を楽しめるような企画を作っています。

高校の終わりから始めた株式会社Q'sでのインターンは自分対社会、という構図で物事を考えることになるきっかけになりました。このインターンでの活動を通して、多数の会社、多様な働き方をする大人や学生と出会い、どう生きるか、ということについて考えることが増えました。このコミュニティでは休学、起業する人も多く、またフリーランスや多数の会社に所属する人など、今まで自分が想像もしなかった生き方をする人ばかりでした。
QUESTIONという、人と人とがつながる場所柄もあってか、仕事が仕事を呼んだり、出会いが仕事を生むという感覚が強くなりました。

自分のできる技術の中で、どういった写真、映像を作ればより良い結果につながるかという提案を求められることも多く、そうした中で常に自分自身が新しい技術や考え方をインプットし続けることの重要性も強く感じました。

KYOTOGRAPHIEの撮影チームでは、芸大生がほとんどで、様々な年齢、キャリアを持つメンバーの中で「自分とは」ということを考えさせられました。トップで案件を引っ張ってきてくれるカメラマンさんとは、新しいテクノロジーに関する話が盛り上がり、この後の未来どう生きていくべきか、またどんなことが起きうるのかを話す時間はとてもワクワクするものがありました。

食、アートという分野での撮影が多かった中で、誰がどんな考え方をしているのか、を感じられるインタビュー撮影はどれも印象に残っています。

最終的にフリーランスとして開業し、つながりの中でありがたいことに常に仕事をもらうことができ、アルバイトを辞めた後も困ることなく2年以上この活動が続けられているという事実は自分の中でも一つの自信になっています。

↑これに関しては嘘偽りのない気持ちと、やったことですね。逆に深掘りしてほしいです。僕が気持ちよくなれるので。
サークルに関しては「ダメな」会長だったと思うんですが、周り有能だし、後輩めっちゃ頑張ってくれてて泣きそう


掘ってもらえると嬉しいこと

サークルの話

1年2月-3年8月まで会長だし、コロナ明けで〜で流れが作りやすい
会長は流れでもあるけど、自薦でもあるので話しやすい
3年ぶりの学外展開催(先輩のおかげ)
関関同立、京都写真連盟など色々他校との協働言いやすい
一応90人規模サークル
フィルム、暗室の特異性
新人展で切り捨てるのおもろい

FUPC(写真部連盟の話)

数字で言いやすい(50~大学)
企業となんかしている
わかりやすい企業となんかしている
西日本幹事長<-強そう。実態は同じ企画局員なのに
実際数件イベントも幹事させてもらったので話しやすい

個人事業主の話

差別化しやすい
バイトの倍以上稼げた
人との繋がりの中で学んだことがあまりにも多い
ハードではあったことをたくさん話せる
自分の好きへの熱中度合いがアピールできる
順調?にさせてもらえるレベルが上がったり

この3つはかなり鉄板でしょうか。
毎回おんなじようなことを話しています。


将来像

・自分で自分をかっこいいと思えるような、誇りを持った人になりたい。
・誰かの役に立っていると実感できるようなことを成したい。
・クリエイティブなことを通して社会をより面白いものにしたい。

↑ウーン抽象的。でもかっこいいと思えるような人にはマジでなりたい。

offerboxに書いてる将来像

私の将来像は、今自身がそうであるように何かに夢中になっていたい、ということです。それは今自身がしていることである写真、映像関係のことかも知れないし、違う分野でもそうした「やりたい」「続けたい」が見つかるのではないかと思っています。

どんな仕事を選んだとしても、この変化の激しい時代の中で10年後、20年後何が起こるか、自分がどうなっているか、社会がどうなっているかを具体的にイメージすることは、大学に入学し増えた知り合いや、一緒に仕事をさせていただいているひと回り年上の方々と話す中でも、確かなことを想像するのは難しい部分がどこかにあるなと感じています。

しかしながら「したいからやる」や「任せていただいたから頑張れる」と言った仕事のベースとなりうる部分は変わらないかと感じていますし、年月が経ってもやはり高いモチベーションを持って、夢中になれる何かをしていたいと強く思っています。

自然言語処理による性格分析結果

これかなりおもろコンテンツですね。書いた内容等から性格特徴を出してくれるらしいです。

現状に満足せず、変化・変革を前向きに捉える姿勢を強く持ったタイプである。また、自分の意思で判断し、その実現に向かって自ら積極的に行動していく主体者意識もみられる。一方で人や情報に積極的に関わろうとする姿勢に欠け、他者に無干渉で単独でいることを望む傾向もみられる。コミュニケーションにおいては自分よりも相手を尊重する姿勢が強く、相手の気持ちや感情を正しく感じ取り、要望や期待を受け入れることができる。ただ、自分の考えをしっかりと理解させるために、相手に合わせ、考えや意図を的確に伝えることは苦手である。エネルギー量においては、行動力が高く、バイタリティがあり、何かあると自ら思わず動いてしまう傾向が強くみられる。その一方、上昇志向がやや低く、競争心を持って取り組む傾向はあまり感じられない。仕事の負荷量へのストレス耐性はとても高く、責任ある仕事を任されたり、過剰な業務量などにストレスを感じることなく、自分のペースを守って仕事に取り組むことができる。ただ、評価・評判に対するストレス耐性がやや弱く、他者から自分がどのように評価されているかが気になってしまい、ストレスをためやすい傾向にある。

実際、めちゃくちゃ近い結果になってます。



や〜おもろいですね。
実際仕事の負荷等への耐性は極めて強い自負がありますが、対人関係等のストレスにはすこぶる弱い、そんな感じがあります。

あと乗り越えパワー、やり切りたいパワーも強めやと思います。

なんかこう、性格項目だけ見てるとそれこそフリー向きなんじゃねとも思う。

なんで就活してるのか、会社に入りたいのか

何よりも多分、人に必要とされたい、チームでなんかやってみたい、みたいな気持ちがめちゃくちゃでかいと思います。

これまでの経験からですね。
一人じゃやっぱりしょぼいし。ってのが何より。

サークルで会長やってみて、ワンオペ状態だとやっぱりしんどくて、手を差し伸べてくれる人がいるとすごく嬉しくて、とかはでかいです。

Birdでのインターンでは、チームで新しいものづくりをするってこんなに楽しそうなんだ、やっていけるんだ、力が大きくなるんだ、ってのを眼前に見せつけられて、自分が今までやってきたことが子供の遊びなんじゃないかって真剣に食らっちゃいました。

Kyotographieのチームとかでもやっぱり自分一人じゃやらせてもらえないような新しいチャレンジみたいなことをたくさんさせてもらったり。

そういった、いろいろの中で誰かと何かを作っていきたい、みたいな気持ちがすごく強くなりました。多分1、2年前とかからずーっと思っていることです。

あとは研修とか、人間として最低限のマナーとか、社会の仕組みとか、やっぱり会社に入ると与えてもらえるものが結構あるよーということもすごく強くあると思います。

僕はすごい恵まれている、いろんなことやらせてもらったなと思います。
ただ、どこまで行っても普通だな、外れ値、ってほどではないなとどうしても思うことが多く、だからこそ普通であることも頑張らないといけないのかもしれない、とかも考えていたりします。

就活軸みたいなやつ

テンプレですね

・写真/映像に広く関わることができる会社(これは会社によっては言わない)
・ものづくりをする会社
・チームワークを大切に思う会社
・自分自身が仕事にのめり込み、成長できるような魅力を感じる環境

こういうのであってるんだろうか。

どんな業界見ているんですか?

テンプ(ry

広告
広告制作(クリエイティブ職みたいなポジ)
PR
映像プロダクション(PM)
写真プロダクション(アシスタント)
印刷(の制作してる会社)(デザイン業務など)
カメラメーカー(企画とかいけると最高だけど、営業でも全然自信ある)
スタジオ(夢ベースだといきたいけど、現実ベースだとちょっと一般の大学新卒の優位性に欠けるかも)

など、みたいな感じでしょうか。例外はもちろんあります。

超⭐︎外資!とか超⭐︎総合商社!インフラ大手!みたいなところには全く興味がないです。

本当に心から、今熱中できると思うこと、今後5年、10年は本気でできるであろうこと、今憧れている人と数年後の自分が一緒に働けたらいいな、みたいな気持ちがすごい強いです。

彼らと同じフィールドに立ちたい、とか、彼らと同じ目線で話せるようになりたい、とか思ったりもしているんだろうなと思います。

ワイの就活の流れ

2023年5-6月
各種サイト、サービス登録
カジュアル面談とかめっちゃやってハナホジ

志望業界は上述から変わらずで、アレそういうのって選考全然1年後とかじゃね?と思い、困惑

とりあえず興味ないところ含め、色々会社説明とか受けてみる

7-8月
とりあえずインターンとか行くか〜で中小のサマーインターンに行く。
なんか頑張ったけど収穫は特になかった気がする。
いきたい!ってところのインターンに出すも落ちる

9月
birdインターン楽しすぎる。入社させて。

10月
疲れたのでちょっと停滞
意外とこの時期何もなかったりする。

11-12月
この辺になるとまた情報が増え出す。
実際に気になるところに面接出してみたりしだす。

キャパに喘ぎながら生きる

2024年
1-2月
本選考があるところもちらほら
早期選考のES提出等も結構増える
3月から選考始まるところの会社説明とかもたくさんある

3月
本選考いっぱい始まる
ES締め切りを眺めながら過ごす

現在の選考状況 3/5時点

内々定
1(+1)

最終
2

二次とか面接あったやつ
3

出そかなと思ってる数

24くらい


現状のマインド

現状、行けたら嬉しいところに内々定いただくことができています。

おかげで、真剣に興味あるところしか出さなくていい、というのが非常にありがたいです。
なので出すところ、進むところも最終、ど〜すっかな〜〜〜〜っ悩む対象に入るところしか出す必要がない、という恵まれた状況です。

後悔

やっぱり3年生夏休みのムーブは正直めちゃくちゃ大事だったなとかなり思い返しています。

就活早期化と言いますが、マジで興味ある会社なら悩んでないで絶対に出した方がいいです。

サマーインターンから大手内定って出たら、めちゃくちゃその後の気持ちが楽になると思いますし、面接とかのプレッシャーもやっぱり内定があると全く変わってくるんだなと思いました。


自戒と教訓

ストックできる系のメモをしよう

僕はNotionに全部の情報をつっこんでいます。
全然他のアプリやサービス、紙でもいいと思います。

出したESは記録しておこう

出したESとかは全部記録しておくと、比較できたりとか、次のESを書く時に参考にできたりして良いです。

会社説明会、情報の記録もいいけど、感情の記録もしよう

もちろん事業や福利厚生なんかの話もメモるんですが、そのときその話を聞いて、自分がどう思ったのか、どう自分とマッチしてるんじゃね?と思ったのか記録しておいた方がいいかもしれません。後から見返してもハニャ?となったりします。

スケジュール管理ミスらないようにしよう

人により適正違うと思うんですが、1日に会社説明会や面接を重ねて入れたりすると結構疲れます。
ESの提出+適性検査とかも多いです。
怠けていたら出し損ねた募集とかも結構あります。

マジで余裕を持ってスケジュール組もうね。

ポートフォリオはさっさと作ろう。見せれるなら見せよう

後で苦しむのは自分です。
後は意外と関係ないかな、と思う会社でも、見てもらえることで部署紹介していただいたり、話が弾んだりしました。


モロニキムーブ、いい

後モロニキのケースなんですが、本当に行きたい一社決め打ちで、落ちたら旅に出よう、という想いでやっていたらしいです。めっちゃ素敵ですよね。

どうせ人生何とかなるんだし、自分の欲にできるだけ正直にいるって大切だなと思います。


という感じです。きっと参考にはならないんですが、自分の記録のために作ってみた記事でした。

就活引き続き頑張ります。それではまた。

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