余力を持つことの大切さを知った日
先日、
同僚と飲む機会に恵まれました。
飲みの場となれば、
もっぱら仕事の話はかかせません。
わたしも同僚も、この業界では
すでに20年目を迎えた身。
自分の未来像や会社の方向性、働き方など、
非常に意味ある時間を過ごすことができました。
今回は、そうした飲みの場で生まれた
とくに会話の中で
「ここは大事かも…」と思った点を
皆さんと共有させてください。
それでは、いってみましょう(^^♪
✔プロの仕事とは、
完璧主義なのか
仕事とは、相手から求められて
必要とされるから存在意義が生まれるもの。
つまりは、相手のために
プロフェッショナルな仕事のあり方はとうぜん!
と考えるのが一般常識です。
プロの仕事とは、
完璧な思考、仕組み、手順によって
高品質なサービスを届けてこそ
「プロのあるべき姿だ」と同僚は主張します。
ふむ、間違いではない…と。
ただ、気になったのは
『完璧であるがゆえに、もろくもある』という点です。
とは、いかないのではないか。
それこそ、
「完璧主義はプロの仕事に必要なのか」
と、わたしは感じました。
✔完璧の危うさ
たしかに、サービスを受ける側としては
与えられるサービスや物は完璧であってほしい。
でなければ、安心して利用できませんし
継続して使用しようとも考えません。
そもそも、「不完全なものは世に出すな」が
根底にあるように感じます。
これは受ける側の心理。
では、働く者としては
つねに100%でフル稼働し、持てるすべての能力を活用し
時間のギリギリまで悩みに悩み、
最高の仕事に取組み続けることが正解なのでしょうか。
わたしは、そうは思いません。
完璧であるがゆえに、かえって非効率に陥り
生産性が落ちるのではと考えます。
たとえば、8時間の労働として
休憩時間1時間を除き、実務は7時間。
あなたは、その7時間を
全力で走り続けられますか。
与えられた仕事にたいして
自分の限界まで脳や身体を駆使して
7時間ぶっ通しで取り組めますか。
おそらく、
「できない」と答える人がほとんどでしょう。
かりに「できる」と答える人でも
かならず波が存在しますし、
無意識に手を抜いているはずです。
そうしなければ、あなたは
仕事に取り組めないことを知っているからです。
もしも、その日は7時間ぶっとおしで
走り続けたとしましょう。
次の日も、
同様のクオリティを保てると思いますか。
ミスなく最後まで、仕事を完璧に
終わらせられるでしょうか。
限りなく”厳しい”と感じるのは、
だれしもが抱く疑問です。
✔余力を持つ
素晴らしさ
完璧主義に走れば走るほど、仕事は疎かになり
低品質で見るに堪えないサービスへつながります。
重要なのは「余力を持つ」こと。
心に余裕を持つこと。
ギリギリではなく、
時間や気持ちにゆとりを持つことです。
もしも今後、仕事に
余力を持つように取り組めると、
さまざまな恩恵を手に入れられます。
1、時間に余裕ができる
2、余計なストレスを抱えないで済む
3、イレギュラー時に対応できる
とくに気持ちの面で余裕が生まれると、
「何事にもやってみよう」と前向きな姿勢を作れます。
反対に、完璧主義を求めて
余裕のない全力の頑張りを維持し続けると
「もう、これ以上は無理!」と感じ
とてもじゃないですが、ポジティブな状態は作りづらいもの。
仕事とは、100%ではなく
70%~80%程度に抑えて
必要以上な完璧を求めるなくていいんです。
そのほうが長く仕事を続けられますし、
やりがいの発見にもつながります。
ぜひとも、仕事においては
完璧主義を追い求めるのではなく
心に余裕を持てる姿勢に
取り組んでいただければ幸いです。
同僚の意見は、
「仕事とは完璧にこなして、初めて一人前だ」
と言い切ります。
間違いではない。
たしかに、己の限界値も知らずに
ひたすらに手を抜き続ける状態は、
何の自己成長にもつながりません。
「自分ならもっとやれる!」と挑戦する意味でも、
100%を追い求めてがんばることは悪ではありません。
ただ、完璧主義にとらわれてはいけない。
それこそ、完璧主義の面を被った
承認欲求まみれの人間にはなってはいけない。
そうなれば、自分を見失い
心身がボロボロになるまで気づかずに
走り続けられることになるでしょう。
その一歩手前。
「あっ!
ちょっと仕事を完璧にしようと
自分を追い込みすぎてるかも」
と気づくだけでいいんです。
そうして心に余裕を持つことができれば、
あなたは素晴らしい仕事に取り組めます。
そして、
ステキな結果を生み出せるのです。
あなたの心に
”余力”が届きますように…
あっ!
同僚にも届きますように…😊
では、また。
失礼します。