Vol.34 「自由」なことが「不自由」になるというジレンマ ~「不自由」から抜け出すためのヒント~
「自由にやっていいよ!」
こういう時、人は2つのパターンに分かれる
自由であることを、
「喜ぶ人」「嫌がる人」
である。
自由であることを「喜ぶ人」の反応はこうだ。
「爪痕を残してやるぜ!」
「新しい視点を入れてみよう!」
「やりたい事ありすぎて逆に困る」
逆に、自由であることを「嫌がる人」の反応はというと・・・
「どうすればいいか分からない!」
「決めてもらわないと困る!」
「無責任だ!」
本当にどうしようもなくて、尋ねてくるような人もいる。
「何かヒント教えて?」(おいおい・・・)
一般的に、日本人はこのタイプが多いように感じる。
「自由なんだからできる範囲内で、好き勝手して楽しめばいいではないか?」
個人的にはそう思うのだが・・・簡単にはいかないようだ。
■「自由」なことが逆に「不自由」になる人もいる
では、人はいつどのような理由から「自由」でなくなるだろうか?
しばらくこの問題を考えてみた・・・
考えている中、ふと6歳と2歳の2人の子どもたちが歌に合わせ、踊っている姿を見て1つのことに気付いた。
保育園の運動会で披露する踊りなのだが、
6歳の子は決められた振り付けで踊り、
2歳の子は振付に関係なく「ハチャメチャ」に踊っている(可愛い)
踊ることに対しては、
6歳の子の踊りには「自由」がなく
2歳の子の踊りは「自由」がある
踊りは決められた振り付けで、皆で揃えるからカッコよく美しく見えるもの。
なので「自由」勝手に踊ってはもらっては困るのだ!
そこで気付いた
「決めごと」こそが「自由」を奪う要因である!
2歳の子どもには「決めごと」が通用しない
だから「自由」なのだ!
紙のペンを渡せば何も言わなくとも、自由闊達に筆を進めるし、ハサミを渡せば奇想天外に切り刻んでしまう。
自由すぎて自らの服まで切ってしまうのだから、大したものである
(-.-;)y-~~~
その点、大人はどうか?
■大人には「決めごと」が多い
社会において「決めごと」つまり「ルール」は重要である。
それは考えるまでもない。
ルールが存在しなければ世界そのものが成り立たなくなるからである。
そして、人は多くのルールを学び、ルールでがんじがらめになる。
ルールによって、人はいつしか「自由」を奪われるのだ!
■大人のもつ「自由」とは?
大人の「自由」は、子供の「自由」とは全く別物だ。
子供は無知からの「自由」をもち、大人はルールに縛られた中での「自由」をもつのである。
子供の「自由」は無敵である。
何もない空間から、アッと驚くような奇想天外なモノを生み出す「力」を持つからである。
先入観なくルールに縛られない子供ならではの「力」だ!
一方、大人になると子供の時代には誰しもあったその偉大な力を失う・・・
想像するものがすべてルールに従うのだ!
つまりは、
「ストックされた既存情報に紐づいた中からでしか、新しいものが生まれない」
のである。
この説明から、なぜ「自由」なことを「嫌う」のかがお分かりであろうか?
それは・・・
「発想するタネがそもそもない」
からである。
端的には「知識不足」なのだ。
■「自由」な発想の生み出し方
大人であれば誰しも、子どもならでは自由は発想を得たいと願うだろう。
しかし説明した通り、子供の発想は「無知」から生まれるものなので、大人がそれをマネしようとしても土台無理な話なのである。
仮にマネをしようとしても、「無知な大人」から生まれ出来上がるものは大概が「事故物件」となるものだ。
ヤバイー(;´Д`)
大人であれば「大人なりの自由さ」を発揮した発想が求められるのです。
ポイントはたった1つ!
「新しいことを学び続けること」
これが大人として「自由」を楽しめる唯一の方法だと考える。
前述したように、「不自由」なのは自らが作ったルール(価値観)に縛られているからである。
ルール(価値観)が上書きされない以上、新たな発想なんて当然生まれるはずもないのだ!
「不自由」な理由、それは普段からの「学び」がないからであり、「学び」があれば「自由」を手にし人生を楽しむことができるのです!
学びです!
ではまた次回(^^)/
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