来客で賑やかなベースキャンプ
本日は2020年5月12日です。7年前の今頃僕たちはエベレストのベースキャンプでゆっくりとしていました。そんな時にですね、中東最大の報道機関である『アルジャジーラ』から、うちの父親にインタビューをしたいと最初はアルジャジーラ、ちょっとおっかないイメージがあったのですが、インタビューアーはしっかりとしたイギリス系の知的なインタビューアー。うちの父親に対して『80歳でなぜエベレストに登るのか』『80歳まで健康でいれる秘訣』など、国が変わっても地域が変わっても”健康”と”長寿”というのは普遍的なテーマだなと思いました。
皆さんも今日も頑張ってトレーニングやってみてください!
本日のMIURA流クライムビクス
三浦豪太が考案する『MIURA流クライムビクス』を動画で詳しく紹介しております。以下の種目をクリックしてみてください!一緒に頑張りましょう!!
【準備体操】
登山体操・・・リズムよく、楽しくトレーニングしましょう
【メイン運動①】
①ウォーキング・・・2.4km
②階段のぼり・・・27階分、もしくは踏み台昇降・・445回分
③スロージョギング・・・15分間(5分間×3セット)
※①、②、③より1種目を選択してください
【メイン運動②】
バックランジ(歩幅2.5歩)・・・25回×3セット
【補助運動】
ニータッチ・・・15〜25回×3セット
三浦豪太の遠征日記 −2013年5月12日−
ベースキャンプというのは不思議なところで、何もないような一日でも何かが発生する。今朝は先日、うちのシェルパが盲腸になった際、お世話になったHRA(ヒマラヤンレスキューアソシエーション)に挨拶しに行こうと、大城先生、五十嵐さん、平出君と一緒に向かった。HRAはこの大きなエベレストベースキャンプ村でも比較的近くにある。
丘をこえるとすぐそこの距離だが、歩いているとまず最初にシェルチャンに出会った。シェルチャンは、前回父がエベレストに登った時、76歳であったということで、現在エベレストの最高齢記録を持っているご老人である。シェルチャンのことをご老人というと、うちの父親の年齢もそう違わないのであるが、今日見たシェルチャンはいかにもご老人であった。耳には補聴器をつけ、歩みは定点カメラで観測しないと動いていると認識できないほど遅い。僕がシェルチャンだと気付いて自己紹介しながら話かけると、握手を求めながら挨拶を交わした。シェルチャンは呼吸するたびに「ヒューヒュー」と音がする。まるで喘息をもっているか、前回僕がかかった高所性肺水腫にでもかかっているようだ。
大城先生が心配になり「いつでも診てあげますから、ぜひ診察させてください」というと「ありがとう」と言って僕達と反対方向に歩みを進めていった。シェルチャンは今回、父が挑戦するということで急遽エベレスト登山を決めたという。5月になってルクラに入り、ベースキャンプへとやってきている。地元のメディアは三浦雄一郎対シェルチャンという、最高齢挑戦記録の構図を面白がって作っている。しかし、今日のシェルチャンの様子を見ると、エベレストのベースキャンプにいること自体、彼の健康にとってとてもよくないような気がする。
もともと、ネパールは戸籍がつい最近まで存在しなかった。そのためシェルチャンの正確な年齢などわかるはずもない。先日もある記者がシェルチャンの年齢を尋ねると、82歳だと言ったそうだ。5年前にエベレストに登った時が76歳だったから、彼に81歳ではないかと尋ねると、戸惑いながら、自分の年齢を数え間違えていて、実は今年82歳だったと弁明したという…。これではどんなネパール人でも最高齢記録をつくれるではないか。しかも彼をスポンサーしているのは、エベレスト登山の許認可を発行し、登頂証明書を出すネパール政府の観光省だという。これでは記録を作る人と記録を認定してハンコを押す人が同じだ。そういう仕組みで、そもそも記録になるのだろうか…?
ギネスもギネスで、よくこれで前回のシェルチャンの最高齢記録を認めたものだ。そのうえ、前回の登頂の際に、彼は約束したお金を登山隊にまだ払っていないという理由で、登頂写真は一般に披露されていない。是非、厳正なる審査をしてほしいものだ。
そんなことをシェルチャンと別れてから数分熟考していると、目の前にラッセル・ブライスが歩いてきた。「父にインタビューをしたい報道カメラマンがいるので、君たちのベースキャンプに向かう途中だ」と教えてくれた。カメラを担いでいる二人に挨拶をすませ、僕達もHRAにお礼を言ったらすぐに帰ると言って別れた。
HRAにつくと、スコットランド出身の若いお医者さん、スーザンがHRAから少し離れたテントからでてきて手をこちらに振った。大城先生とあいさつを済ませ、ミンマシェルパの御礼を伝える。今朝、貫田さんが聞いた情報では、ミンマはカトマンズの病院にて無事に手術が成功したという。その話しを聞いたスーザンは自分のことのように喜んだ。僕は初めてHRAの診察室に入るが、とてもきれいで医療用のベッドが二つある。僕は彼女に、これまでどれくらいの患者がここにきているか尋ねると、だいたい300~350人ほどでその6割くらいがシェルパだという。
ここに来る理由は様々で、簡単な打ち身から、高山病の症状、また今回のような盲腸のケースもあるという。その中でどれくらいレスキューヘリを呼ぶことになったのか聞いてみると、今回のミンマの盲腸のケースを入れて7件しかないという僕達がベースキャンプに入ってもうそろそろ1か月になる。その間、毎日ヘリコプターはぶんぶんと僕達の頭上を飛んでいた。これまでヘリコプターは全部レスキューだと思って、大きな音を我慢していたが、そのほとんどは観光客か物資輸送だというのだ!!以前EOA(エクスペディション・オペレーターズ・アソシエーション)の取決めでは極力、レスキュー以外のヘリコプター出動はしないということが決まっていたと思ったのだが、突然、ヘリコプターの音が騒音に聞こえてきた。今度近くを通ったら石投げてやろうか、とちょっと腹がたった。
HRAを出てベースキャンプに帰ると、先ほどすれ違ったカメラマンとインタビュワーがセッティングをしていた。兄がそれらのアレンジを行い、ダイニングテントにラッセル・ブライスが来ていた。先日、シェルパ達が頂上までルート工作を終えたことに対して、ラッセルにお祝いの言葉を述べた。するとラッセルはあの日、頂上に立ったのはルート工作をしていたシェルパだけではなく、彼のクライエントの一人も登頂したのだという。それは素晴らしいということで、そのこともお祝いした。
今回ラッセルから紹介をいただいたメディアの二人はなんとアルジャジーラからの報道だという。アルジャジーラというと中東の報道機関でいつもテロリストの犯行声明などを取り上げているから、おドロドロしいイメージしかなかったが、その実、カタール発の中東最大の報道機関であり、欧米のCNN、BBCなどと協力体制を持っている立派な報道機関である、と説明を受け、早坂氏と共にそのイメージを払しょくした。
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