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2013年4月4日

ピンゾーさんとの再会

スライド1

今日は朝から快晴。早朝、ゴルダナの丘のビューポイントに朝日が上がるエベレストの撮影に貫田さん、倉岡さん、五十嵐さん、早坂さん、平出君と三戸呂君で行く。最初は薄暗い空、そこから朝日はゆっくりとアマダブラムの肩から出始める。このあたりは山に囲まれていて、谷間にいる僕たちになかなか太陽は当たらない。しかし、ほかの山がまだ日が当たらないなかで、エベレストに最初の光が当たるのがエベレストが地球で一番高い山の証だろう。

その後、朝食を摂りメンバーでミーティングをする事にした。主に父の現在の体調について共通の意識をみんなで共有するためのものだ。そして明日の行程が非常に長いという話になった。これまでせっかく調子よくここまでこれたのに、この高度で無理をすると元も子もなくなってしまう。そのため、明日は予定のデボチェではなく、ナムチェから2時間ほど行ったギャンヅマという村までとすることを検討。父に相談したところ是非そうしようとのことだった。

その後、高度順化のためピンゾーさんのいるシャンボチェにメンバー全員、登ってみることに。ゆっくりと坂道を登りシャンボチェに着き、ピンゾーさんとの再会を祝う。シャンボチェには空港がある。空港といっても舗装ではなく土の滑走路。昨年まで定期便が飛んでいたが、昨年の暮れにはあまり需要がないので、一部のヘリコプターのみしか来なくなった。しかし、今回、行ってみると滑走路はきれいに整えてあり、山側には新しいフェンスまで取り付けてあった。ピンゾーさんによるとある航空会社が大型(といっても9人乗り)の飛行機の運用を考えているという。ピンゾーさんも飛行機が来るようになると、管制塔の役割を担うので商売にはいいのだ。父が42年前、エベレスト大滑降をしたときにピンゾーさんはまだ少年で、最少年のスタッフとして隊のメンバーに可愛がられていた。今では三浦家と家族ぐるみの付き合いがあり、彼や家族は何度も日本を訪れている。エベレスト登頂の祈願のカタ(首にかける白いスカーフのようなもの)をかけてもらい、ナムチェへと戻る。途中、昨日ナムチェのバーで会ったラクパ・チリシェルパに遭遇、父と引き合わせたかったので丁度良かった。

ラクパチリ・シェルパのパートナーであるバブ・スヌワーは2011年パラグライドでエベレスト山頂から飛び降り、その後カヤックでインドのナイフポイント湾まで漕いで下った。これにより昨年のナショナルジオグラフィックのアドベンチャー賞を受賞している(4/3の日記参照)。シェルパには珍しくとても明るく、軽いノリで再会を祝った。42年前、父はパラシュートをつけてエベレストを滑り降りた。これまで登山だけが主眼におかれていたエベレストにとって新たな冒険の扉を開いたのだった。バブとラクパのチャレンジは日本にいたとき、世界的パラグライダーの第一人者、扇澤郁さんから聞いていて、そのときの映像も観たことがある。このとき、父と同じ冒険の匂いを2人からも感じた。

ナムチェにつくと「Namche Laboratory」というバナーを見た。興味があったので、大城先生とどんな研究を行っているのか見に行った。ここはUCL(University College of London)が行っている研究だった。研究の名前が「Extreme Everest 2」というプロジェクトの一環でこの最初のバージョンがエベレスト山頂にて血液を採取、血中内の酸素と二酸化炭素分圧を直接計測した。この研究はインパクトファクターが高く、登山医学や高所医学にいまでも高い評価を得ている。

ナムチェにいる研究主任から話を聞いてみると、このプロジェクトは全部でカトマンズ、ナムチェ、ペリチェ、そしてエベレストBCなど4つのチームに分かれていて、それぞれが研究テーマを持っているそうだ。ここナムチェでは8歳~11歳の子供を家族と一緒に連れてきて、血中酸素飽和度や肺活量、など非踏襲的な研究をイギリスから来た子供達を対象に行っている。また現地のシェルパに関してはもう少し細かい検査を行っているという。この先のペリチェやエベレストBCにても研究を行っているというので、楽しみが増えた。

夕方、宿に戻ると東京の家族ととネットを繋いで、今月生まれる予定の僕の子供の「名前会議」を開いた。しかし、回線が安定していなく、会議はとぎれとぎれとなったが、ヒマラヤにきている僕の家族(父、兄)そして東京にいる妻、母、姉それに息子の雄豪とどうにか名前についての候補をしぼることができた。夕食は僕たちの隊恒例のエベレスト鍋であった。乾物でダシの効いた懐かしい味だった。




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