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2013年4月25日

下山の判断

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今朝起きると、身体のいたるところが痛かった。昨日、13時間もかけてローツェフェースを降りてきた。この時、父をサポートしながら足を踏ん張り、体をひねったり、ロープを引っ張ったりしていた。そのためから全体まんべんなく疲れている。全身運動である。この運動をどこかのトレーニングジムで再現できたら「エベレスト流トレーニング」として売り物になるのではいかと考えたが、これをまた街の中でやろうとは決して思わないだろう。

隣を見ると父もどうにか上半身をおこして小便をキジビンにしている。父も同じような状態らしい。しかし、お互いに体が痛いながらも、昨日どうにかローツェフェースを降りてきて今でも生きていることに感謝した。

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さてこれからが問題だ……。父の疲労度合がどれくらいかというのを計らなければならない。昨日も序盤は調子よかったが、後半はスピードがガクッと落ちた。

今は標高6500㍍のC2にいて、酸素も多くなり、コックもいるため当面の食事も酸素も問題ないが、ここからベースキャンプまで降りなければいけない、その間にはアイスフォールがある。アイスフォールは気まぐれで、高層ビルくらいの氷が当たり前のようにいつでも崩壊する。特に、今、エベレストは春になり、気温上昇、とても不安定になっている。

時間をかけて降りるような場所ではなく、そこで時間をかけるほどにリスクは飛躍的に高くなってしまう。朝、父とどうするか話し合った。エベレスト登山としてはアイスフォールを自力で歩いて降りる方がいいと考えた。しかし、現在の父の状態とアイスフォールの状況を考えるとそれはあまりにもリスクが高い。実際、今朝もアイスフォールの崩落があった。

父と相談した後、僕は大城先生、倉岡さん、平出君と相談した。大城先生は医師の立場からお父さんの健康を考えて、倉岡さんは現在のアイスフォールの状況を考えて、そして平出君はお父さんと一緒に付き合う、僕達やシェルパの状況を考えて、ここからヘリコプターの下山ができるのなら、それがいいだろうとの方向だ。

父は先ほど話したとき、歩いて降りたいといっていたが、父にこのことを説得しなければならない…。僕が、父のテントへ戻って改めて状況を説明した。すると、父はあっさり「それではヘリコプター下山にしよう」と同意した。僕は父のこの言葉に肩から荷が下りた気持ちだった。この決定によって隊全体の安全率を高めることができる。

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その事をベースキャンプに伝え、兄と貫田さんが現地のエージェントに連絡をつけてくれた。C2からヘリで下山をするのは三浦雄一郎、僕、そして大城先生だ、急いで、荷をパッキングする。

その後、しばらくベースから連絡なかったが、どうやらヘリコプターは現在、ダウラギリとマナスルに救助に向かったとのことである。ダウラギリとマナスルで大規模な遭難があったようで、高所に対応するヘリコプターは全てそのレスキューへ飛んでいっているとのことだ。ヘリコプターは救助活動を終えてから、13時30分過ぎに迎えに来るという。13時30分、さらに15時とどんどんヘリコプターのピックアップが遅れて、天気の状況もあり、結局タイムアウト、迎えは明日早朝6時半ということになった。

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もう一晩、C2で過ごすということになったのでC2にある酸素の数を早急に数えた。それぞれ、残りの酸素を吸って一晩過ごせるし、この高度だと特に酸素がなくて困るということはない。しかし父の場合、昨日、一昨日の超高所での無理とその疲労のリカバリーをしなければいけなく、高度順化もアタック前は6400mよりも低い場所でしか行っていない。酸素の流量を少し絞り、僕達の酸素も減らすことにした願わくば明日、天気が良くヘリコプターが来るように願う…。


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