「日常の謎」について本気出して考えてみた(短編小説)

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 彼女は僕の謎を知らない。永遠に知ることなく人生を終えるだろう。

「つまりだね……『日常の謎』は別に謎でもないわけさ」

「……そうなのですか?」

 彼女がドヤ顔して言うから、僕は、そう答えてみる。

 ある学校の、ある部室で、僕と彼女は「日常の謎」について考えている。

 彼女の名前は「未藤《みとう》とくよ」という。

 小説を読むことが大好きな高校二年生であり……小説が大好きだからこその文芸部の部長だ。まあ、ほかの人から見ても「美が付属される少女」だと……端正な顔立ちだと僕は思う。

 いかにも「文学が絶対に好きな少女」っぽい印象を抱きやすい「わたし」が一人称の彼女の名前には、ある特徴がある。

「未藤《みとう》」という名字は「ミトウ(未踏と未到のダブルミーニング的な意味)」という意味を持っているように感じてしまうし、名前の「とくよ」と組み合わせて考えてみると「まだだれも足を踏み入れていない、まだだれも到達していない謎を解くよ」という意味を持っているようにも感じてしまう……少なくとも僕は、だが。

 ついでに「僕」は「海門《かいもん》灯大《とうだい》」という。

 至って平均的な印象を抱きやすい黒髪の眼鏡男子であり、高校一年生だ。

 僕の名前に関しては、まるで「問題解答《もんだいかいとう》」のアナグラムみたいに思える。

 なんで、こんなにミステリーっぽい名前の男女ふたりが「日常の謎」について考えているかというと……ある小説の短編賞に応募してみよう、という話になったからであって、その短編賞のテーマが「日常の謎」だったのだ。

「そう……『日常の謎』とはね、端的に言うならば『殺人事件の起きないミステリー』なのだよっ!」

「…………そうなのですか」

「うん、そうさ。まあ、例外は、そこそこあるかもしれないけど、『日常生活の中にある、ふとした謎、そして、それが解明される過程を扱った小説作品を指す』とウィキ○ディア大先生にも載っているしっ!」

 なぜか彼女はウィキ○ディアに「大先生」を付けるのだが、ちょっと意味がわからない。

「簡単に説明が載っているから言うけど、その小説作品の対象は犯罪ですらないものがほとんどで、せいぜい軽犯罪どまり……だが、殺人に劣らないほどの厳密なロジックで解き明かしていくものが多いっ! そのため、多くは本格推理小説に分類されるのであるっ! 謎が解明される過程で、日常生活に潜む人間心理なども同時に明かされる場合が多いっ! 『日常の謎』の概要は以上っ!」

 彼女は一通りの説明を終えて「コホン」と咳払いをしてから。

「……ということで、わたしたち文芸部も『日常の謎』を題材にしたミステリー小説を書いて短編賞に応募してみようではないかっ!」

「まあ、文芸部といっても僕と未藤《みとう》先輩のふたりだけですけどね」

「『日常の謎』だから、どんなに些細なことでもいいのさ。たとえば、なぜ文芸部の部員が『わたしたちしかいない』のか……とか?」

「いやあ、それは……ただ最近の文芸部の印象がニッチすぎるんじゃないですかね? 知名度、そんなに高くないだろうし」

「そうだ、そうかもしれない。文芸部はスポーツ系の部活の部員たちからしてみれば『そんな部活あったっけ?』で、なにも知られないまま学校生活の人生を振り返っても思い出されることのない、そんな悲しい宿命を背負った部活なのだよっ!」

「だから僕たちしかいないってわけですね」

「うむ。唯一、入ってくれたのが海門《かいもん》くんで、ほんっとうによかったよっ! キミはわたしにビシバシしごかれるために存在するのだからなっ!」

 そんなつもりで入ったわけじゃないのにな……。

「『日常の謎』は、わたしからしてみれば『謎自体』がたいしたものじゃない……つまりは『見せ方』なのだよっ!」

「……見せ方、ですか?」

「たいしたことないものをたいしたことあるように見せるってことさ。まあ、端的に説明してみようか」

 彼女の瞳からは、どこか真剣なものを感じた。

「たとえば、さ。『なぜ文芸部には海門《かいもん》くんとわたししかいないのか?』に着目してみようか。わたしは確かに、この文芸部を立ち上げたが、一年前までは誰も入部希望者がいなかった。文芸部は、まあマイナーで目立つ活動をする部活動ではないが、それでも一年が経過するまで、ひとりしか入部希望者がいないのは謎だと思わないかい?」

「…………そう、ですかね?」

「まあ、たとえばの話さ。続けよう。わたしは、そんなに読書が好きじゃない生徒だらけの高校に入学したわけではないと思う。真面目に勉強をしている生徒も多いしなあ。……妙だと思っていたところは……一、二年前に、やけに目つきの悪い男子がわたしの周りをウロチョロしていてね……」

「…………」

「その男子は睨《にら》んでいたのさ……明らかに読書が好きそうな男子生徒たちを」

 彼女は僕を見て、単刀直入に述べるための説明する。

「その男子は明らかに読書好きの風貌ではなかった。目つきの悪いヤンキー系男子って感じで、いつもわたしの周りをウロチョロウロチョロしていた」

 彼女は「ミトウ」を「解くよ」うに。

「もはや、たとえばの話ではなくなってきているが、海門《かいもん》くんが、その目つきの悪い男子だったのではないか、と。要するにキミは、どこからどう見ても美少女であるわたしを奪われたくなかったのだ……ほかの男子にね。もし海門《かいもん》くんが、そういう理由で読書好きの男子生徒を入部させなかったとしたら、それはある意味『日常の謎』に該当するのではないか、とわたしは思うがね」

「…………言っていることが、よくわかりません」

「…………そういうと思ったよ。もしかして、わたしのことが好きなのか~? ……なんて、セリフを言ってみたり…………したかったけど、まあ…………わたしの勘違い、ということにしておこう…………」

「…………ごめんなさい。…………ちょっと今日は調子が悪いみたいです。…………帰りますね」

「…………今の話は忘れてくれてもいい。ただの勘違いの可能性もあるし、ね…………。たとえキミが、わたしのストーカーだったとしても、わたしはキミを軽蔑しない。むしろ大歓迎だよ。まあ、今の話をヒントに『日常の謎』を題材にした短編を書いてみてくれ。…………お疲れ様」

 僕は文芸部の部室を出た。

 学校を出て、自宅に帰ろうとするが、どうも心臓あたりがしんどい。バクバク高鳴っている感じがする。

 帰り道の、公園のブランコに座る。

 ぶっちゃけ、その通りだった。

 僕は元々そんなに読書が好きじゃなかった。

 小説を読むのは苦痛だし、まだ漫画とかアニメのほうが好きだった。

 けど、好きな人ができてしまった。

 それが未藤《みとう》先輩だった。

 ある公園、ていうか、この公園で本を読む姿を見て、一瞬で惚れてしまった。

 なんだか対極的な位置に存在する「俺」たちだなと思った。

 中学三年のころ、この公園にいた未藤《みとう》先輩の読書をする姿に惚れたから、「俺」は「僕」に変わろうと思ったのだ。

 未藤《みとう》先輩の高校は地域では、それなりの進学校で、当時の俺には相当、勉強しなければ入ることのできないところだった。

 だから俺は、がんばった。受験勉強も、ストーキングも。

 どう見ても未藤《みとう》先輩は美少女なので、心が不安でたまらなかった。

 まあ、彼女は自分の魅力を十二分に理解しているふうに見えたので、チャラい男にはなびかないにせよ、同じ趣味を持つ異性には共感してしまう部分が多いだろうから……俺は彼女に寄りつこうとする読書大好き系男子どもをひたすら睨《にら》みつけた。

 そうしなければ未藤《みとう》先輩が誰かのものになってしまうと思ったから。

 必死に勉強して、彼女の高校に奇跡的に合格して、俺は俺から出るヤンキー要素を矯正した。

 目つきの悪いヤンキーっぽい俺だったが、少し目が大きく見える眼鏡を買って、髪も黒に戻した。

 目つきの悪そうな部分を目つきがよくなるようにしたってことだ。

 そして、彼女の高校に入学して、彼女がひとりで文芸部を取り仕切っていることを知った。

 だから、真っ先に彼女のいる文芸部に入部して、その瞬間に彼女の好きな本をひたすら読みまくったのだ。

 彼女は小説を書いていたりもしたので、俺も小説を書き始めた。

 こうして「俺」は「僕」に変わったのであった――。

「――……海門《かいもん》くん」

「――! 未藤《みとう》先輩!?」

 そうか、ここは彼女が読書する場所……来ても、おかしくない。

 彼女は俺の隣にある、もうひとつのブランコに座る。

 どうしよう……ちょっと思い出に浸っていたから、あっという間に日が暮れたのか。

 ちょっと明るくもあるから、それなりに読書はできるだろうが、できれば今は会いたくなかった。

 なんか、ああ言われたあとだし、気まずいし。

「…………」「…………」

 俺たちは、ここで決着をつけなければいけないのかもしれない。

 言わなければ、どっちにしろ、前には進めない。

 だから――。

「――未藤《みとう》先輩っ!!」

「――……なんだい、海門《かいもん》くん?」

「未藤《みとう》先輩、僕は……いや、俺は……あなたのことが好きです」

「うん……」

「だから、俺の彼女になってください」

「……いいよ」

 あまりにもあっけなかった。

 でも、それは彼女が気づいていたからだ。

 彼女が今日、文芸部の部室で「日常の謎」を言わなければ、手に入れられなかったかもしれない。

 今、俺の彼女になった未藤《みとう》先輩が「日常の謎」について本気出して考えてみた、から……。

 これは、僕と……いや、俺と彼女の「日常の謎」だ。

 もし、この「日常の謎」で受賞したときは、ふたりでお祝いをしよう。

 通販サイトのギフトカードのすべてを彼女にプレゼントしよう。

 そうしなければ、なんだか収まりがつかないから。

 彼女は「僕」の謎を知っていた。永遠どころか、もう「俺」と彼女はすべてを知って、人生が始まろうとしていた。

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