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コロナで見えた、寛容の大切さ

私の本業の会社では、働き方改革として数年前からリモートワークが始まりました。なので自宅でのオンライン会議などは慣れたものなのですが、今回のコロナによって保育園に預けられなくなってしまったため、「子供を見ながら会議」が発生してしまいます。

自分の発言でないときはマイクをミュートするなど工夫はしますが、発言時に音声をオンにすると、部屋に流れるアンパンマンの音声や子供たちの声が入ってしまう。会議のメンバーに子供みながらの参加者が自分だけだと、「迷惑かけてしまうなあ」とかなり恐縮してしまっていました。

でも、そんな意識がちょっと変わる出来事がありました。

ある同僚が会議で子供の声が入ってしまったときに自分含めみんなの反応が「癒される―」「ほほえましいー」だったんです。お子さんもちょっと出演して嬉しそう。子供って「ダメーっ」と抑え込むより、少し様子がわかると落ち着くこともありますよね。

ご本人もこの温かい反応で救われたと話していましたし、
そしてそんなに迷惑じゃないことも実感しました。
自分は先に「声はいったらごめんね!」と声をかけて参加しています。

当然シーンやメンバーの価値観、もしかしたら会議の重要性にもよるかもしれませんが、こんなときだからこそ、「おたがいさま」精神重要だと思います。寛容であることは、相手だけでなく自分の心の安定にもつながります。

「プロ意識」って品質保持に超重要なことだけど、ある側面ではその厳しさが自分も相手も追い込むし、直感や偶然を許容できない感じがする。
何より攻撃性が増し、心理的安全性が少なそう。
自分がこういう主義だからこうします、でもまだ社会は許してくれない。
コロナ感染でも休めなかった、かのキャスターにも同情する。

大切なことを守るために、多少雑でも、許容できる社会。
TVで出演者がリモート参加で全然番組成立しているし、再放送でも全然OK。
アフターコロナ、物理的に世の中が寛容になって、クリエイティビティや生きやすさが向上するといいな。
日本の真面目さと、温かい気持ちがいい感じに混ざり合ってほしいです。

つづく

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