子離れ→親離れの順番

※注意!
今回の文章は、私の両親、義理の両親は読まないで下さい。不愉快な気持ちにさせたくないので。

(本文はここから)
親を客観的に見ることが出来たのは、結婚した時だった。

うちの親は、( 当時一般的だった)「いい学校入っていい会社入れば幸せ」という価値観で、私を育て、(比較的お金に余裕があったので)小学校中学校は青学、高校大学は慶應に行かせてもらった。

(専業主婦の)母は料理にかなり力を入れて作ってくれていて、いつも美味しい食事が食卓に並び、今思えば準備大変だったろうな〜、有り難いなーと思う。家の手伝いなんてほとんどしなかったし。私は学生時代は、勉強と部活とバイトをしっかりやれば良かった。就職して家を出るまで、料理なんてほぼ作ったことなかったし、親に甘えまくって頼りまくっていた学生だった。

一方、妻の家庭では。
お義父さんの転勤で、妻は0〜3歳と16〜18歳をアメリカで過ごし、アメリカの良さ( 個性を育て、ちゃんとモノを言う文化)と日本の良さ(規律を守り、他人に配慮する)のハイブリッド型で育ち。

また(こちらも比較的余裕があったのか)海外旅行をしては、子どもたちにグローバルな世界を見させていたらしい。ある時は、ヒマラヤの方で現地のガイドを雇い、飼っている羊をその場で捌いてもらい、命を頂く経験をしたり。

あるいは、ある土地では同じくらいの年の子供が物乞いをしている地域を見て、世界の貧富の差を子供ながらに体感をしたみたい。その時の経験が強く心に残っていて、妻の姉は、グローバルのNPO組織で貧困対策の仕事をしている。

家の手伝いも必須で、学生時代大きくなってからは、土日の晩御飯はお姉さんか妻のどちらかが作るルールだったらしい。

一番違いを感じたのは、社会への意識の高さだ。妻の家では、富めるものは恵まれない人たちに寄付その他出来ることをするのが当たり前。一方我が家は、(悪く言えば)自分たちの幸せをまずは考えなさい、という家だったのだと思う。

結婚して、お互いの経歴や価値観に触れ、その教育方針や人生経験の差を実感し、私はとても妻のもっている価値観が新鮮だったし、正しいと思ったし、憧れたし。

そしてちょっと自分の親に失望した。
(もちろん愛情をもって育ててもらって感謝しかないのだが)

29で結婚して、31で息子が産まれたときに。
この子は自分が育った価値観(いい学校入っていい会社入って幸せ)で育ててはいけない。どちらかというと妻の育った価値観(富めるものは恵まれない人にできることをする)で育てたいなぁーと漠然と思った。

それから9年がたち、息子は9歳、そして娘が4歳になる。

息子や娘の教育について、色々悩むことはあったが、(私は鬱っぽくて自分のことで手一杯だったので。苦笑)妻がリードしながら、子供に優しくそして時に叱りながら、育ててくれた。(私も鬱とはいえ、家事育児のオペレーションは結構やっていたと思うけど。妻から言われて。苦笑)

ただ、実際0〜4歳くらいまでは、子供はまだ喋れなかったり、辿々しい日本語しか発しないので。本当の意味で、そういった社会への貢献みたいな価値観をインプットしていくのは、小学校あがるくらいからなのかなと思う。(それでもうちの妻は、子供に読む絵本で『ムヒカ大統領の演説』の本とか読んでたけど。笑)

息子が7歳の時に、妻の意向でボーイスカウトに入らせることになり、そこで息子について活動に参加してたら、隊長から「手伝ってもらえませんか?」と言われることになる。

ボーイスカウト組織のこともよく分からなかったので、何を手伝えばよいのかも曖昧な理解だったが、とにかく人手が足りないということで、お手伝いすることにした。

残念ながら下の娘のケアもあり、ガッツリお手伝いすることは、今も出来てないのだが。ボーイスカウトのリーダー会議に出たり、色んな隊長や大人と話す中で。

ボーイスカウトが文科省の教育機関の一つであること。6〜20歳(年長から大学生)まで入ることが出来て、その後も隊長やリーダーとして関われること。アウトドアを通じて自然を学び、班活動を通じてリーダーシップやフォローシップを学び、奉仕活動を通じて社会奉仕の心を学ぶ、よく出来たプログラムであることがわかった。

まさに妻の育ってきた価値観に合うものだし、私もその教育課程に関わることに興味を覚え、少しずつ学んでいるところ。
(娘が年長になったら、隊長として関わる予定)

また仕事の方でも、デジタル改革の部署や、その後社内統合して清算する会社での営業サポートなどをやり、プライベートでは昨年8〜12月でパーソナルトレーニングをつけて8キロのダイエットに成功。

そんな中で、長年悩んでいた鬱が治った。
(多分。笑)

鬱っぽかったときによく聞いていた心屋仁之助さんのラジオ的に言えば「パッカーン」して、生まれ変わったような感じ。

今までの経験すべてがconnecting the dotという感覚になり、やりたいこと(初等教育)が見え、いまやっていることや会社の課題、社会の課題、自分のやりたいこと、やるべきことがグワーっと頭の中で整理された感じ。(不思議な感じです。笑)

そして人間関係も、今までの付き合いの延長ではなく、どういう人たちと付き合っていきたいか(これまで付き合ってた人も含めて)が整理できてきて。

それでも。家族というのは切っても切れない関係なわけで。よりクリアな頭で、うちの両親と妻の両親を再度客観的に見てみると。

やはり子供の教育、という意味で成功したのは、妻の家なのだろうと思う。

早くからグローバルな世界を見せて、社会奉仕という概念を植え付け、自分たちのことは自分でして、自分は社会に対して何が出来るかを考えさせ、そして、姉はNPOで、妻は大会社の社会貢献の部署にいて活躍してるのだから。大成功だ。

ただ。
妻の両親は、その成功体験(n=2)をもとに、我が家の子育て(彼らにとっては孫育て?)や、娘である妻の色々な人生の決断?に口を出してくる。

・テレビ見すぎると馬鹿になるよ
・勉強ちゃんとしなさい
・背筋はピッと伸ばして座る
・食事は残さず食べなさい
まぁここらへんは良い。

なんか変だなぁと思い出したのは、家を買う時。妻と二人でBESSというログハウスメーカーを気に入り、BESSの展示場(代官山、藤沢、昭島にある)に通い、ログハウスに合う自然豊かな土地もみつけて、いざ建てようというときに、義理両親の「ストップ」が入った。

お義父さんは建築系の大会社役員までなった人なので、BESSなんていう彼らからすると無名な建築会社で家を建てるのはオススメ出来なかったのかもしれない。

土地を見て、家のカタログを見て。
「ここはやめた方が良い」と言った。

当時妻も、BESSは好きだけど、この土地にBESSを建てると、冬の時期、1階に日が入らないのを気にしていた。

なので、BESS用に買った土地だったが。
急遽BESS以外の選択肢(フリー建築)を検討することになった。

一人はお義父さんの大学建築学科時代の友人(木造建築で賞もとった有名な方)で、もう一人は我々が見つけた知り合いの知り合いの建築家の方。

二人にこの土地にフリー建築を建てるなら、どんな設計にしてくれるのか案を作ってもらった。

前者のお義父さんの友人は、お義父さんから土地の図面を入手。「とにかく日の光がちゃんと入る家を」とお義父さんがオーダーして、私達に初めて会うときには「これは仮案だけど」と言って案を持ってきてくれた。

一方後者の建築家は、私達にまず会い、2時間位話を聞いてくれて、なぜBESSが気に入ってるのか、なぜフリー建築も検討しているのか、フリーにするなら入れ込みたい要素は何かなどを丁寧にヒアリングしてくれ、そして土地の現地も見て、短い時間の中だったが、とても良い提案をしてくれた。

その差は当たり前だけど雲泥の差。
なので、私の中ではお義父さんの知り合いの建築家の案は最初から無いなと思っていた。

建てるならBESSか、知り合いの建築家。
でも、よく「本当に気に入った家を建てられるのは、3回目のとき」とも言うけど。

初めて建てるのに、気に入ったBESSの展示場の建物がそのまま建つのと。とてもよく私達の希望は入ってるが、ディテールまでいくと最後は建築家のセンスとなり、建つまでどうなるかわからないフリー建築だと。

どうしてもBESSに軍配があがる。

唯一の懸念点だった、日の入り方も、家の間取りを変え、天窓を目一杯入れるとかなり改善されることが分かったので。私の中ではBESS一択だった。

が、妻と妻の両親含めて、大揉めに揉め。
ちょうど年末年始でご挨拶に伺った際も、雰囲気はバチバチ。

妻のお義母さんから言われた言葉は一生忘れない。

「健ちゃん、私達は良い家に住んで欲しいだけなの。BESSが駄目というわけではないけど。せっかくお義父さんの知り合いの素晴らしい建築家が案を出してくださってるのだから、その人に頼んでみない?」

私「 お義母さん、これは譲れないです。多分『良い家』の定義が違うんだと思います。私とお義母さん達では」

とバッサリ切った。笑

その後、妻と話し合いを重ね、最後は私のワガママ?を押し切ってBESSにした。
( 今も大満足。BESSにしてよかった)

BESS話が長くなったが。
この時に「なんで、この人たちはお金を出すわけでもないのに、ここまで我々の人生の選択に口を出したがるのだろう?」と不思議に思ったのだ。

その後も、家でウサギを飼い始めたときも「ウサギは家がオシッコ臭くなるよー。止めた方が良いよー」 とか。

あと「陽希は、中学受験させて『(私が行った)武蔵中学に行かせないか?あそこは本当に良い。70になった今も付き合いが続いてる。検討してみて」と言われた時は閉口した。

つまりは、自分たちが成功してきた哲学ややってきたことに絶対の自信があって、それと異なる価値観や言動に対して、「それは違うだろー!」と思うのだろう。

それは良く言えば親心なのかもしれない。
いつまでたっても、娘は娘。幸せな人生を歩んで欲しい。自分たちの知ってることは全て教えて、間違った道は歩んでほしくない、という。  

ただ、こちらはもう40のオジサンとオバサン。社会で20年働いてきて、人生の酸いも甘いも経験してきている。ハッキリ言って、もう30以降になれば、年の差がどれどけあろうと、人生の選択について、どちらが正しいなんてことはなくて。自分が正しいト思う道をいけば良いし。そこが間違ってたら修正すれば良い。むしろその失敗が、自分たちを成長させてくれるし、経験値をあげてくれるし、あとから笑い話になったりするものだ。

端的にいえば、子離れが出来てないのだと思う。

子供は、いま息子の小学生3年生くらいで、もう「これは好き、これはイヤだ」とか明確な意思表示があって。

それはまだまだ少ない人生経験の中だから、親が視野視座視点を広げるような体験をさせてあげることは大事だが。

彼の好き、とか、嫌い、という感覚そのものは、彼のものであって。私達がこれを好きになりなさい、と強制出来るものではない。

むしろ、色々な体験をする中で、自分の好き嫌いを明確にしていって、好きを深堀りしていって、その先に社会で自分は何がしたいか、ということに、繋がっていくと思うのだ。

私達親が出来るのは、考え方のガイドであり、彼らの「やってみたい」 を後押しすることであり、「自分で考えて自分で行動する」 という極当たり前の、人生の歩み方の練習をさせてあげることなのだと思う。

決して、「今は◯◯の時代だから、〇〇になりなさい」なんて言っちゃ駄目で。そんな時代予測なんて誰も出来ないわけだし、親だって子供の人生に最期まで責任はもてないのだから。

だから、18という成人になるまでに、一人でこの社会の荒波を生きていくために、必要なスキル(家事全般やコミュニケーション能力等)を習得させたり、何かやりたいと思ったら、その分野の人を紹介してあげたり、一緒に何か体験してみたり。そういう人生の選択の後押しをしてあげるのが親の役目なんだよなーと思うのだ。

よく「反抗期」 は子供が成長していく課程で必要なもの、と言われてるけど。

私は最近そう思わなくなってきて。

いつまでも子離れせずに、子供にアレやりなさいコレやりなさいと言ってるから、子供に煙たがられるわけで。

小学校くらいから、『自分のことは自分でやりなさい。自分のことは自分で決めなさい。』というスタンスで子供に接し、むしろ親は、自分の人生を自分で楽しむ。そして社会課題に対しても自分たちなリに取り組んでることを見せる。失敗も見せる。

その事が、子供にとって、親の背中を見て育つ、ということだし、子供は子供なりに、自分はどう生きよう、と考えるキッカケになるのではないだろうか。

まずは子離れが先で、そのあとに子供が親離れすれば、反抗期なんて無くても良いのだと思う。

むしろ親が自分の人生を生きず、子供の教育に力を入れて、(子供の反抗と向き合いながら)子供を無理くり育て、巣立ったあとは何をしよう?となる方が、お互いにとって不幸なのでは?と思うのだ。

親は親の人生があり、子は子の人生がある。それぞれが自立して、人生楽しんだらいいよね。

今回は長かった。笑
読んでくださった方ありがとうございます。

以上





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