二.一四事変
◇◇ たけし編 ◇◇
営業という仕事に終わりはない。
膨大なノルマのため右に左に奔走し、月末ギリギリまで追われ続け、なんとかノルマを達成したところで月が変わってしまえば、また月のノルマはゼロから始まる。
営業マンが、数字に追われない日など永遠に訪れることなどないのだ。
ーーその日はだいぶ疲れていた。
つり革を掴んだ手の甲に額を擦りつけて寄りかかり、電車の揺れに身を任せたまま薄眼を開けたり閉じたり虚ろなまま窓の外をぼんやり眺めていた。
「バン」
と、窓を弾いてすれ違う上り列車の大きな音ですら、何処か遠くで鳴っているようにしか聴こえない…
停車駅。
偶然目の前の席が空いた。
「ラッキー」と思ったのは、正直座りたかったという理由の他に、隣の女性が好みだったからということもあったり。
ーーまだ火曜か…
ふと隣を見ると俯いている彼女は寝ている様子。その可愛らしい寝顔をぼんやりと眺め、まじまじと眺め、そして吸い込まれるようにゆっくりと、あるいは一瞬で意識は薄らいでいった。
…
…
… …
ガバッ
寝過ごした
すると何故か隣の彼女と目があった。
「わたしも」
小さな声で、それは僕にだけ聞こえるよう手のひらで口元を隠してこっそりと。
「あっどもっ」
と、状況を把握できていない僕は軽く会釈をし、この瞬間彼女の顔をはっきり確認した。
抜群な美女ではないけれど、愛くるしい小動物のような仕草がシマリスを連想させる。
めちゃくちゃ動揺している僕に対して案外冷静な彼女。ここはおじさんとしてプライドと余裕を見せてやろうと
「やっちゃったね」
と、言ってみた。
彼女はエヘへッと肩をすくませて、バックの中をガサゴソとして何かを取り出すと
「はいっ!どうぞ」
と、僕に一粒のチョコレートを。
「ハッピーバレンタインですよ」
ちょっと不恰好に包まれたチョコレート。これ市販品?と考える間もなく慌ててスマホを見ると、すでに0時を過ぎていて、それは僕らに訪れた一度切りのバレンタイン。
あれ…
これ…
ちょっと好きかもーー
突然のドキドキは乗り過ごしたことを超越していて、とにかく次の駅へ着くまでに続きのストーリーを作ることが僕に求められた使命だと、我がドーパミンが突如最大活性を始めていた…
「あの」
「あの」
声が重なった。僕らは目と目をを合わせて自然と笑いが込み上げる。
ふたりを乗せた電車は、もうゆっくりとホームへと滑り込んでいるというのに…
◇◇ かほり編 ◇◇
秋口からずっと気になる人がいた。
いや、実は夏くらいからチラ見していた。
朝の通勤電車で同じ駅から乗車するサラリーマン。35歳くらいかな。寝起きのまま会社に行くのか軽いウェーブのかかった頭はボサボサのまま、いっつも眠たそうな顔で、でもその優しそうなタレ目と無精ヒゲが愛くるしくて、わたしは見つけた瞬間からゾッコンだった。
そして、彼がいつも6両目の一番左のドアから乗るのを早々にチェックして、それからというもの、わたしも一緒に乗ることにした。
その日からもう三ヶ月。わたしの好き好きビームに超鈍感な彼は全然気付くことなく、でもそんなところもいいなって思ってて、この超片思いはいつまで続くのやらと嘆きながら、わたしはいつも彼から元気をもらっていた。
一月になって、偶然にも彼が帰る同じ電車に乗り合わせることがあった。
本当は帰りの電車1本ずつ検証していたのだけれど…
朝はわたしのほうが先に降りてしまうからわからなかったけど、結構遅い時間に帰るんだなあと苦労の末に見つけ出した情報は、わたしの脳内に無事インプットされた。
それからというもの、わたしはこの帰りの電車もマークして、3回に2回、彼がこの時刻の電車に乗ることを確認した。ただこの時間の彼はタレ目がさらに下がり、疲労困ぱいしているよう。そこがまたかわいいのだけど、なんだか可哀想だなあとも。
わたしの好きはとまらないーー
わかってる。これをストーカーって言うんだ。でも、でも、わたしから告るなんて絶対出来ないよ。でも…
目まぐるしく葛藤した挙句、脳内から導き出した答え…それは
「バレンタインにあやかってチョコを渡す」
だった。
とにかく偶然を装ってバレンタインにチョコレートを渡そう。帰りの電車が駅に着いて改札を出るとちょうど0時…超ドラマチックじゃんーー
などと妄想が妄想を呼び、わたしは何度も何度も、お腹いっぱいになりながらシミュレーションを繰り返した。
そして運命の2月13日、決行するーー
わたしは迷いなく最終1本前の電車に乗ったのだ。幸先よく空いた席にそそくさと座り静かに目を閉じる。
全てを運に任せよう。
彼がこの前の電車で帰ってしまってたら、その時は潔く諦める。そう決めた。
でも…
でも、もしもこの電車に彼が乗ってきたら
そのときは…
( Fin
※最初に戻って答え合わせしてねw
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