見出し画像

騒音レディ:前編【短編小説】

私、佐々木 麗(ささき れい)は単身用のアパートに住んでいる。

社会人5年目、23歳になった春に転勤を言い渡され、住み慣れた地方から、また別の地方へと引っ越して来た。
高卒で今まで実家暮らし。人生初のひとり暮らしに、慣れない環境。
実家で家事を手伝っていたので、その点は問題無かったし心配もしていなかったのだが、如何せん、土地が変われば人も変わる。
人が変われば、ルールも変わる。ルールが変われば、それに慣れるまでストレスを感じるのが人間だ。

しかし、職場でのストレスはまだマシだった。
単身用のアパートの環境が、私にとっては最悪だったのだ。

2階建てが3部屋ずつ並んでいる、全部で6部屋ある中で、1階の真ん中が私の住んでいる部屋だ。

両隣や上階からは、生活音が普通に聞こえてくる。
右からは、まな板で何かを切る音や洗濯機や掃除機という、日常が想像出来る音。これはまあ良い。
左からは、何が面白いのか毎晩2~3時間くらい笑い声がする。これは正直うるさい。しかしもう慣れた。

問題は真上。
居る間は常に慌ただしくパタパタと歩き回る音がする。これが今最大のストレスになっている。


あるとき私のポストに封筒が入っていた。
『202号室 速水 百様』と印字されている。

「真上か……」

私のストレスの元凶だと気付き、思わず怒りが湧いてくる。

「はやみ……もも?」

宿敵の名前を確認しようという気持ちで、もう一度宛名を確認しておく。
名前から、おそらく男性だと予想出来た。そして、あの軽快な足運びは痩せ型。
居る時間の不定期さから推測するに、学生かアルバイター、もしくはシフト勤務なのでは……と、勝手に推測していく。

アパートに住み始めてから1ヶ月。
今の私は、なんとかストレスを軽減させるために、住人の行動パターンとずらした生活が出来ないかを模索中なのである。

ようは、足音のうるさい時間帯に私がアパートに居なければ良いのだ。
しかし……まあ、深夜の場合は私も寝たいので無理なのだが。

「はあ……」

試行錯誤の結果、「無駄な努力に終わりそうだ」ということに気付き、自然とため息がこぼれる。
『102』から『202』のポストへ封筒を投函し直し、自分の部屋へ帰宅した。


ー ー ー

入居から3ヶ月後。
私は耳栓とヘッドセット、という騒音の攻略方法を見付け、比較的穏やかな環境を手に入れていた。
震動は防げないが、「極力無視・気にしない」を常に心掛け、次回はもっと良い場所に住もうと決意している。

そんなある日の朝、通勤のためにアパートの駐車場へ足を進めると、私の車の横で、女性がうずくまっていた。

赤茶色の2つ結びが印象的で、どことなく露出の多い派手な服装をしている。
正直、関わりたくないと思った。もしかすると事件に巻き込まれる可能性だってある。そして、間違い無く遅刻する。

「……大丈夫ですか?」

しかし、理性ではそう考えていたはずが、気付いたら声を掛けていた。

「う……」

女性が顔を上げると、「バッチリメイクのキレイめギャル」という感じの人だった。
普段の顔色を知らない私から見ても、明らかに具合が悪そうだ。

「うええ、気持ち悪いいい……」

私の中で、警戒心よりも同情心が湧き上がってきた瞬間、その女性が手で口を覆う。

「は!?ちょ、吐くの!?嘘でしょ!?」
「気持ち悪いから吐きたいけど、出てこないんですよお……」
「それは、辛いですね」

吐ければスッキリするのに吐けないときの苦しみは、私にも経験があったので想像に難しくない。
今にも泣きそうな彼女をどうにか救うことは出来ないだろうか。そう思い、背中をさするために傍による。

「あああ、調子に乗って飲み過ぎたあ……」

しかし、その聞こえて来た一言によって、私の同情心が自分でも引くレベルで急激に消えて行く。
なるほど、ただの酔っ払いの二日酔いだった。
因みに蛇足だが、私は風邪のときに経験した。

「ああ……そうですか。お大事にしてくださいね」

もうこのままスルーしてしまおう。時間が勿体ない。そう思ったのだが、女性に腕を掴まれる。

「待って……!」
「な、なんですか……!?」

今出会ったばかりの赤の他人に掴まれ、流石に恐怖を感じる。
女性の顔は、真剣そのものだ。

「部屋の前まで、肩を貸してください……!」

真剣な表情から、一気に絵文字の号泣マークのような顔になった女性に、毒気を抜かれる。
これだけ表情がコロコロと変わる人とは、普段あまり関わらない。
まだ数分しか会話を交わしていないはずなのに、なんだか疲れてしまう。
もう、早急に言うことを聞いて開放して貰おう。それが1番良さそうだ。

「……あ、はい。何号室なんですか?」

なんの気なしに言った言葉だったのだが、その後の女性の言葉に、私は自分の耳を疑った。

「202です」
「……は?」

思わず、聞き返す。

「え、202です」

さも当然のように言う女性は、嘘を吐いているようには見えない。
「そうか、あの足音の主はお前だったのか……!」と、内心で叫んでいる自分がいる。

「いっそ見捨てて良いのでは?」という悪魔と、「いやいや、水に流して助けようよ」という天使が、私の脳内で争っている。

「……」
「うっ、気持ち悪い……」

再び口元を抑える女性を見て、私の中の天使が勝利した。

「分かりました。肩、貸します」
「ありがとうございます……!」

女性に肩を貸しながら、私は心の中で深い深いため息を吐いた。


騒音レディ:後編【短編小説】

この記事が参加している募集

よろしければ応援して頂けると、とても励みになります…!頂いたサポートは、資料購入などの活動費にさせて頂きます。