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騒音レディ:後編【短編小説】

前話⇒騒音レディ:前編【短編小説】

階段を上り、202号室の扉の前まで半ば引き摺るように女性を連れて行く。
肩を貸したときに焼き鳥の臭いがして、若干イラッとしたのは秘密だ。

「ありがとうございます……!」

そう言うと女性は、容量の得ない様子で「一体それに何が入るんだよ」という小さな鞄から、鍵を取り出す。

「いえいえ。じゃあ、私はこれで失礼しま……何してるんです?」

鍵を鍵穴に挿そうとしている女性は、手が震えているのか悪戦苦闘している。

「貸して下さい」
「あ、ありがとうございます……!」

女性から鍵を受け取り、鍵穴に挿し、扉を開ける。
良かった、普通に開いた。これで私は解放される。

「さあ、早く入ってください。扉の前で倒れられても困りますから」
「う、ヤバイ……!」

玄関が開いて安心したのは女性も同じだったようだ。
何度目かの吐き気に襲われた女性は、私を残し、サッサとパンプスを脱いで玄関から入ってすぐのトイレへと駆け込んで行った。
私に、玄関の鍵を持たせたままなのだが……。

「冗談でしょ?」

自然と、「心底呆れた」といった声色の台詞がこぼれ落ちていた。
呆然として暫く待っていると、トイレの水が流れる音が聞こえて来る。

「はあ、スッキリしたあ」

のんきに出て来た女性は、まだ顔色は悪いが、確かに先ほどまでよりは楽になったように見える。

「本当ありがとうございます。危うくのたれ死ぬところでしたよお」
「いえ、大したことはしてないので」

果たしてこの女性は、「のたれ死ぬ」の正しい意味を知っているのだろうか。

「大したことですよ。あ、私、速水 百(はやみ もも)って言います。お姉さんはなんてお名前なんですか?」
「……佐々木 麗(ささき れい)です」

なんで名乗らなくてはいけないのだろうか。そう不満を抱きながらも答えてしまうのは、日本人の悲しい性だろう。

「佐々木……もしかして102号室の?」

騒音の元、もとい宿敵である『速水 百』が呟いた言葉に、警戒心を抱く。
何故、私の部屋番号を知っているのだろう。

「……」
「あ、誤解しないで下さいね。私のポストに102号室宛ての手紙が入ってたときがあって」

警戒心がダダ漏れていたのか、慌てて彼女が弁明してくる。

その弁明に、絶句する。……ここの配達区域の配達員は何をしているんだろうか。
一度、きちんと苦情を入れるべきだろうか。

「佐々木麗ってあったから、男の人だと勝手に思ってました」
「ああ、よく言われます」
「私も、ももって百って書くので、どっちか分かりづらくて紛らわしいって言われるんですよねえ。果物の桃だったら可愛かったのに」
「はあ、そうですね……」

なぜ私は、こんなに普通に話しをしているのだろう。
そしてこのやり取りは、一体いつまで続くのだろうか。と、考えて、突然仕事のことを思い出した。

「ヤバ……!会社……!!」

急いでスマートフォンを確認すると、時刻は『9時』。会社の始業は『9時』である。
「終わった……!」と内心で叫ぶが、行かないわけにもいかない。
言い訳を考えながら会社に向かおう。

「じゃあ、私はこれで!お大事に!」
「えっ!あ、ありがとうございました。お気を付けて!」


ー ー ー

その数日後の休日、お昼の時間にチャイムが鳴る。
モニターで確認すると、私の部屋の玄関前に、赤茶色のツインテールの速水さんが立っていた。
見れば見るほど私とは人種が違うと感じるのだが、彼女はニコニコ顔だ。
私は若干のめんどくささを感じつつ、扉を開けた。

「この前はありがとうございましたあ!ほんっとうに助かりました~!」
「えっと……速水さん?」
「うわあ、覚えててくれたなんて感激です!あ、百で良いですよ。私は麗さんって呼んで良いですか?」
「はあ、構いませんけど」
「やったあ~!ありがとうございます!」

一体何の用なのか。ハイテンションな速水さんに対して、私はローテンションを隠さない。

会社の方は、事情を説明して事なきを得たから良いものの、運転しながらだいぶ肝を冷やした。
トラブルメーカー的な臭いを感じるこの住人には、出来ればもう二度と関わりたくなかったのだが……。
そう考えていると、彼女から紙袋を手渡される。可愛らしい、ピンク色の紙袋だ。

「これ、この前のお礼です。私、お菓子屋さんで働いてて、そこのお菓子なんですよお。あ、別に営業とかじゃ無いですからね」
「え……」

失礼を承知で言うが、非常識なイメージしか無かったので、意外すぎる対応に驚いた。

「もしかして麗さんのお勤め先にもご迷惑をかけたかな、と思ったので気持ち多めに入ってますから、もしそんな感じだったら是非使ってください」
「……ありがとうございます」
「いえいえ、これからも同じアパートのよしみでよろしくお願いします!では、私はこれからまた仕事なので!」

そう言って、彼女は去って行った。
まるで嵐のようだが、なんだかたったこれだけのやり取りで、印象が変わってしまった。
私が現金なのか、彼女が特殊なのかは分からないが、「また関わることがありそうだ」とは感じた。


ー ー ー

その日から、不思議と足音が気にならなくなった。
人となりを知ったからなのか、頻繁にケーキや夕飯などのやり取りをお互いにするようになったからなのか。

因みに、「足音がうるさい」という話しは伝えていない。

「麗さん、麗ちゃんって呼んでも良い?」
「絶対に嫌」
「ええ~、良いじゃ~ん」

因みに、私にとって衝撃的なことだが、速水さんは25歳で年上だった。
私が年下だと知った瞬間の、慈しむような彼女の笑顔が忘れられない。

騒音に苦しんでいた当時からずっと年下だと思っていたので、なんだか悔しかったのだ。

最近なれなれしい彼女を適当にあしらう。

「ほら、ランチに行くんですよね。早くして下さい」
「はいは~い!任せて」

そんな「アパートの上下階の住人」という赤の他人から始まった付き合いだが、なんと不思議なことに食事に行く仲になった。
もたもたしている速水さんを急かし、自分の車の鍵を開ける。

道中、彼女の私物のスマートフォンから流される音楽は大音量だった。
普段は自分が聞くことのない、外国の女性シンガーが歌っている。

ああ、うるさい。素直にそう思う。
……うるさいが、騒音も、慣れてしまえば良いものかもしれない。

そう考えている自分がいて、笑ってしまった。

【完】

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