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アーモンド


アーモンドって美味しいですよね。...って、違う。今日は食べるアーモンドじゃなくて。人の脳にある感情を司る扁桃体、形が似てることから”アーモンド”と呼ばれるらしい。皆さんはご存知でしたか?


今年の本屋大賞の翻訳小説部門第1位になった韓国の小説、そのタイトル『アーモンド』。まずは表紙をご覧いただきたい。

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うつろな目をした無表情な少年。だけどどこか惹かれる。本屋大賞を受賞してから本屋さんの目立つ所に置かれるようになったので本屋に行く度に目が合い、表紙買い。彼の名前は、ユンジェ


扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。
そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。
母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか"普通の子"に見えるようにと訓練してきた。
だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちになってしまう。
そんなとき現れたのが、もう一人の"怪物"、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく──。


切ない物語だが、感情を持たないユンジェ目線で語られるので実に淡々としている。母親が、ユンジェのアーモンドが人並みになるようにと、ユンジェにアーモンドを食べさせていたり、ユンジェが普通に見えるようあらゆる場面を想定した感情の丸暗記をさせたり、とちょっと笑ってしまうような所もある。


そういえば、先日新聞にこんな話が。18歳の黒人少年のネットへの投稿が話題だとか。その内容は、少年が自分の命を守るため子どもの頃から母親に教えられてきたこと。

町中でポケットに手を入れない。

買わないものに手を触れない。

職務質問に反論しない‥。

母親はいつだって自分の子どもを守るために自分に出来ることを精一杯を与える。母親の想いに国や肌の色は関係ない。動物だろうと鳥だろうと関係ない。


ユンジェは感情を持たないけれど、決して冷酷なわけではない。日々起こる出来事や他人とのやり取りを、感情に流される事なく論理的に考える。対して、ゴニは感情のままに動く。幼い時の不幸な出来事のせいでまともな人生を送れなかったゴニにとって自分の居場所は、強くなる事だった。ただ、ゴニは強くなる事を不良になる事と履き違えてしまった。


そんな2人がクラスメイトとして出会い、いじめる側といじめられる側になり、やがてはお互いが気になる存在へと変化していく。その過程は時に残酷で、時に微笑ましい。お互いに自分にないものを相手の中に見て、ともすれば良いところよりも目立ってしまいがちな相手の悪いところを、認め合い、理解しようと歩み寄っていく2人。


さて、ここでもう一度ユンジェの顔を思い出してほしい。無表情だと思っていた子が少しだけ人間らしく見えてこないだろうか?


ユンジェは自分をいじめるゴニに対してこんな事を考えている。

ゴニが僕にどんな反応を求めているのかは、分かり切っていた。小学校の時も、中学校の時も、そんな子たちがいた。人をいじめて、相手の悲しそうな顔を見て喜ぶ子たち。お願いだからやめてくれと懇願してくることを望む子たち。そういう子は大抵、力で自分の望みをかなえる。でも僕は知っていた。ゴニの望みがちょっとでも僕の表情に何か変化を見ることなら、永遠に僕には勝てないということを。そうすればするほど、力を消耗するのはゴニの方だということも。(本文より)

そしてゴニに言う。

「君が望んでいることをするには、僕は演技をしなきゃならない。それは僕には難しすぎる。無理なんだ。だからもうやめろ。みんなだってうわべでは怖がってるふりをしてるけど、内心では君をバカにしてるんだから」(本文より)


こんな風に接してこられたら、いくらゴニだってヤル気を無くすだろう。強さだけが武器だったのにそれが通じない相手、その相手に興味を抱くのは当然といえば当然だ。また、ユンジェは自分が母や祖母にいかに愛されていたかも自覚している。

外を歩くときはいつも、母さんが僕の手をぎゅっと握っていたことを覚えている。母さんは、絶対に僕の手を放さなかった。ときどき痛くて僕がそれとなく力を緩めると、母さんは横目で睨んで、しっかり握りなさいと言った。私たちは家族だから、手を繋いで歩かなくちゃいけないんだと。反対側の手は、ばあちゃんに握られていた。僕は誰からも捨てられたことがない。僕の頭は出来損ないだったかもしれないけれど、魂まで荒んでしまわなかったのは、両側から僕の手を握る、二つの手のぬくもりのおかげだった。(本文より)

もしかするとユンジェは、普通に感情を持つ子よりも、より深く人の想いに気付ける子だったのではないだろうか。

ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。
感じる、共感すると言うけれど、僕が思うに、それは本物ではなかった。
(本文より)

ユンジェの言葉が、いろいろな気づきを与えてくれる。


さて、物語の最後は、高校を卒業し大人になったユンジェが、ゴニに会いに行くシーン。ユンジェがまた一歩前進したのだ。そしてきっとゴニも。2人の未来に希望の光が見えた。


目的も、伝えたいこともない。ただなんとなく。会いに行く。みんなが怪物だと言っていた、僕の良き友に。(本文より)



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